過去と幼さは心に巻きつき(1)


『おいてめぇ歌月かづき、どこでそんなガキ拾って来やがった? 見たことねぇガキだぞ、おい』

 ふわふわとした意識の中、己に対する絶対的な自信、それだけで構成されたような男の声が聞こえた。

 それががこの世に生まれ落ちて最初に認識した音だった。

『そこの、だいぶ行った先にある山奥で歌月が見つけたらしい。僕は死体かもと思ったが、どうにも生命力が強かったらしいな』

 問う男に応える別の男の声。

 そちらには威圧すら感じられるほどの自信は見えない。

 しかし声の弱さの合間に、知性的な響きと陰鬱な音が見え隠れする。

 聞くものに声の主の意地の悪さを感じさせる声だった。

 舌打ち。先ほどの自信に溢れた方の男が怒声を放つ。


 ――どうやら、この場には三人の男がいるようだった。


 自分を背負っている男。

 問いかけてきた自信に満ち溢れた男。

 その男に対して意地の悪い返答をする陰鬱な男。

『ラインバァァァック! てめぇじゃねぇよ、陰険クソ眼鏡ッ。俺は歌月に聞いてんだよ。おいッ歌月。おいッナンバーワン、質問に答えろよ』

『ん、ああ、待ってくれ三十朗さんじゅうろうこれ・・の目が覚める』

 お、マジか、正常なのか? どやどや・・・・と声の主たちが近づいてくる。

 三人ではなかった。目覚めた知覚には、声を聞いたもの以外の気配が感じられ、ここにはたくさんの人がいるのだとは思った。

『眠り姫って感じじゃねぇなぁ』

『三十朗。これは少年だ。女ではない』

『わかってンッよ。ラインバァァァック! てめぇは俺に突っかかるのが好きだなおい? 俺のことが好きなのか? ああ?』

『冗談でも言ってくれるなよ三十朗。脳みそゴリラの知能指数0め。サル山男が哀れだから、この僕がわざわざ教えてやってるだけさ』

 怒声。何かが殴りかかる音。電子音らしきもの。怒声。悲鳴。慌てたような周囲の気配。


 ――どうにも、ここは騒がしい。


 誰かが目に暖かな光を当てたらしい。青い板が浮いているのが見えた。

 視界がゆっくりと広がっていく。白い天井。差し込んでくるのは文明的な照明……電灯か。

 名前も生い立ちも家族の名すら覚えていない少年が、最初に見たものは、自らへ微笑む男の顔だった。

『おはよう。名も知らぬ少年よ。この息苦しい苦界げんせに引き戻して悪かったね。さて、私はこの開拓シェルター【ヘリオルス】の責任者、東雲・ウィリア・歌月。よければ、君の名前を教えてくれるかい?』

 東雲・ウィリア・歌月。自分を抱えながら、微笑む男の素性を彼が知るのは、数日後のことだ。

 シェルター国家ゼネラウスに存在する最強の軍人集団、通称『ナンバーズ』。

 一人にして一個軍に匹敵するとされた、SSランクを越えた先にいるEXランクの軍人たち。

 その頂点であるナンバーⅠがこの男だった。

 人間が通常一色しか持たない色属性を五色持った、最強と呼ばれた人間。


 ――二つ名は『覇者』。


 その男の虹彩は紅、蒼、翠、真白、黒の五色が混じった不思議な色をしていた。

 だが、不思議と不気味さは覚えない。

 未だ名も無い少年は……は、その不思議な色の瞳を、茫洋とした視線で見返すことしかできなかった。


                ◇◆◇◆◇


 毛布を腹の上からどけた浩一は手を額に当てて、しばし茫洋とした目線で壁を見つめた。

「懐かしい夢だな……」

 随分と見ていなかったはずなのに最近よく見る、ぼやいた浩一はゆっくりと記憶を整理し始めた。

 まるで何かに急かされるように、過去の記憶を想起していた。


 ――『■■■■』……記憶にロックが掛かったように、思い出せない事柄がある。


 それはきっと過去の、このシェルターにいた時代の火神浩一が、知っていたはずのことなのだ。

(だが……このときのことは……)

 胸の奥に、消えずに残る憎悪が燃え盛っていた。

 忘れられない過去が、幸福な記憶を上書きしている。

 吐き出す吐息が熱い。精神を落ち着けながら、浩一は布団の上で懐かしい記憶を紐解いていく。

 ああ、火神浩一にも、何も知らずに未来を見ていた、幸福な時代があったのだ。


 ――それは聖堂院の乱から少し経ったときのことだ。


 名前も年齢も不詳の子供が、当時『ゼネラウス』シェルターから少し離れた位置に作られた、開拓シェルター『ヘリオルス』傍の山中にて拾われた。

 当時のゼネラウス最強の軍人集団である『ナンバーズ』の頂点、東雲・ウィリア・歌月によって。

 その子供は、親の名前も自分の名前も覚えていなかった。

 もちろん、育ったシェルターの名すらわからず、衣服や持ち物、細胞や魂のデータから捜索が行われたが、その子供の素性がわかるものは一切存在しなかった。

 そんな謎だらけの子供に生きていく環境と権利を与えたのが歌月だ。

 雪の兄である彼に何か目的があったのか、それとも何も持っていなかった子供を哀れんだのか、浩一には何もわからない。

 あの時、あの場所で、東雲・ウィリア・歌月は死んでしまった。

 故に、聞くことはできなくなっている。

 だがそれでも、浩一は何があろうと感謝だけは忘れない。

「あの人が俺に名前・・をくれた」


 ――ゆえに、憎悪はいつまでも続いている。


 布団から浩一は立ち上がった。

 寝巻き代わりに着ていた着流しをPADで契約している洗濯サービスへ転送し、浴室へ向かう。

 熱いシャワーを浴び、寝汗を流しながら浩一は思い出していく。

 当時、名前すらなかった火神浩一に、火神の性と浩一の名を与えたのは歌月だ。

 どうしてその名前をつけたのか浩一は知らないが、名前のなかった少年は、火神浩一という名前を与えられ、シェルターにて最低限の寄る辺を与えられた。

 寝る場所、食べるもの、着る衣服。

 全てを歌月が浩一に与えたのだ。浩一は、感謝してもしきれないほどのものを、歌月から受け取っていた。

「返せなく、なったが……いや、負債は増え続けてるようなものか」

 息子を失った母親の傍にいるべきだろうに、自分についてきてしまった、歌月の妹である雪の存在。

 彼女は浩一についてきて、学園都市で戦闘の勉強をし始めてしまった。

 歌月という優秀すぎる軍人を排出したが、東雲の家は学者の家系だ。

 だから研究者としてなら雪はもっと大成できただろうにと、浩一は疲れの滲んだ表情でため息を吐いた。


 ――最近ため息を吐くようになった。


 雪が傍にいれば、と考えてしまう。あの少女がいれば、浩一はあまり難しいことを考えなくて済むのだ。

 この状態で戦闘をすればきっとうっかり死んでしまうだろう。

 少し休養が必要かもしれなかった。

「そうだな。あの当時のことを時間をかけて調べてみるのもいいのかもしれないな」

 礼を言うべき人間は全て回った。受けておきたい講義も今日は特にない。

 ミキサージャブとの戦いで手に入れたものは、名誉や財産だけではない。

 浩一は過去の記憶を思い出しながら、ミキサージャブ戦の報酬アイテムの使い道を考える。

 開拓シェルター『ヘリオルス』を襲った十年前の惨劇。

 あれは当時、外からどんな目で見られていたのか。調べてみるのも良いかもしれない。

 忘れていたことを思い出す切っ掛けになるだろう。


                ◇◆◇◆◇


 学園都市の区画間をつなぐ自律装甲車。

 その車内に二人の男女がいた。

 それは浩一のアパートの前で浩一が出てくるのを待っていた戦霊院那岐と、もうそれに対して何かを言うことを諦めた火神浩一だ。

「戦霊院、いつから待ってたんだ、お前……」

「別に……今来たところよ」

「それはそういう使い方じゃない」

「えっ、そうなの? へぇ、そうなんだ」

 ショートパンツと薄手のシャツ、その上にリーンナイツ製の外套でパリっと決めた那岐は、相変わらず外に出たら他者から注目を浴びるような美人度だった。

 肌を晒している手足は、絹のようなきめ細やかさとシミひとつない純白を晒している。

 ちなみに那岐は今日も、いつもの薄膜装甲を着ているが、サイズや形を自由に変えられるのか、ソックスや手袋、帽子などの小物へ変化させていた。

 こんなもの・・・・・を浩一のような男が連れて歩くだけで世の男性から余計な妬みを買いそうだったが、浩一はそういうことは諦めていた。

 気にするだけ損だろう。

 いずれこのつながりも切れる。そうなれば嫉妬心を向けてくる者もいなくなる。

(しかし、こういう仕様だったのか、金持ちは得というのもまぁわからんでもないな)

 浩一は肌触りの良い革張りの座席を指で撫でる。おそらくAランクモンスターの革素材だろう。

 そう今回の移動手段は那岐がいるため、浩一が普段乗っているモノレールではない。

 金持ち学生用の四人がけの装甲車だ。

 といっても堅苦しい印象はない。

 最新式の防弾硝子に表示された外部カメラの映像からは外の景色がクリアに見えるし、備え付け冷蔵庫にはよく冷えたシャンパンが入っている。

 まるで自室にでもいるかのようにくつろいだ格好の那岐は、冷蔵庫から取り出したシャンパンを開け、備え付けのグラスに注いでいた。

「で、【下層資料室】ってあんた、私とダンジョンに行く気ないわけ?」

「ないわけじゃないが。ただ、なんだ俺も疲れている。休養は必要だ」

 ミキサージャブとの戦いは浩一に得難いものを多く与えてくれたが、それはそれとして休養は必要だ。

 もちろん毎日の鍛錬を怠っているわけではない。『索敵即殺』の効果で浩一の鍛錬効率は上がったが変わらず毎日刀は振っている。

 ダンジョンでの実戦は重要だし、索敵即殺に胡坐をかくわけではないが、以前ほど力の無さに対する焦りはなかった。

 もちろん、目標・・に力が足りないのは確かだが……現時点では、ことさらダンジョンに執着する理由がないのだ。

 浩一の課題タスクとしては、失われた記憶に関しての調査が優先される。

「運がないのかしら、私」

「八院に生まれた時点で勝ち組だろうに」

 浩一が呆れた声で言うと、那岐はグラスに口をつけながら、そうでもないと小さく呟いた。

「あんたみたいな奴らの方が、生きるのは楽かなってのは、考えるときもあるけどね」

「なんだよ。俺が何も考えてなさそうに見えるか?」

「別に、そうは言ってないわよ。ただ……そうね、何も考えずに生きられたら、それはそれで楽しそうかなって」

 言ってるじゃないか、と浩一は言わずに、ただそうか、とだけ返した。

 生まれながらの勝者にも悩みがあることぐらいは、浩一とて知っている。

「それで、浩一は何を調べるわけ?」

「ん、ああ、そうだな」

 答えようとした浩一は、いや……と首を振った。

 アリシアスならともかく、那岐に話すようなことではなかった。

「個人的なことだ。それより、今日はもう帰っていいぞ。本当に個人的なことしか調べるつもりはないからな」

「あのねぇ、私はあんたの、その個人的なことに協力するために付き合ってんだけど」

「そうか……そうだったな」

 車内の空気を若干悪くしながら、輸送装甲車は移動していく。

(このお姫様もさっさと諦めればいいのに)

 浩一は窓の外を見ながらぷりぷり・・・・と怒る那岐に曖昧に言葉を返す。

 そうして輸送車は第五区画へと入り、専用のホームでゆっくりと停止した。


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