第97話 浜屋の向上心

 翌日、授業を受け終えた俺は、アフレコ撮影のために元々撮影するために予約して借りていた教室へと向かった。


「おはようございます」


 ドアを開けて中へ入ると、撮影用の機材の周りに集まっている津賀と浜屋の姿があった。


「おっつー、やおやお!」

「羽山お疲れー」

「おう……」


 二人が隣に座っている違和感を覚えつつ、俺もカメラがセットしてある方へと向かい、ポツンと置いてあった椅子に座った。見ると、二人の膝元には、台本が置かれていた。どうやら、アフレコの台詞の確認をしていたらしい。


 俺が腰かけると、待っていたとばかりに、早速西城さんに任された裏方の女の子が説明を始めた。


「それでは、今日はアフレコだけなので、順次予定のある方から順にやって行こうと思います。先にやりたいという方はいますか?」


 そう言われて、三人はそれぞれ顔を見合わせる。


「どうする?」

「私は特に予定ないから何番目でもいいけど」

「私も仕事入ってないから何番でも」


 お互いに譲り合いの精神が働いて決まりそうにないと判断したのか、カメラ前にいた女の子が提案してきた。


「それじゃあ、アフレコ量の多い羽山くんから行こうか! あとの二人は順番決めておいて!」

「わかりました」


 この子、意外とそう言った面倒事を決める能力があるのかもしれない。

 そんなことを思いながら、俺はカメラの前に立って、アフレコの準備を始めた。


 アフレコは、カメラに接続されたマイク越しに喋るだけだし、台本を見ながら出来るので、比較的楽に撮影できるかと思いきや、逆に身体を動かしてはいけないので、いざ始めてやってみると、棒読み感が否めない口調になってしまっていた。

 そのせいで、何度もリテイクが入る。


「もっと言葉に感情入れて、この場面でどういった心境かをイメージしないと!」


 浜屋にアドバイスを受けながら、何とか少しずつアフレコを進めていった。

 終わった頃には、頭をフル回転させたためか、どっと疲れが訪れた。


 改めて、アフレコの難しさに気付かされた。相手がいない分、余計インスピレーションを頭の中で働かせながら言葉を発しなくてはならないので、演技とはまた違ってかなり難しさを感じた。


 俺がぐったりと項垂れているうちに、今度は浜屋のアフレコの番になった。

 浜屋は、『よーい』の合図がかかった瞬間大きく息を吸い込んで、瞑目する。

 そして、『スタート』という声がかかってから少し間を置いて、目を見開いて、感情のこもった声で台本の台詞通りに読み上げていく。


 その声を聞いて、一瞬で違いに気づいた。これは、浜屋の声ではなく、間違いなくヒロインの春乃の声だった。


 教室内にいたすべての人たちが、その浜屋の演技力に魅了される。

 アフレコの言葉を言い終えた後も、その圧倒的な雰囲気が教室内を包んでいた。


 カメラを回していた女の子が、はっと我に返り、「カ……カットです」っと恐縮ながらに声を上げた。


 流石、浜屋莉乃といったところだろうか?


 彼女はいずれ、日本を代表するような逸材に化けるのではないだろうか?


 そんなことを思ってしまうほどに、彼女の演技力は圧巻の一言だった。


 それからも、浜屋は変わらずアフレコを順調に進めていき、気が付けばすべて一発OKで、あっという間にアフレコを終えていた。


 最初にリテイクを繰り返した俺のアフレコが、陳家ちんけなものに聞こえてしまうほど、浜屋の声ははきはきとした口調で、抑揚のある美しくて際立つ声だった。


「それじゃあ次、津賀さん行きましょう」

「は、はい!」


 俺の隣に座って、浜屋のアフレコ力に圧倒されていた津賀が、緊張な面持ちでカメラの方へと向かって行く。

 それと入れ替わるようにして、浜屋が俺の隣の空いた席に座って来た。


「お疲れさん。凄いな」


 俺が思わずそう声を掛けると、浜屋は当然と言ったように胸を張った。


「まあ、一応毎日特訓してますからね!」


 そう言って、胸を張ったのは一瞬のことで、すぐにしゅんと視線を俯かせた。


「まあでも、これくらいの実力者は他にもたくさんいるよ」


 そう言って、浜屋が見つめているのは地面ではないのだろう。今浜屋が思い描いているのは、恐らくライバルたちの演技。

 だが、俺はそんなライバルたちの演技を知らない。だから、少しでも自信になってくれればと、適当に言葉を口にしてしまう。


「そうか? 確かに他の役者がどうとか、俺はあまり分からないけど、浜屋はすごいと思うぞ」

「ありがと。でもね、上にはもっと上がいるの。だから、その人たちがいる限り私は努力をおこたっちゃいけないの。これだって、プロの撮影じゃないけど、本気で取り組むことによって、何か見えてくるものが絶対にあるって信じてるから」


 その浜屋の見つめる視線には、絶対に負けないというような熱意さえ感じられた。

 だから、俺はふっと息を吐いてから、優しく声を掛ける。


「まっ、それだけ向上心があるなら、絶対そいつらに追いついて追い越せるさ。浜屋なら出来るって、俺は信じてる」


 俺がそう言ってきたことが意外だったのか、浜屋は目を丸くしてこちらを見つめていたが、ふっと笑みをこぼして首を縦に振った。


「うん、ありがと! ファン一号君!」

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