ハナグモ遺跡 その7
「ここは……」
ベルが他の罠に注意しながら慎重に部屋に入り、その後をクロエとクヌギが追う。
部屋の棚には所狭しと何らかの瓶が詰められており、そのほとんどが液体で満たされていた。
そして部屋の中央には空のベッドが三つ並んでいる。
「誰かの工房のようだな…………。あまり褒められた研究をしているようではないが」
「診療所じゃなくて工房だって判断した理由は何ですか……?」
クヌギのもっともな質問に、ベルはその形のいい鼻をすんすんと動かしながら「匂いだ」と答える。
「この部屋に血の匂いがこびりついている。ただの治療するだけの場所ならこれほど濃く残るわけがない」
「血、ですか? 見たところそんなに大量の血液がこぼれているわけじゃなさそうですけど…………」
「もちろんしっかりふき取って消毒もされているだろうが、何度も何度も繰り返せばそれだけふき取れなかったものが残るだろう? そういう感覚だ」
そう言うとベルはしゃがみこんでベッドの下や床をじっくりと観察し始めた。
「この部屋にはまだ何かありそうだからな、手分けして探すとしよう。 …………クロエ、どうかしたのか?」
「……………………ん、大丈夫」
「そうか。無理はするなよ?」
「…………ん」
◇ ◇ ◇
クロエが部屋に入った瞬間、突然声が頭の中に響いた。
(クロエっ!)
あまりの大音量に耳を塞ぎそうになるが、自らの頭の中から聞こえてくる音に対していくら耳を塞いだところで効果はない。
(…………どうしたの、メア)
(どうしたの、じゃないわよ! あなたさっきまで私たちとの繋がりが切れていたでしょ!)
(…………ああ、そういえば)
(まったく…………。ところでここは?)
(…………わかんない)
部屋の中央ではベルとクヌギが何かを話し合っている。どうやらここは誰かの工房らしい。
(そうね…………。かなり危ない実験を繰り返しているようだけど…………なんかヤな雰囲気ね)
(…………ん)
「…………クロエ、どうかしたのか?」
そんな風にメアと会話しながら黙りこくっていると、ベルが呼び掛けてきた。
(まあクロエと再接続できただけで今は十分ね。また何かあったら呼びなさい)
(…………わかった)
「…………大丈夫」
「そうか。無理はするなよ」
「…………ん」
◇ ◇ ◇
「しかし、ここで何の実験をしていたのか気になるな」
「さっきの
「なら聞くが、このベッドにさっきのデカブツが乗ると思うか?」
「…………無理ですねすいません」
「なぜ謝る。…………ところでクロエ、さっきからずっと黙っているが本当に大丈夫か?」
「……………………ん、ちょっと気分が悪い、から外にいる」
「…………? ああ、わかった」
そう言ってどこかフラフラとした足取りで出ていくクロエを見て、クヌギがベルに声をかける。
「あの…………、私クロエさんの様子見てましょうか? なんだか苦しそうでしたし…………」
「そうだな…………。ああ、頼んでもいいか?」
「はい! 任せてください!」
「途端に心配になってきた」
「ひどい!」
ひどいと言いながらも笑うクヌギが部屋の外に出るのを見届けた後、ベルは先程までクロエが調べていた棚を調べ始めた。
(扉に罠はなし、と)
そのまま扉を開くと、無造作に手を突っ込んで瓶を一つ取り出す。瓶は小さな紙を張り付けることでそれぞれ分類されているようで、中にはどろりとした粘性のある青緑色の液体が入っている。
「…………なるほどな。道理でクロエの気分が悪くなるわけじゃ」
誰もいないことをいいことに普段の口調に戻しつつ、さらに棚を漁っていく。そして棚の一番奥、入れた本人でさえ容易には取り出せないところにそれは存在していた。
『
『竜』
『天使』
『悪魔』
紙だけ張り付けられた空の試験管。それだけがベルの手の中でひび割れた。
◇ ◇ ◇
「大丈夫ですか、クロエさん」
「…………クヌギ」
部屋を出てすぐ脇のところで、クロエはしゃがみこんでいた。そんな彼女に、真上から声をかける。
先程あの合成獣を殺した人物と同じ人物であることが信じられないほど、その姿は弱々しかった。
「何か、あったんですか」
「…………ちょっとした、おもいで。…………捨てたはずの、おもいで」
「…………そうですか。思い出なら、仕方ないですね」
「…………?」
どこか不思議そうな顔をするクロエの姿が、昔紹介されたコノハの妹の姿にふと被って、慌てて頭を振る。
「ほら、思い出って自分だけのものじゃないですか。だから自分が忘れない限りずっと隣にあるんですよ。そりゃあ誰かに話して共有することはできますが、それを一寸違わず語ることなんてできません」
ですから、と言葉を区切ってクヌギは続ける。
「あまり気にしすぎると、体に毒ですよ」
「…………それは、そう」
「あはは」
笑うクヌギを見ながら不満げな表情を浮かべていたクロエは、唐突に鋭い視線を通路の先に送る。
「っ、どうかしましたか」
「…………キメラが、来る。…………じゅんびしろ」
「!」
その言葉のすぐ後に、通路の暗がりからキメラが飛び出してくる。二人は得物を手に、襲い掛かってくるキメラを捌いていく。
通路がそれほど大きくないので一度に来る数は多くないが、キメラは継続して襲い掛かってくる。
「まだこんなに残っていたんですか!?」
「…………泣き言は、あと。……大物がくるぞ」
「っ……はい!」
その言葉通り、味方のキメラをもひき潰しながら大型の個体が現れる。先程現れた超大型の個体に比べれば小さくはあるが、筋肉を圧縮していることが遠目にもわかるほどの存在感を放っていた。
「…………わたしが先行する。…………サポートは、まかせた」
「がんばります……」
「…………ん」
そう言ってクロエは前方に駆け出すと、大型キメラの前にその身を晒す。キメラは突然目の前に現れた小さな人間に驚くそぶりも見せず、大槌のような腕をクロエに向かって振り下ろした。
「…………ふっ」
クロエは息を一つ吐く間に、首、肩、手首、胴体に流れるように斬撃を加えるが、キメラは意に留めることなく腕を振り下ろす。その腕の下を通り抜けるようにクロエは近づくと、そのまま足を斬りつける。
しかし、付けられた傷はすぐに塞がり、すぐさま蹴りによる反撃が襲ってくる。それを飛びのいてかわしたところに右腕が振り下ろされるが、突然キメラが体勢を崩し狙いがそれる。
クヌギが投げつけた短刀によって体勢を崩されたキメラの隙を逃さず、クロエは腕を斬りつける。今度はその傷が塞がろうとする前に傷の上から斬りつける。
これにはキメラもこたえたようで、口から低い唸り声を響かせる。キメラはクロエを潰すように腕を横に振るうと、拳を壁に叩きつけた。
「…………傷がつかないわけじゃないけど、今のままだと殺すのは、骨がおれそう」
一気に後ろに飛んでクヌギのそばまで戻ってきたクロエが、ぼやくようにつぶやく。
「うーん、痛覚はあるようですし、何回も斬りつけるしかありませんかねぇ。回復にも魔力を使っているはずですし、いずれ限界が来ると思うんですが」
「…………むぅ、クヌギ、あれの注意をひきつづけられるか?」
「何か策が?」
「…………あんまりよろしくはないけど、めんどくさい」
「……でも、勝てるんですよね?」
「…………ん」
「ならやりましょう」
「…………たのんだ」
そう言うと、クロエはキメラの群れの中に突っ込んでいく。そのまま小型のキメラを斬り裂きながら大型の前に飛び出し、そのまま周囲を走り出す。
その様子を確認したクヌギは、近寄ってくる小型キメラを手に持った大釘でけん制しつつ、短刀を投げて大型キメラの気を引こうとする。しかし自分の周りを走り回っている小さな影の方が脅威だと感じているのか、キメラはなかなかクヌギの方へ注意を向けようとしない。
「安請け合いしましたが、案外きついですよこれは……!」
今のところクロエの速さの方がキメラのそれを上回っているため攻撃を受けるということはなさそうだが、それもいつまで続くのか分からない。
「なんとかしてあのでかいのに私の方がクロエさんよりも脅威だと思わせないといけないようですね…………え、それって難易度高くないです?」
独り言をつぶやきながらも淡々と正確に短刀を投げつけていくクヌギだったが、その短刀も無限に存在しているわけではない。
「私接近戦とか苦手なんですよね……」
ついに手持ちの短刀を全て投げ切ってしまったクヌギは、大釘をさらに長くして槍のように使って周りのキメラを殺しつつ大型キメラに近づく。そのまま槍のように突き刺そうとするが、さすがにそれはかわされる。
しかしクヌギは顔色を変えずに大釘を振るう。たまに釘がキメラの肌をかすめるがその傷はすぐに塞がってしまう。
「うーん、まあ私の実力じゃこれが妥当ですよねぇ」
それを何度も繰り返しているうちに、傷をつけずに周りを走るクロエよりも実際に傷をつけてくるクヌギの方が邪魔だと認識したのか、キメラの攻撃がクヌギに向けられ始める。
「やっとこっちに注意を向けやがりましたか…………って喜べる状況じゃないですけど」
振るわれる腕や脚をクロエほどではないが危なげなく避けていくクヌギは、キメラの後方でクロエが剣を構えているのを確認すると振るわれた腕を受け流すようにして体勢を崩させる。そしてそのまま横に飛んでクロエの攻撃に巻き込まれないようにする。
クロエは肘を目いっぱい後ろに引いて剣を担ぐように構え、クヌギがキメラの体勢を崩させた瞬間、思い切り地を蹴った。
魔力を足裏で爆発させることでクロエは速度を上げると、一直線にキメラの心臓を剣で貫いた。
クロエの剣はもともとは聖剣ではあるが、今はベルによってその能力が制限されているため『魔を祓う』ことはできない。しかし、この剣は魔力を収束する剣でもある。つまり、クロエの意思一つで周囲の魔力を奪うことができるのである。
その剣を生物の魔力を生み出している心臓に突き刺せばどうなるか。その答えはすぐに表れた。
「なるほど、これが策でしたか」
「…………ん」
目の前には、首と腕を斬り飛ばされたキメラの死体が転がっていた。再生力だけでなく、皮膚の硬質化にも魔力を使っていたキメラは魔力をクロエに吸われたことでどちらも使えなくなり、すぐに二人の手によって物言わぬ死体に変えられた。
そうして二人がベルのいる工房の方に戻ろうとした時だった。
「なるほど、侵入した者がいるというのは気が付いていたが、ここまでの手練れだったとはな」
キメラの死体の陰から、一人の白衣の男が歩き出てきた。神経質そうな顔と目の下のクマが目を引くその男を見た瞬間、クロエが明確に顔をゆがめる。
「初めまして、侵入者。俺はギルベルト、勇者を最も憎む男だ」
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