第63話 お互いの関係性

 それは突然の出来事だった。

 なんとレッスン部屋中央で、浜屋が覚悟を決めて歌いだしたのだ。最初はかすれ声だったが、徐々に自信を取り戻したように歌声が出始める。


 そして、サビに入るころには、息を吹き返したように歌姫浜屋莉乃は輝きを取り戻していた。


 俺はその輝きを取り戻した透き通るような歌声に見入ってしまう。


 しかも、歌った曲が、高校の合唱コンクールで浜屋が歌った曲だった事もまた、俺の感動のるつぼへといざなった。


 俺だけのために、浜屋莉乃は復活してくれたコンサート。

 歌い終わると、俺は拍手をすることも忘れて、彼女のことをじぃっと見つめることしか出来なかった。歌姫浜屋莉乃が完全復活を遂げた瞬間だった。


 彼女の表情は歌い終えた達成感に満ち溢れていた。そして、俺を見てニコっと微笑みを浮かべてくる。


 スランプというのは、とあるきっかけによって簡単に気持ちの問題で抜けられることが出来るというが、その瞬間を目の当たりにして改めてその事実を突きつけられた気がした。



 ◇



 浜屋の復活から、幾日が経過した。

 

 俺は今、事務所の入り口の前で浜屋が出てくるのを待っていた。

 しばらくして、浜屋が出てきた。


 俺は寄りかかっていた壁から離れて浜屋を出迎える。


「どうだった?」

「ん? なにが?」


 キョトンと首を傾げる浜屋。何のことって、分かっているくせに……


「それだけ余裕の笑みを浮かべてるってことは、大槻さんのテスト、合格しただな」

「当然!」


 そう言って胸を張る浜屋。もう少しあればもっと魅力的だったんだけどね……


 そんなことはさておいて、俺たちはどちらからとでもなく駅の方へと歩き出す。

 お互いに並んで坂道を下っていると、浜屋が口を開く。


「あっ、そうだ羽山!」

「ん?」


 俺が浜屋の方を向くと、浜屋は俺の方を見て人差し指を立てた。


「羽山にはいろいろとお世話になったから、私のファン1号にしてあげるよ!」

「そりゃどうも」

「えぇ! 軽っ! もっとテンション上げて行こうよ!」

「いやっ、お前な……」


 俺がどれだけ苦労したと思ってんだこの野郎。

 と愚痴の一つでも零してやりたかったが、浜屋莉乃のその嬉しそうで幸せそうな表情を見たら言えるわけもなかった。


 浜屋莉乃は、俺に感謝の言葉を述べることはない。もう前を向いているから、過去を振り返る必要がないのだ。

 それもまた、突然高校を中退していなくなってしまった彼女らしいというかなんというか。

 ホント、自分勝手で手の付けられない奴だけど、それに魅力を感じてしまうのだから仕方ない。


 浜屋莉乃は、俺が押し付けた理想通り、歌姫の浜屋莉乃という俺のイメージを、見事取り戻して見せた。プロになるというプレッシャーに押し負けるどころか、そのプレッシャーに立ち向かうことで、自分を取り戻した。


 もしかしたら、浜屋は自分がプロになって認めてもらえるのだろうかというプレッシャーではなく、自分に理想をもってくれる人の承認が欲しかったのではないだろうか?


 歌手になるといっても、誰も信じてくれなくて、どうせ無理だろとか、どうせ売れないとか、そう言う現実見ろよという無情で冷たい言葉しかかけられなかったのだろう。

 だからこそ、理想として、それを押し付けてくれることが、自分にとって自信につながり、心の支えになったのではないだろうか。


 恐らく京橋恭輔の場合も、自分がサッカーがうまい、出来るということを周りの部員たちが押し付けてくれたからこそ、モチベーションを保ち続けることが出来ているではないか?


 無意識に気づかないその意識を、浜屋莉乃は高校を中退したことによって、そのイメージを持っている人との関係性をリセットした。それにより、自分に歌姫という理想を押し付けてくれる人がいなくなったことで、自信を無くして歌うことが出来なくなってしまった。そんなとき、たまたま高校の同級生である俺が現れた。そこで、俺が浜屋に理想を押し付けた。それがきっかけとなり、浜屋は自信を取り戻すことが出来たのではないか。

 それが正解なのかどうかは分からない。なぜなら、人の感情というものは他人には理解できないものだから……



 だけど、浜屋にも俺にも一つ言えるのは、お互いに自分勝手で自分の理想を押し付け合っているという関係性。それでも、この何とも言えないその保ち続けている関係性を言葉に表すのは難しいのではないかと思う。絶対的に間違いなく言えることは、そこに恋愛感情というものは発生していないということだけだ。

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