第70話 8日目 2

 投降を呼びかけられたインサキュバスは、目の前に現れた相手が男だったので姿を女に変えた。

 胸と尻がかなり膨らみ、逆に手足や腰等と関節は細くなっていく。

 紫に近いピンクの瞳が蠱惑的でゼノを見つめ。

 唇は赤く口紅の様に染められた。


(私のフェロモンに充てられた男が女を見たら、襲いかからずにはいられっ。なっ、なんでよ!!)


 投降の意思がないと悟ったゼノは、インサキュバスが女の姿に変わった瞬間に襲いかかった。

 右手に持ったメイスを、相手の頭部に振り下ろしながら。

 余裕の笑みを驚愕へと変えながら、インサキュバスは全力で後退する。


 しかしその一瞬の間で急に体が重くなり、余裕を持って回避したはずのメイスが目の前を通り抜ける。

 それだけでなく反応まで鈍化していっている。

 魔法も使えなくなり隠していた翼も姿を現した。


(一体どうなってるっていうのよ!あの男は平然として、目に理性が残ってるし。私は急に能力が制限されるし!邪竜殺しの主っていうのはハッタリじゃなかったの?)


 ゼノは構えずに手を下げたまま、インサキュバスに対して半身になって立っている。

 エルフ式の高価な普段着を纏い、手にはメイスと手斧を持っているがそれだけ。

 防具は装備しておらず、靴も用意された普段履きの物だ。


 だがインサキュバスにとっては、普段着のままでも自分を倒せるのではないかと錯覚させる。

 自分の前で理性を保っている初めての敵に対し、インサキュバスはどうしてよいのか混乱していた。



「あの者の能力は封じ、その力を大幅に減衰させました。後は任せましたよ」


 聞き覚えのある声が、ゼノの鼓膜だけを震わせる。


(世界樹か、しかし何故鼓膜だけなんだ。もっとこうフワリと姿を現して。浮かんだまま肩に寄り添って、耳元に息を吹きかけるくらいはして欲しかった)


 インサキュバスのフェロモンで性欲が限界を超えて高まっていても。

 考えている内容は平時と大差なかった。


「女になったって事は、さっきの姿は男か?あのままだったら、今より楽に殺せたんだがな。見た目的に。まあいい、精々逃げ回ってみせろ。遊んでやる」


 ゼノはインサキュバスに心理誘導を促す言葉をかけると、インサキュバスの身体能力を調べるために攻撃を開始した。

 メイスと手斧を使い上下左右から、あからさまに手を抜いて連続攻撃をする。

 手を抜いてを攻撃している様に見える。

 しかし実際は表情を取り繕って入るだけで、ゼノは全力を以てインサキュバスへ攻撃していた。





 元々が淫魔で肉体的に強くはなく、魔法でしか攻撃手段を持たかなったインサキュバス。

 戦闘開始当初は拳や蹴りで反撃してみたが、全て紙一重で回避され。

 自分がギリギリ避けられるか僅かに被害が出る、そんな神業じみた遊びの一撃で返される。

 翼を羽ばたかせ余分な距離を取らねば、確実な回避には至らずに体力を消耗し疲労が蓄積する。


 目の前の男は既に何時間も自分を生かさず殺さず、弄び続けて楽しんでいる。

 世界を煌々と照らしていた太陽は夕日へと姿を変えつつあり、翼も含めた全身の疲労は極限にまで達していた。

 なのに男は平然としてめの前に立っている。

 恐らくポケットから取り出したビンに入っている液体が、少量でも凄まじい効果を発揮する回復薬なのだろう。


 元々の実力差に加えて、能力減衰とこの疲労。

 インサキュバスは己の敗北と死を覚悟していた。

 体の限界を超えて放った首を狙った最後の一撃すら、無表情のまま半歩足らずの移動で回避された。

 あとはメイスで頭を潰されるか、手斧で首を断たれて死ぬのだろう。

 インサキュバスは全てを諦め、五体を投げ出し仰向けに倒れた。


(死ぬ前に、1度でいいから誰かの役に立ちたかったな)


 フェロモンの維持すら出来なくなり、瞳を閉じて最後の時を待つ。


「お前の相手を興奮させる能力、あれは任意でオンオフが切り替えられるのか?」


 なんの気まぐれか、最初以来声を発しなかった男から問いかけがあった。


「ええ、そうよ。私のフェロモンは自由にオンオフ可能。男は女を犯さずにはいられなくなり、女はフェロモンに触れている間だけ1番近い男を愛するようになる。そういう力よ」


「ほう、便利な能力だな」


「どこがよ。この力のせいで利用されるか、遠ざけられるかしかしてこなかったんだから。私はもっと普通の人間に生まれたかった!平凡でもいいから普通の人生が欲しかったの!もういいでしょ、さっさと殺しなさいよね!!」


「最後にもう一つだけ、聞きたい事がある」

「何よ」


 男は長いタメを作るとこう言った。

 大勢のエルフに感謝されて生きてみたくはないか、と。

 インサキュバスはその言葉に興味を持ってしまった。

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