性錯誤者の果て



 V型8気筒のVortecエンジン。6000ccという巨大な排気量を持つ車はただでさえ珍しいのに、車体が派手なピンク色とくれば乗っている人物はこの街で2人といない。


『250 5th』の店頭に停車したハマーから、ロングコートを引きずってシトラスが降りてきた。彼女――失礼、彼はこの店の常連だが、いつもならもっと遅い時間に現れる。今日彼をこのバーに駆り立てたのは、いつもより多めに飲んだMDMAのせいだけではなかった。


 彼の胸の中には、いつもは感じないときめきがあった。今日この時間、ここにくればあの人・・・に会える。心の中の声が強い確信を呼び覚まし、眠れないシトラスの足をバーに向かわせたのだった。


 シトラスは頭髪と同じピンクに塗った爪を使って、自らの期待で大きくなった股間を優しく掻いてあげた。「待ちなさい。もうすぐよぉん、あなた。もうううすぐううう、満足させてあげるんだからぁ」


 滴る唾を飲み込みながら、シトラスはナメクジのようにずるずるとバーの入口に歩いた。


 ドアを開けた彼は、さっそくギョロついた目で店内を捜索した。そしてちょっぴり落胆した。目的の人――メイヴィスを発見できなかったからだ。さすがに早すぎたようだった。彼は落胆を隠しもせず、不機嫌な様子でカウンターにおもむき、椅子のひとつに轟音をたてて座った。


「あんた、頼んだわよん」シトラスは胸元から札束と青色の液体――眠りをもたらす薬を取り出し、隠しもせず店員に渡した。バーテンダーはそれらを受け取ると、代わりにシトラスの酒を用意して、静かに離れていった。


 シトラスの酒のペースがどんどん上がっていった。早すぎた、が彼の中で定刻になり、やがて大幅な遅延になった。真っ赤な灰皿に積まれるタバコの量が、シトラスの焦りと怒りの量に比例して、増えていった。


 それでもシトラスの望んだ女性は現れなかった。だんだんと客が減っていき、音楽が止んで、店は店員とシトラスだけになった。


 切れた薬への欲求と満たされない失望のおかげで、シトラスの指の震えは止まらなくなっていた。


 店員はずっと躊躇していたのだが、意を決してシトラスの前にやってきた。そして小さな声で、そろそろ店を片付けたいと告げた。


「……あなた……ケツの穴かっぽじられる前に、私の前から消えなさい……」


 店員は命と貞操の危険を感じ、シトラスに最後の酒をサーブして、早足で店の奥へと消えていった。


「ふっっっざけんじゃないわよぉぉぉぉぉ!!!!!」シトラスは鬼の形相で叫んだ。そして出された酒を一口で飲み干すと、空になったグラスを店の床に叩きつけた。


 怒った肩が激しい息遣いと興奮で上下に揺れていた。離脱症状のせいか、顔中から球のような汗が吹き出ていて、首から襟元からまでがびしょ濡れだった。


 シトラスは急激な酸欠状態になった。ふらついてカウンターに手をつく。すると彼の指に何かがぶつかった。それまでずっと座って飲んでいたのに、焦りと苛立ちでその存在に気づかなかった物があった。


 シトラスの隣りの席には誰かが座っていた痕跡があった。片付けられていないテイスティング・グラスと吸いかけのタバコの乗った灰皿。そしてシトラスの手にぶつかったウィストン・キャビン・レッド8の空箱がふたつ。


 さらにそこには、まるでに彼の為に差し出されたかのように、シトラスの方を向いた一枚のビジネスカードが置かれていた。


 呆然とした表情のまま、シトラスの指がそのビジネスカードをつまみ上げた。見えるように目と目の間に紙片を持ってきたので、シトラスの顔が極端な寄り目になった。


 そこにはありきたりTimes New Romanのフォントで会社名とメッセージが書かれていた。



  ラブ・メイクス・ア・ファミリー

 

  あなたの家族ファミリー


  ご自分で用意しませんか?


  ドナーと未来の母を結びつけます


  ご用命は当社まで


  インディアナ精子バンクICB

  TEL XXX-YYY-ZZZ 

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