死ねない少女と幽霊屋敷

橘 志依

第1話「死にたい美香と幽霊和人」

 市内にある訳あり物件。

ここで過ごした住民は、次々と死にそうな目に遭って引っ越していくという。


住宅街の外れにある小さな一軒家が、件の物件だ。

薄暗い印象を与える古い木造平屋の家を前にして、美香は期待に胸を膨らませた。


「ここならきっと、私も死ねるはず!」


不動産屋さんには、何度も確認された。何かあっても責任は取れないからと、念押しされた。けれど、美香は譲らなかった。


 ここで、絶対に死んでみせる。


その決意を胸に、美香は噂の幽霊屋敷に足を踏み入れた。


中に入ると、薄汚れた玄関には埃が溜まっていた。 何年も人が暮らしていなくて、業者も入りたがらないから掃除もされていない。


荷物が届くのは明日の予定だから、まずは掃除をしなければいけないと、美香は家の中を見て回りながら溜め息を吐いた。


3LDKの一軒家は、美香が暮らすには広すぎる家だが、訳あり物件ということもあり、家賃はものすごく安かった。中心地にある1DKのアパートの方が、もしかしたら高いかもしれないくらい、安かった。アルバイトをしていれば充分暮らしていけそうな家。


 しかも、死ねるかもしれない。


世間からすれば、住みたくないような家かもしれないが、美香からすると、最高の物件だった。


一通り家の中を見て回ると、美香は早速掃除を始めた。 高いところから埃を落としていき、雑巾を絞って床を拭く。


掃除機なんかが届くのも明日の予定だったから、古いやり方で掃除をしていくしかなかった。小学校のころの掃除の時間を思い出して、何だか懐かしい気持ちでやっていると、あっという間に綺麗になった。


物がないというだけで、掃除というのは早く終わるらしい。


そう思いながら、掃除道具を片付けていると、どこかの部屋から大きな音が聞こえた。この家には今、美香一人しかいないはずだ。


それなのに、ドタドタと足音が聞こえてくる。


幽霊屋敷の犯人かもしれない。


美香は洗面所を出ると、玄関から一番遠い部屋を目指して歩いた。


部屋に近づくにつれて、段々と音が大きくなっていく。


大人の足音のような、重たい音。 それと一緒に聞こえてくる、小さな声。


「……よう、どう……う」


部屋に近づくと、声も段々とはっきり聞こえてくるようになった。


「どうしよう、どうやろう」


男性の声が、今度ははっきりと聞こえた。足音は、部屋の中をうろうろとしているように一定のリズムで聞こえてくる。


美香が思い切って扉を勢いよく開けると、中にいたのは、背の高い男だった。


男は丁度扉偽を向けていたようで、勢いよく開いた扉の音に驚いたように振り返って大声を出した。


「き、急に開けるんじゃねぇよ! せめてノックくらいしろ!」


突然の怒鳴り声。


怒鳴り声と一緒に、地面が揺れた。突然の地震に美香が驚いていると、天井からぶら下がっている古いタイプの電気が点滅した。


「ポルターガイスト現象?」


 そう呟くと、男が悲鳴を上げた。悲鳴を上げて、宙に浮かんだ。


「ちょ、やめて! ポルターガイストとか怖いからやめて」


現象の原因と思われる男の方が美香よりも怖がっている状況が可笑しくて、美香は思わず笑いだした。


突然笑い出した美香を見て、男も落ち着きを取り戻したように地上へと降りてきた。


「あ、えっと、ごめん。なんか、ごめん」


 今度は謝罪を繰り返す男。どことなく黒い雰囲気を持っていて、向こう側が透けて見えるわけではないのに、はっきりと幽霊だと分かるような、冷たくて暗い空気が男の周りに漂っていた。


先程中に浮かんだことからも、この男が幽霊屋敷の幽霊だということは明らかだろう。


「お兄さんが、この家に憑りついている幽霊さん?」


「いや、憑りついているつもりはないよ。何となく、居心地が良いからここにいるだけ」


美香が確認をすると男は首を傾げて否定した。


「じゃあ、住民が死にそうな目にあって引っ越していく原因の悪霊は別にいるってこと?」


今、目の前にいる男の幽霊こそが、自分を死に追いやってくれる悪霊だと期待していた美香が残念そうに問いかけると、男は慌てて否定した。


「悪霊は俺で間違いないけど、別に誰かを殺そうとしたことはない。さっきみたいなポルターガイスト現象で物が落ちたりして、運悪く怪我をしたりするだけだよ」


 先程の地震は、やはりこの男が起こした怪奇現象だったらしい。そして、この男は自分のことを悪霊と呼ぶ。


「お兄さん、悪霊なの? じゃあ、わざと怪奇現象を起こしてるんじゃないの?」


 ポルターガイスト現象などの怪奇現象は、基本的に幽霊が自分の存在を示したいときや、嫌がらせなどをしたときに起こる現象と言われている。


その現象を起こすということは、この幽霊男は自分の存在に気付いてほしかったのか、住民を追い出したかったということになるはずだ。


しかし、幽霊男はその考えも否定した。


「いや、自分の意志で怪奇現象を起こそうとしたことはないよ。今までここに住んだ人たちの生活を邪魔しようなんて、考えたこともない。ただ……」


 幽霊男は一度そこで言葉を切ると、照れたように笑った。


「俺、基本的にビビりだからさ。夜中に聞こえるちょっとした物音とかに驚いて、さっきみたいに怒鳴ると怪奇現象が起きて住民が危険な目に合うってわけ」


 幽霊男の話では、夜中に住民がお手水に立った時の扉の開閉の音や、物を落とした時に立てる大きな音に一々驚いては怒鳴り声を上げていたという。


悲鳴を上げるより先に怒鳴る理由としては、自分が怖がっている事実を認めたくないからだという。


「幽霊がビビりとか。しかも、ビビりのくせに、自分のことを悪霊だとか言ってるし。お兄さん、自分のことは怖くないの?」


 肩を震わせて、笑いをこらえながら美香が問いかけると、幽霊男は首を傾げて、そのまま宙に浮かんで逆さまにひっくり返った。


「いや、別に。俺は俺だし。悪霊になったのも、成仏せずにこの世に留まり過ぎただけだし。悪いことしてないのに、ちょっとこの世の摂理に逆らっただけで悪霊になるとか、幽霊になっても世知辛い世の中だよな」


 幽霊にこの世の摂理や世の中を語られるとは思わなかった。話を聞いているうちに、美香は段々とこの幽霊男に興味を抱き始めていた。


「お兄さんは、いつ死んだの? どのくらい幽霊やってるの?」


「死んだのは、八年ほど前かな。だから、幽霊は八年やっていることになる」


 次々と質問をしていく美香に、幽霊男は一つずつ答えていく。


「この家で死んだの?」


「いや、まったく関係ないところ。むしろ、この土地ですらない場所だ」


 堂々とした態度で答える幽霊男。彼は美香の方を見ると、彼女がまだ高校生くらいの年齢であることに気が付いて、辺りを見渡した。


「君さ、まだ子どもみたいだけど、ご両親は? ってか、よくこんな幽霊屋敷に引っ越してきたね。俺なら絶対無理。怖い」


 美夏の他に人の気配がしないことを不思議に思った幽霊男は、彼女の事情を聞こうと問いかける。


「君、じゃなくて美香ミカ。斎藤美香。ここには一人で引っ越してきた。むしろ、いわくつきの幽霊屋敷だからこそ引っ越してきたんだよ」


 自己紹介とともに、彼女はここへ引っ越してきた目的を話し始めた。


「私ね、死にたいの。運が良すぎて、事故にもあえないから、幽霊屋敷でなら何か方法が見つかるかと思ったんだけど、お兄さんは私を殺せる?」


 美香はそう問いかけた後に、自分が死にたい理由を話し始めた。


「私ね、運が良すぎて、事故にあいかけても、私は無傷で、近くにいた人が身代わりみたいに怪我をするの。周りに不幸をまき散らして、自分だけが無事でいる。そんなことがたくさんあって、もう、嫌なんだよ。お父さんも、お母さんも、私の身代わりで死んじゃった。引き取ってくれた親戚のおじさんも、大怪我をしてさ。だから、もう一人で生きていくことにしたの。それで、不慮の事故で死にたいなって思ってる」


 そう語る美香を、幽霊男は複雑な表情で見ていた。


「お兄さんは、私を殺せる? 怪我をさせること出来る?」


「出来ないし、やらないよ。そんなこと。俺は基本的に人を傷付けたくない優しいお兄さんなの」


「そっか、残念。じゃあ、幽霊のお兄さんには何ができる?」


「なんも。ただ、漂っているだけ」


 そう言うと、幽霊男は宙に浮かんで、空中を漂い始めた。海の上で波の流れに身を任せるように空中に漂っている姿は、本当に幽霊なのだと思わせる何かがあった。


「お兄さん、名前は?」


「和む人で和人カズト。名字は忘れた」


 少しだけ、投げやりな答え方をした和人は、空中から美香を見下ろして、不敵な笑みを溢した。


「よし、お兄さんが美香のことを守ってやろう。そうすれば、死にたいなんて思わなくなるだろ。俺、死んでるし。怪我とかすることないし。一緒にいても安全だ」


「え、別にいらない。悪霊って、守るとか出来るの?」


強気にそう宣言した和人が美香に近付くと、美香は怪訝な顔をして和人を見上げた。


「知らね。でも、一緒にいるだけで守れるものだってあるだろ」


 楽観的というか、何というか。和人という幽霊男は、自分がどんな存在で、美香がどんな存在なのかを深く考える様子もなく、自分が思ったままに行動している印象だった。思ったままに行動した結果が悪霊化だとしたら、救いようもないかもしれない。


「とにかく、よろしくな」


 握手をしようと差し出された手を美香は見つめて、すり抜けないように気を付けながら握るような形で手を添わせた。


和人の手は、ヒンヤリと冷たい空気を纏っていて、そこに生命力を感じることは出来なかった。実際に触れようとしてみると、本当にこの男が幽霊だということを実感する。


「お兄さんの手、冷たい」


「美香の手は、温かい」


 生きた温もりを久しぶりに感じたと、和人は笑った。


 こうして、死にたがりの少女 美香と、怖がりな幽霊男 和人の同居生活は始まったのであった。

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