番外編 ドキドキな一日(後編)

 ――さっきから、クーナがまともに見れない。


 クーナが世間一般的に見て可愛いという事は、十分に知っていた。いや、知っていたつもりだった。

 けど今日、目の前に現れたクーナに思わず衝撃を受けた。――見慣れない服を着たその姿が、あまりにも可愛すぎて。

 特に普段見せない、スラリとしたカモシカのような足がまぶしすぎる。さっきから通りがかった野郎共がチラチラクーナの生足に視線を送るのを、ビシバシと感じるぐらいだ。

 不味い。これは不味い。こんな可愛い奴を野放しにしてはいけない。

 そう思いさっさと帰ろうとしたのだが、クーナに引き止められてしまった。トドメに上目遣いでおねだりなんかされたら……もう帰るなんて言える訳ねえだろ!


 そんな訳で、今俺達はドリスに指定された店へと向かっている。隣のクーナはいつになく上機嫌で、何かの拍子にスキップでも始めそうだ。

 ちなみにすれ違う野郎共の視線が以下略。こんだけ見られて気付かないってどんだけ自分に無頓着なんだ、こいつは。

 とりあえず、そういう奴らには漏れなく睨みを効かせておく。テメェらに見せる為の格好じゃねえんだよこれは!

 後でクーナには、もう無闇に足を出すような格好はしないようによく言い聞かせよう。そうしよう。

 そうこうしてるうちに、目の前に行列の出来た店が目に入る。俺はメモを見返し、店名を確認した。


「レストラン『アムール』……あったぞ、あそ……こ……」


 だがそう言って店を指差した直後、ある事に気付いて俺は固まる。そう……行列に並んでいたのは男女の二人連れ、つまりカップルばかりだったのだ。


「な、何かカップルばっかりだね……」


 隣のクーナも、少し戸惑ったように呟く。その時俺の目に、店の入口近くに立てられたボードの内容が目に入った。


『本日カップルデー! 男女二名でご入店のお客様は全品二割引&スペシャルドリンクのサービス付!』


(あんのアマアアアアア!!)


 思わず心の中で絶叫した。これ完全なる羞恥プレイじゃねえか!

 アレか? 俺を直接引き込む事に失敗したから今度はクーナを丸め込もうって腹か? 冗談じゃねえぞ!

 クーナもボードを見たのか、ほんのり顔を赤く染めている。……クーナには悪いが、どこか別の店を探して……。


「……どっか別のとこ行こっか」


 そう思っていると、不意にクーナがそう言った。こっちに向けられた顔は、ほんの少し悲しそうに笑っていた。


「サーク、こういうの嫌いだもんね。それに私達その……カップルって訳じゃないし。どっか別のとこで食べよう」


 クーナが、俺に気を遣ってそう言っている事はすぐに解った。……クーナに期待を持たせたくないなら、このままここを離れるのが正解なんだろう。

 今はまだ、俺はクーナの想いを受け入れられない。ならば余計な期待は、させるべきじゃないんだろう。


 なのに、俺は今――何でこんなに胸が苦しいんだ?


「……行くぞ」


 そう言って、少し乱暴にクーナの手を掴む。そしてそのまま、列の最後尾まで連れていった。


「え、えっ?」

「……男女の二人連れには違いないし、金も節約出来るし、今だけはいいだろ。カップルって事で」

「ふぇ!?」


 チラリと覗き見たクーナの顔が、一気に赤く染まっていく。そんな顔もたまらなく可愛いと思ってしまう俺は――どこまでこいつに溺れてるんだろうか。


「嫌なら、止めるけど。どうする?」

「……」


 言った後で、少し意地が悪かったかと後悔する。クーナは真っ赤な顔を俯かせていたが、やがて消え入るような声で呟いた。


「……嫌、じゃ、ない」

「じゃあ、決まりな」


 なるべく素っ気なく言い返した俺の胸は、言葉とは裏腹に、酷くドキドキしていた。



 列に並んで、暫く待たされて。案内されたのは、外の様子がよく見える窓際の席だった。

 俺と向かい合わせに座ったクーナは、ソワソワと俺と外を交互に見ている。俺の服がいつもの旅装束なのを除けば、恐らく俺達は立派な恋人同士として見られているに違いない。


 その事に少し――優越感を感じている自分がいた。


「おい、何頼むか早く決めろよ」

「うっ、うん」


 そんな気持ちを悟られないように、自分もメニューを開きながら俺は言う。……とは言え実は俺、こういうちゃんとした料理店で飯食った事ないんだよな。

 そういや俺達、こんな風に街を歩いて休暇を過ごした事あったか? 何もない日って、大抵足りないものの買い出しに行くか二人で寝て過ごすかのどっちかじゃなかったか?

 冷静に考えると、こんな生活によく文句一つ言わずついてきたなクーナ。クーナの歳の頃なんて、まだまだ遊びたい盛りだろうに。

 ……これからは暇を見て、時々街へ連れ出してやろう。俺は密かにそう決心した。


「サ、サークは何にするか決めた?」

「俺は鹿肉のソテーにトマトサラダ。お前は?」

「ええっと、えっと……デ、デザートって頼んじゃ駄目かな?」

「好きにしろよ」

「そ、それじゃあ……シーフードグラタンにチョコレートパフェ……」

「解った」


 頷いて、近くを通りがかったウエイトレスを呼び止める。口頭で注文を伝えると、ウエイトレスはそれをメモして奥に引っ込んでいった。


「……」

「……」


 自然と、会話が途切れる。元より、常に行動を共にしている俺達だ。改めてする会話など、ないに等しかった。


「……えっと……あの……」


 クーナを見れば、さっきから何か言いたそうにモジモジしている。だがここは無理に聞き出さずに、自然にクーナの方から言うに任せようと思った。


「あの……あのね」

「……」

「えっと……サークは……」

「……」

「サークは……こういうとこ、誰かと来た事あったりするの……?」


 やっと言葉を口にしたクーナは、直後に顔をみるみる朱に染めていく。そんなクーナの反応に苦笑しながら、俺は正直に言った。


「いや。そもそもこうして外食産業が発達したのは、ここ三十年くらいでの事だからな。誰かとどころか、一人でも来た事ねえよ」

「そ、そうなの!?」


 俺の答えが意外だったのか、クーナが目を見開いて驚く。それからクーナはどこか安心したような顔になって、全身を弛緩させた。


「そっかー……こういうとこ初めてなの私だけじゃなかったんだー……」

「実家にいた時、家族と行かなかったのか?」

「専属シェフが作ってくれたご飯と夜会で出る料理しか食べた事ないよっ」


 普通の人間にはそっちの方が経験がないんだが。言いかけたが、寸前で飲み込んだ。


「えへへっ、じゃあ私達、初めて同士だね!」


 それに、そう言って嬉しそうに笑うクーナを見てたらそんな些細な事はどうでも良くなった。ドリスの思惑通りに事が運んでるのは癪だが、ここに来て本当に良かったと思う。

 もっとこの笑顔を見ていたい。そう思って――。


「お待たせしました。こちらサービスのスペシャルドリンクになります」


 ――いられたのは、ストローが二股に分かれたビッグサイズのドリンクが運ばれてくるまでだった。


「……わあ……」


 クーナの頬が、また赤く染まる。こういう店に来た経験はない俺だが、この物体の意図するところは解る。

 飲めっつーのか。これを。二人一緒に。


「ど、どうしよう、これ……」


 クーナが困ったように、俺とドリンクを見比べる。俺は一つ溜息を吐くと、ドリンクをクーナの方へと押し出した。


「全部やる。飲め」

「うっ、うん。ありがとう……」


 そう言ってドリンクを手に取ったクーナがホッとしたように見えるのは、きっと気のせいじゃない。そうだよな。これは例え俺達が本当の恋人同士だったとしても、難易度が高い。

 それから俺達は運ばれた料理に舌鼓を打ち、満足してレストランを後にしたのだった。



「今日は我が儘聞いてくれてありがとう、サーク」


 レストランを出た後。どこに向かうでもなくぶらりと歩いていると、不意にクーナがそう言った。


「……別にいいさ、このぐらい」

「今日の事、私、一生忘れないよ。それぐらい楽しかった」


 本心からの言葉なんだろう、クーナの顔に嬉しそうな笑みが浮かぶ。それを見て、俺の胸がちくりと痛んだ。


 ――本当に、この時間をこのまま終わらせてしまっていいのか?


「……馬鹿だよなあ、お前」


 気が付けば俺は、そう口にしていた。すると案の定、クーナが頬を膨らませる。


「どうせ馬鹿ですよーだ。サークには仕方の無かった事かもしれないけど、私は嬉しかったんだからっ」

「そうじゃねえよ」


 そう言って、クーナに手を差し出す。頬が熱くなってるのが、自分でも解る。


「え……?」

「まだ、今日は終わってねえだろうが。勝手に終わらせてんじゃねえ、馬鹿」


 ……ああ、またクーナの方がまともに見れない。らしくない。今日の俺は、らしくない。


 今日だけは、このままクーナを独占していたいだなんて――本当にらしくない。


 横目で見たクーナは、限界まで大きく目を見開いて。その顔は、耳まで真っ赤に染まって。


「……うん!」


 それから、満面の笑みになって。俺の手を、しっかりと握り返した。



 楽しい時間は、まだ始まったばかりだ。

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