水泳嫌い
水田教員の顔色がどうも良くない。元気がないのだ。
主任教師の後藤は、新任の先生が悩んでいる原因に気づいて、なんとか助けてやりたいと思った。
「君が困っているのは、夏の水泳授業のことだろう?」
水田はうつむいたまま返事をしない。
「やはりな」と、後藤は笑った。
「どうしてわかったんですか?」
水田の問いに後藤が答える。
「君の悩みなどお見通しだよ。こう見えても、感は鋭いほうさ」
水田は泣きそうな顔になっていた。
「あの、そのこと、知っているのは先輩だけですか?」
「たぶんそうだろう。でも、大丈夫。誰にも言わないよ」
嘘だった。
いくら隠そうとしても、学校中で、水田先生の髪の生え際の不自然さに、気づいていない者はひとりもいない。先生も生徒もうわさしている。ばれていないと思っているのは本人だけなのだが、そんな現実を今ここで口にするのはあまりにも残酷だ。
「でも、ひとりだけ水泳授業に出ないというのは、教師としては失格ではないでしょうか?」
不安を隠せない水田に、後藤は薄くなった自分の頭を掻いてみせた。その動作が、カツラを連想させるかもしれないことに気づいて、あっと手を止めた。
先輩として、この新人教師をできるだけ傷つけたくはなかった。後藤は慎重に言葉を選びながらいった。
「心配はいらないよ。校長には私から伝えておくから、当日は見学していたまえ。実は私も今でこそこれだが……」
いいながら、後藤は自分の頭をつるりとなでた。
「昔は、やっぱり君のように隠していたものだよ。だから君の気持ちは理解できるつもりだ」
「まさかそんな、先輩も仲間だったのですか? りっぱな人間にしか見えませんが」
「いや、君と同じさ。でも内緒だよ」
後藤はおおげさに笑ってみせた。それに安心したのだろう、水田の表情がぱっと明るくなった。
「隠しとおすというのは、本当に苦しいものです。水の中に入ると、どうしても正体がばれてしまいそうで怖いんですよ。今までの苦労が水の泡……」
「わかるよ」
「ほ、本当ですか、ありがとうございます」
と、突然、水田がカツラを取った。その前に、後藤は気づくべきだった。
人の秘密に深入りしすぎたことを……。
驚愕する後藤に、水田はなれなれしく擦り寄った。
「あの……先輩、いくら切っても指と指の間に膜ができてしまうんですけど、何か良い方法ないですかね?」
なんと、思わぬところで仲間を見出した水田は、今度は水かきの除去方法について、後藤に相談し始めたのである。
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