第17話「テレス・ハンス」



 先程私達が歩いていた森まで戻ってきた。あの深い霧はいつの間にか消えている。再び闇の世界を映し出す森。私達は木々の間を潜り抜け、反対側の出口を目指す。きちんとプチクラ山のハイキングコースに出られる出口だ。


「……ダメだ、出口が見つからない。さっきの霧で、完全に方向感覚を失われたらしい」

「嘘!? 本当に迷ったってこと? どうすんのよ!?」


 さっき既に迷っていたのに、いい加減現実を認めた哀香ちゃんは、この上無いほど慌てていた。時刻はもう午後9時42分を指している。パパやママも心配するどころの騒ぎではないだろう。


「一旦さっきの街まで戻ろう。今日はもうどこかに泊めてもらうしかないよ。いつまでも森を歩いてたら危険だ」

「はぁ……仕方ないわね」


 私達はとぼとぼと来た道を戻っていく。さっきのおかしな街までは、なぜか迷うことなくすんなりと戻ってこられた。まるで何かに導かれるかのように。

 二度見ても慣れないおかしな街の家と人々。私達は明かりの少ない道の真ん中を歩く。お尋ね者のように足を動かす。歩けば歩くほど、家の明かりが一つ一つ消えていく。


 コンコン

 蓮君がまだ明かりのある家のドアをノックする。中からは中年の夫婦が出てきた。


「何だい? 君達は……」

「すみません、一晩泊めていただけませんか?」


 蓮君が凍えそうな声でお願いする。夫婦は困り顔で答える。


「悪いけど、うちには子どもがたくさんいるんだ。他を当たってくれるかい?」

「わかりました。すみません……」

「本当にごめんね」


 夫婦は静かにドアを閉める。諦めて次のお宅を訪ねに行く。街の明かりはさっきよりも更に減っていた。


「悪いな、うちにはそんな余裕ない」

「君達、家出かい?」

「子どもだけってのはちょっとなぁ……」

「見慣れない格好ね。あなた達、旅の人?」

「ガキはとっとと家に帰れよ」


 手当たり次第に訪問し、一つ一つ断られた。確かに、こんな怪しい子どもをいきなり家に泊めるというのは難しい話だ。

 そういえば服装のことを指摘されたけど、そんなに珍しいかな? 私達にとっては、この街の人達の方が変わってると思う。悪い意味ではないけど。




 グウゥゥゥゥゥ グウゥゥゥゥゥ

 またお腹が鳴った。今度は哀香ちゃんと蓮君だ。


「お腹空いた……」

「とりあえず、まずはご飯が食べられる場所を探そう」


 私達は食事のできるお店を探した。とはいえ、時刻はもう午後10時を大きく過ぎている頃だろう。レストランどころか、住民の家まで明かりが点いていない。どこの建物も閉まっているのが目に見えた。辺りは真っ暗闇だ。

 それでも私達は明かりを求めてひたすら歩いた。三人で体を寄せ合って、恐怖で凍える体を温めた。端から見れば孤児の集団だ。何とも大変なことになった。


「あっ、あそこ!」


 蓮君が何かを見つけた。彼の指差す方向に顔を向けると、明かりの灯った建物が見える。屋根の上にある大きな看板には、赤い文字で「Teles・Hans」という文字が記されている。テレス……ハンス?

 そして、その文字の上に小さく「Bar」と言う文字が見える。バーということは、居酒屋?


「もうこの際居酒屋でもいいわ。行きましょ!」


 哀香ちゃんは居酒屋目掛けて駆け出した。


「あ、哀香!」

「哀香ちゃん待って!」


 私と蓮君も後を追う。




 バーン

 哀香ちゃんは豪快にお店のドアを開ける。中は強面のギャングのような男の人達で、席が埋まっていた。ギャング達は一斉に私達に視線を向ける。

 さっきまで盛り上がっていた様子らしいけど、私達の乱入で店内は急に静まり返った。あまりのギャング達の顔の恐ろしさに足がすくむ。子供だけで来るべきところではないことは明らかだった。


「あ、えっと……その……こんばんは……」


 哀香ちゃんはおどおどしながらも、ギャング達に手を振る。彼らは何も返さず、ジト目でこちらを見つめ続ける。怖い……。


「いらっしゃいませ! 空いてる席にお座りください!」


 メイド服を着たウェイトレスらしき女の人が、大量の食器を抱えながら言う。見ればわかる通り、お店の中はたくさんのお客さん(もはやギャングしかいないけど)で溢れており、入ってくるお客さん一人一人にいちいち接客などしてられない様子みたい。


 周りを見渡すと、何人かのウェイトレスさんが食器を抱えてホールとキッチンを何度も行き来していた。見るからに忙しい。それにしても、バーにメイド服なんて変わった組み合わせだ。


「失礼します……」


 お店を選んでいる余裕はない。ここで食事を済ませよう。私達はギャングの座っている席の間を通り抜けながら、一番奥の席へと向かう。すれ違う度に感じるギャングの眼差しが怖い。逃げるように私達は席に座る。やっと落ち着ける時間が確保できた。


「はぁ……疲れた……」


 蓮君は背負っていたリュックを座席の下に置き、体の力を抜く。空気の抜けた風船のように縮こまる。


「ねぇ、さっき思ったことなんだけど……」


 哀香ちゃんがふと口を開く。


「何?」

「見たことない街に見たことない格好の人々……もしかしたら……」


 哀香ちゃんが再び探偵の風格で状況を考察する。




「ここは私達のいた場所とは異なる世界……異世界かもしれないわよ」

「異世界!?」


 私は声をあげて驚く。近くの席にいたギャングが、こちらに振り向いたような気がした。すぐに私は口を押さえ、知らないふりをする。無理があるかな?


「異世界? まさか、ラノベの読み過ぎだよ。哀香ったら、オカルトの類は疑うくせに、そういうのは信じるんだから……」


 蓮君がテーブルに手を乗せながら言う。異世界というのは、あれだよね? リゼロとかこのすばにあるような、剣や魔法が出てくるファンタジーの世界だよね。

 そういう類のラノベは、少し前に陽真君から借りて読んだことがある。哀香ちゃんが言うには、この世界がまさにそれだという。


「アンタだって読んでるくせに。ていうか、そうじゃないと説明がつかないでしょう?」

「それはそうだけど……本当にそんなことが現実的にありえるの?」

「信じない限り話は進まないでしょう? さっさと認めなさいよ」

「わかったよ! それで、なんでこんなことになったんだ……」


 二人が色々話している間に、私は改めて周りを見渡す。パスタやチャーハンをほおばるギャング達の腰に注目する。そこに携えているのは……小型のナイフだった。

 驚いた。あんな物騒なものを堂々と持ち歩いているというのに、他のお客さんやお店の人は何も注意しないのか。


 ということは、この世界でそのようなものを持ち歩くことは、普遍的なことなのか。私はカルチャーショックを受けたような気分になる。いつの間にか、ここが異世界であるということを前提に物事を考え始めている。


「うーん……」


 それにしても、陽真君を捜しに来たつもりが、まさかこんなことになってしまうとは。世界って不思議だなぁ。異世界なんて本当にあるんだ。陽真君が聞いたらきっと驚くよ。でも、やっぱりそんなことあるわけないだろうって馬鹿にされるかな?


 いや、陽真君ならきっと信じてくれるかも。「それすげぇじゃん」と、オーバーなリアクションをしてくれるかもしれない。陽真君もファンタジーやオカルトチックな話題が好きだったから。


「……」


 そういえば、陽真君とはもう二週間も話をしていない。行方不明だから当然のことだけど。電話も繋がらず、可能性のある場所を捜しても見つからない。この現状がこのまま当たり前になってしまうのが怖い。私はテーブルの上にうつ伏せになった。


“陽真君に会いたいな……”


 この頃いつも思うことが頭を過った。ギャング達の賑やかな声はいつの間にか復活し、私を現実へと引き戻してきた。


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