この想いはまるで恋に似て(5)


 気持ちの悪さが那岐の心を覆っていた。

「……なによ、あれ」

 嫌悪ではない。羨望・・から来るものだった。

 戦場にて戦う一人と一体の気持ちが理解できるからこそ、気分の悪さには拍車が掛かる。


 ――あの熱量は、那岐にはけして手に入らないものだ。


 心にあるものを広げてみれば、そこにあるのは純然とした羨望だった。

 対象に向けた情熱が、命を代償にした戦いが、敵対するものの感情を一心に集め、盤上に命を引きずり出していた。

 弱いからこそ、強いからこそできる行為。那岐が行ったこともない闘争の次元。互いが互いを想い尽すという理不尽。

「なんなのよ……あれは、アイツは」

 火神浩一を見ながら、那岐は両腕で己を掻き抱いた。その総身に満ちるのは空虚な情動と強い羨望。

 願っていたものの極地を見せられてしまえば自ずと理解が襲ってくる。

 自分には殺意と憎悪を一身に受け止めながら、なお歓喜に身を焦がすような真似はできない。

 しかし、その肉体を構成する四鳳八院が、那岐の心に訴えかけていた。


 ――取り込め、強い意志を。取り込め、強き願いを。


 あの熱量の傍に近づくことで、四鳳八院の願いは叶うのだと……。

 『殺害志向』――火神浩一の魂に宿るそれ。

 戦闘に対する強烈な意欲。想う者を振り向かせる強い意志。

 那岐は、侍に触れられた胸の奥を想う。

 どくり・・・、と心の奥で何かが熱を放っている。

 それが那岐の心身を疲弊させ、欺瞞と虚偽の奥に隠れていた心に火を入れていく。

 強い想いがそこにある。強い願いがそこにある。

 死にたくない、生きていたい、胸を張っていたいという感情。

 しかし本当にそれだけなのだろうかと那岐は考えた。

 もっと、別の願いが、別の想いが、心にはあったはずなのだ。

 那岐は自分自身にそこまで絶望していない。

 ただ己自身を想うだけならば、誇り高く生きようとする自分は、あそこまで取り乱すことはなかったはずなのだ。

 しかし虚飾を剥ぎ取られた今だからこそ、むき出しの生存本能に触れた後だからこそ、それを思い出すことはできなかった。

 生存本能は、強すぎる感情だ。

 他の感情がわからなくなる。

 未だ続く戦いを見続けながら、那岐は己の心に問いかけた。

(それでも、私の求める答えは………私の中にあるはずなのよ)

 あんなにも悩んでいたのだ。あんなにも考えていたのだ。

 疑念に心を乱され続けた日々はきっと無意味ではないはずだった。

 天の下に生きる全てを思い続けた己は、きっと答えを知っている。

 盤外にいる魔女は懊悩する。

 その胸の熱は、熱く、熱く、魂を焦がしている。


                ◇◆◇◆◇


「おおおおおおおおおおおおおおおおぉおおぉおぉおおおおおおおおお!!!!!!」

『ルウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンン!!!!!!』

 徒手空拳の浩一の動きは、相手の射線を惑わせようとジグザグに動く眩惑的なものでありながらも、その疾走の本質は、一切の無駄を取り払った直線的なものだった。

 だが、その疾走はまさしく死そのものへの猛突に近い。

 クシャスラの咆哮に含まれる殺意は特大だった。

 肉体の三割以上を破壊され、黄金竜の精霊の意識は駆除から戦闘へと変化している。

 浩一を見下ろすがごとく首を伸ばした四足の黄金竜クシャスラ

 その周囲に展開された魔法陣からは魔槍が次々と放たれ、射出された殺意の具現がフロアを蹂躙せんとする。

 爆音を伴い、強力な魔力で強化された中級魔法が上級魔法もかくやという猛りを持って浩一へと迫った。

 無手の浩一にはそれらを物理的な手段で払う術はない。

 無謀なる侍が致死の間合いに自ら飛び込んでいく。

 十の魔法陣から豪速で射出される魔槍の群れ。

 上空より迫りくるこの面の攻撃を防ぐには、ジグザグに走り、射線を惑わせるだけでは足りない。

 浩一の走る軌道に合わせ、魔槍の群れが驟雨がごとく降り注いだ。

 浩一の身体が、魔槍の群れに飲まれ――「ふッ――!!」

 地面を蹴り砕く勢いで浩一は背後へと跳躍する。

(回避成功――!!)

 そうだ、これがクシャスラの弱点・・だ。

 如何にクシャスラが浩一を見ようとも、その攻撃の性質を咄嗟に変えられるわけではない。

 機械的、無機質は精霊の短所にして長所・・なのだから。

(やはり狙いが正確になった分、避けやすい・・・・・――!!)


 ――そんなわ・・・・けはない・・・・


 これは近接戦闘においても達人の域にある戦霊院那岐が、回避を諦めるほどの命中補正が加えられた絶殺の魔法である。

 紙一重で回避しなければ、魔槍の群れは回避した浩一を追って永遠に追い続けただろう。

 それを回避するこの侍の肉体に蓄積された経験は如何なるものだろうか。

(だが、こんなことをしていたら永遠に近づけないぞッ――!!)

 回避はした。だが浩一の突進がベクトルを変えたことによりクシャスラより身体は遠ざかる。

 そして浩一もまた失策を犯している。

 浩一はクシャスラにこういったフェイントを見せすぎた。クシャスラが浩一の回避方法を、機械的な性質で理解し、受け入れる。

 ゆえに、直後に突進する浩一にクシャスラは魔法ではなく、竜の尾の薙ぎ払いを使い、退ける。

「くッ……」

 苦鳴を上げながら浩一が大きく後退する。この勢いと質量、当たれば死ぬ一撃だ。

 もちろん当たりはしない。動作は見えている。加えて元々は浩一はクシャスラを竜だと思っていた。

 油断はない、だが。

「近づけないか……」

 クシャスラの傍に落ちている月下残滓へと近づくことはできない。

 クシャスラはけしてそれをさせない。拾わせない。そうさせるだけの理由を浩一は作った。

『ルルルルォォォォゥゥゥゥ……』

 唸りを上げる精霊が浩一を頭上より見下ろしている。

 その目はしっかりと浩一を見ている。クシャスラは浩一の動きを見逃さない。武器を取らせようとはしない。

 だが、それだけではない。

 めきめき・・・・と骨を形成する音が響く。クシャスラに残存する魔力を用い、クシャスラは抉られた両翼を再生させようとしている。


 ――クシャスラは逃走を図ろうとしていた。


 浩一の口角が歪に釣り上がる。凶相とも言うべき表情で敵を睨みつける。

(ちぃッ――そうはさせるかよ)

 恐らく、クシャスラが向かおうとする先は精霊が攻撃的な守備を可能とする魔力溜まりだ。

 そしてこの場の魔力溜まりは恐らくあの玉座。

 浩一に魔力を感知する術はないとはいえ、クシャスラが最初に寝ていた場所を思い出せばそこしかなかった。

 当然、そこに陣取られれば浩一から勝機は永遠に失われる。

 今まであの竜が空を飛んでいたのは浩一を積極的に殺害しようとしたからに他ならない。

 恨みを持って守勢に回られればその防備を崩すのは万年掛かっても無理だろう。

 何せ、相手はほぼ無詠唱で魔法を扱えるのだ。

 それを打ち破るのにはもう今までの手段は通用しない。虚を突くことも、熱意で押すことも、相手の油断と慢心があってこそだった。

 そして、これだけ深い手傷を負わされた敵が浩一を格下に見てくれることなどありはしない。

 だからこそ、手負いのクシャスラを浩一はここで仕留めなければならなかった。


 ――浩一の頭から撤退しようなどという思考は吹き飛んでいる。


(……とはいえッ!!)

 降り注ぐ魔槍に対し、跳躍と疾走を繰り返して回避する。

 索敵即殺の効果で相手の攻撃に身体は慣れてきている。しかし、それは慣れているだけだ。

 ミキサージャブのときのようにはならない。

 あれは千や万を越えるアックスとの戦闘経験があればこそだ。あれだけの経験があったからこそ、一時的に上位互換たるミキサージャブを超越することができた。

 しかし、元々ランクの低い浩一は魔法と対決する機会が少ない。

 魔法を扱えるほどの知能を持つモンスターは少なくともBランクから上の存在になっている。

(それでもッ……)

 前へ、前へと進むしかない。

 逃走は放棄した。戦うことを選択した。そして、目の前の敵を殺す機会は今このときしかないとなれば、だ。

 やるしかないのだ。

 魔槍の群を掻い潜って浩一は突き進む。武器は持っていない。ゆえに攻撃ではなく、回避に全てを費やせばそれらを避けることはそれほど難しいことではない。

 月下残滓までは三十メートルもないのだ。クシャスラの直ぐ傍に月下残滓は落ちている。

 それを拾うことができれば後は得意の接近戦に持ち込める。持ち込めばあとはあれに勢い良く全力を打ち込めば終わりだ。

 それだけの、ことなのに。

(――……遠、いッ!!)

 浩一の口から苦鳴が漏れる。本気になったSランクの内側に入ること。

 あの竜を模した精霊は回復に力を回しているとはいえ、その攻勢にはなんら容赦を感じない。

 ミキサージャブ同様のSランク相応の脅威を肌で感じ取り、浩一はごくりと口中の唾を飲み干した。

 手段はない。浩一の手札は尽きている。

 それでも勝利のために、浩一は進まなければならないのだ。



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