青春カプリチオ(12/15更新)
狂言巡
呉越同舟
「大人しく出すもの出せばよぉ、痛い目みねェぜ?」
黒いVネックの長袖シャツにゆったりとした茶色のカーディガン、紺色の細身のパンツを履いた少年――
月光は今、路地裏に居る。薄暗く何処か異臭を放つ其処は、ケバケバしく騒がしい表の繁華街とは対照的で、後ろ暗いことをするのに打って付けの場所だ。月光の背中にあるのはドドメ色の陰気な壁。左右には少年グループの仲間が扇形に広がり、逃走経路を塞いでいる。
――ここまでくれば、普通の神経をもつ人間なら青くなる事は必至だろう。そもそも『真面な』人間であれば、こんな事態に発展したら瞬間接着剤如くその場に固まるだろう。だが、一介の未成年である以前に、人間としてどこか普通ではない彼である。むしろ、冷静に淡淡と少年らの数を眼鏡の奥にある目で数えていた。
(……男が四人に、女が一人か)
少なくはないが、決して多くもない数。次に戦力を見る。月光の脇に片腕を付き、壁に押し付けるようにして威圧をかける少年は、先程から鼻息荒く、妙に興奮気味である。まだ場慣れしていないのだろう。
一方、少女を含む三人は、何度もこのような恐喝を繰り返してきたのか、楽しむ余裕まで窺えた。そして扇形の線を少し外れた後方。生まれつき恵まれた体格なのだろう、ガッチリとした体躯の男が一人。こちらは、この中では唯一成人しているように見える。つまり、こいつがリーダー格であることは間違いない
「オレたちお金ないんだー。だから、ねェ? わかるっしょ?」
「ほら、キレーな顔にキズがついても知らないよ~」
「えー、ナニそれアタシよりキレイってことォ~?」
「まあ俺はこっちのが好みかな」
「ナニお前、ホモだったの? いやバイか? 掘る? 掘っとく? ぎゃははっ」
「いやーでもこンくらい美人なら一度くらい――」 「うっわ真性かよ。マジドン引き。ひゃはははは」
カモが一言も発さないのをいいことに、ニタニタと楽しそうに笑って頭の悪そうな――いや、実際悪いのだろうが――会話をする少年たちプラス少女。おそらく、月光が恐怖で固まっているとでも思っているのだろう。だが残念である。彼らの予想とは裏腹に、彼の無駄に皺が寄った脳味噌の中では、昔なつかしの飴色の算盤が素早く弾かれていた。
「……よくて一人五千円……ね」
「あ? なんか言ったか?」
「いいえ、こっちの話です。気にしないで下さい」
合計二万五千円。一日でそれだけ儲けられたらそれなりの利益である。それに、彼らはコレが恐喝行為の初犯ではないのは明らかだ。それなら、もう少し懐の中身を期待してもいいだろう。
(クク、)
にたりと、月光は、誰にも気付かれないように口の端を吊り上げた。自然な動きでスタンスを広げ、膝を軽く曲げる。しかし。
「――ちょっとお待ちなさい」
突然割り込んだ声に、攻撃へ重心を傾けていた月光は構えを解いた。独特の口調。聞き慣れた聖歌隊のようなアルト。そしてどうやらその制止は月光にではなく、彼を囲っている少年たちに対するものだったようだ。
「あ? なにアンタ」
割と若い声だったからか、五人を代表して少女が一歩踏み出した。ポケットに手をやったところを見ると、そこに己の武器でも入れているのだろう――大方ナイフか何かだろうが。そんな威圧的な声にもまったく怯むことなく、地面を踏みしめながら先程の声の主は姿を見せた。細いシルエットが、その姿を曝す。
「……あ?」
そして、月光以外の誰もが、怪訝そうに眉を寄せた。そこに現れたのが、月光より更に華奢な人間だったからだ。黒のスキニーパンツを履いた長い脚。ビーズがくっついた黒キャミソールの上に羽織った皮のジャケットには、まっしろなファーがかかっている。そしてなぜか額に眼鏡をひっかけた黒髪碧眼の美少女。知る人ぞ知る麗人、月光の通う学校の姉妹校の生徒、
「その子を放しなさない」
「……痛い目みてェのかお嬢チャン」
普通の人間ならば、このような事態と関わりを持たないよう避けて通るか、せいぜい警察に通報するくらいなはずだ。だが残念なことに、可憐という美少女は普通のオンナノコではないのである。おそらく男の影になって、未だ
「いいからそのうす汚い触手をどけ……うげっ」
「やあ。偶然ですね可憐ちゃん」
挨拶代わりに軽く手を掲げて笑った月光を、可憐は【て】の部分で思い切り嫌そうな声を上げ、白い頬をひくつかせた。そして、あっさり躰ごと反転。
「お邪魔してしまいましたわね、御機嫌よう」
「待ちなさい。それが現在進行形で悪漢どもに絡まれているセンパイに発見した際の正しい行動なんですか?」
月光はもちろんその偶然を逃がすはずはなく、細い手首をがっしり掴む。
「ごめんあさーせわたくしまぁったくこれっぽちも知りませんわーなんも見てませーんなんも聞いてませんものー」
「今更ですよ。ぶっちぎりアウトです。観念して下さい。すみません、僕の代わりにこの
「ちょ、ま、こんな手弱女に面倒事を押し付けようとしてますの。というか盾扱いですね? ふざけないでくれません?」
「だってこのままだと僕は殺られてしまうし、ねえ?」
「ってナニちゃっかり後ろに隠れてんだとんちきピエロォォォ!!」
超棒読みの台詞と、嫌悪感タップリの罵声でいきなり始まった、異様なやり取り、というか、ドツキ漫才。少年たちが呆然としているうちに、あっさりと包囲網をすり抜け、可憐の背中に身を隠した月光。可憐の肩を掴んで前に押してはいるが、月光の方が背が高いので全く隠れきれてはいない。いくら双方とも高レベルの美形であっても、滑稽な構図である。
「嫌ですわよ。わたくしマジ二000パーセント関係ないではありませんか。もう帰りますから、アイアムバックホーム」
「そんな冷たいこと言わないでほしいですね。困っていた僕を、わざわざ、助けに来てくれたのでしょう?」
「嫌ですわ、わたくしはてっきりカヨワイお嬢さんが絡まれていると思ったから助けに来ましたのよ。彼方なんかにモロゾフのプリンを一ダース差し出され立ってわたくし助けるもんですか。こんな茶番に参加するだなんてヘソがお茶を沸かせましてよ!」
「酷い良い様じゃないですか。男尊女卑を肯定する気はありませんが、女尊男卑もどうかと思いますよ」
「お黙りなさいピエロ! こんな集団にイイように囲まれて脅されて、情けないと思いませんの! お母様が聞いたらきっと大層お嘆きになりましてよ!」
遂に可憐が肩の拘束を外して、月光に掴みかかろうとした時だった。
「お、お前ら逃がさねェぞ!」
あっさりカモ一号を逃がしてしまったことに慌てたのか、月光達に向かって少年――可憐曰く【こんな集団】ーーが拳を振り上げた。
『逃がさねェ』
今さら宣言されても、月光と可憐に逃げる気など、あるわけがないのだが。
「では、頑張って下さいね」
「へっ?」
ぽんと、月光は可憐の背中を軽く押した。その勢いで額の眼鏡が地面に墜落したが、気にしている時間はない。可憐の躰はすでに、殴りかかってきた少年の前にあったのだ。碧眼に少年が映り、可憐はわずかにそれを細めた。少年は急に止まらない。否、止まれない! 可憐は反射的に向かってくる少年の手首をひっ掴み、勢いを流れるように下へと受け流した。そこへ右足を大きく弧を描くように滑らせて懐に入り、円運動を加えた掌底で顎を下から跳ね上げる。
かっくんと、それは大変綺麗に決まったので男の膝が折れた。力の抜けた男かが崩れ落ちていく様は、まるで糸の切れた操り人形のように呆気なかった。可憐の洗練された無駄のない動きに、月光は賞賛の意を込めて口笛を吹く。
「スバラシイ……今の中国拳法ですか?」
「はァ? 少し見ただけで何でも中国拳法と決めつけないで頂きたいですわねー。空手も柔道も習得済みでしてよ? ああ、ほんの少し少林寺拳法も嗜みましたわ。マイシショーは
「ああ、あの
「さあ?」
「さあって、せっかく姉さんの幼馴染に教授頂いたものを忘れたんですか? 若年性アルツハイマーの前兆ですかね?」
「サングラスを目玉にめりこんでほしいんですの? うーん? 決まればなんでもイイじゃないですか。躰が勝手に動きましたの」
「…………」
――躰が、勝手に。それで、達人級の足さばき。他校でも名を轟かせる無双女王様は、笑顔だけでなく戦闘能力も伊達ではなかったようだ。
「そもそもですね? オンナノコを男の拳の前に突き出すなんてありえませんわよね常識外ですわ」
「大丈夫です、君はその範疇のオンナノコではないじゃないですか」
色んな意味で。
「それに眼鏡……あーもう、壊れてるじゃあありませんか!」
「君は眼鏡をかけていないほうが可愛いですよ?」
月光はさらりとフォローの皮を被った追い打ちをかける。これが少女漫画、もしくは萌え系恋愛ゲームであれば『なっ……』相手は言葉を失い、耳まで朱に染め口をパクパク。最後には『んもう、馬鹿ッ』なんて、それはもう可愛く言ったりするところだ。だが。
「いいわけないでしょうがァァァ! これあなたのお姉さまの眼鏡ですのよ? 怒られるのは私なのに!?」
「長いですからねえ、あの人の説教」
「即刻謝罪と賠償を請求します! 全額一切弁償しか認めませんからねこの
残念なことに、頭に血が上っている状態の彼女には、スズメの涙ほども届かなかった。まあ、例え冷静な状態であったとしても、高確率で無理だろう。彼女の恋愛音痴(他人の色恋沙汰は除く)っぷりは、学校を飛び出て有名である。
「て、テメェらふざけてんじゃねェぞ!」
気が付くと、四人――確実に一人は戦闘不能確定だろう――の顔色が変わっていた。可憐を、正義感厨の世間知らずのお嬢ちゃまだと見ていた四人は、もたつきながらも今さら身構える。
――情けない。人を見かけで判断した報いだ。月光は頭の中で毒づいた。向こう側の紅一点である少女が、ポケットから銀色の折り畳みナイフを繰り出した。慣れた動作だ。何度となく手の中で遊び、肌の上で舞ったのだろう。少し、刀身が錆びていた。途端、可憐の表情が呆れたような、困ったような顔になった。
「……カワイイオンナノコがそんなもの振り回してはいけなくてよ?」
「はァ? なによ? 卑怯だっていいたいわけェ?」
可憐ほどでもないが、少女は整った貌に嘲笑を塗りつける。しかし残念なことに彼女の嫌味は意味がなかった。
「いいえ、わたくしとしては体格に恵まれていないならもう少し警棒とかリーチが長い得物の方が役に立つんじゃないかしらと」
「って、そっちですか」
月光の、珍しく的確なツッコミが入る。
「くっ、なめやがって……!」
「いえいえ別になめてはいないと思いますよ。純粋な本音でしょう」
月光のツッコミに耳を傾けることなく、可憐にむけて少女のナイフが振られた。上から下からの連撃。それを一歩も動かず、可憐は上半身をしならせて躱す。――いくら刃物という、銃器の次に殺傷能力の高い武器があっても。使用者が素人ではほとんど意味をなさない。向こうもずぶの素人ならともかく、数種の格闘をマスターしている相手では話にならない。少女にとって、プラマイゼロ――むしろマイナス点しかないのだ。
「くそッ……!」
一向にかすりもしないことに焦れた少女は、その一瞬力んで大振りになる。可憐はその隙をつき、腕を絡め取り、捻り上げた。
「……っ! 痛い痛い痛い痛い~ッ!」
いとも簡単に関節を極められた少女。耳障りな悲鳴を上げて、あっさりナイフから手を離した。地面に落ちる前に可憐は、ひょいと足でワントラップをいれて、ナイフの柄の部分をキャッチする。同時に、痛みに泣き叫ぶ少女の腕を解放した。
「これは没収ですの」
腕をおさえながらしゃがみ込み、涙目で可憐を仰ぐ少女。その黒い瞳にはもう、可憐に対する恐怖しか浮かんでいない。
「おやおや? ナイフを振り回してきた相手にしては、反撃具合が甘い対処ではありませんか?」
「えーわたくしオンナノコにはそこまで乱暴できませんわ」
「ナルホド。大した騎士道で。王子様も伊達ではないということですね。ちなみに男だったら?」
「もちろん――二度と持てないように指を粉砕しますわ。こきゅっとね」
「ふむ。折る、ではないと。というか、その効果音は関節を外す音ですよ」
「細かいこと気にしているとモテませんことよ。そもそも折るだけじゃ再生が速すぎますわ。粉砕がイチバン効果的じゃありませんの」
「それはまあ、おっかない発言ですね」
可憐と月光が物騒な軽口をかわしている間に、少女は這うようにして少年たちの後ろに下がった。もしかしたら、二人の話の内容が聞くに耐えなかったのかもしれない。しかし月光も可憐も気になど止めない。さて、とにかくこれで残りは三人。
「じゃ、後はアナタが片づけておきなさい。わたくし、早退しますので」
「全面的に却下します」
「なぜですの?」
「僕は弱いんです」
「嘘つけやァァ!」
可憐の絶叫に近いツッコミをチャンスととったのか、二人の少年は目配せして一斉に飛びかかった――絶叫した、可憐の方へと。生き物は激しく動く方をつい狙ってしまうものなのだ。
「って、またわたくしですの!?」
一人目の拳を裏拳で払いのけると、もう一方からも拳が延びてくる。その二撃目を軽やかなバックステップで躱したのと同時、可憐の、翡翠珠を思わせるような瞳がギラリと光った。
「一人くらい、アナタがおやりなさいな!」
二撃目を放った少年の背中を、可憐が月光の方向に蹴ってよこした。ほとんどダメージを与えない蹴りだ。先ほど拳の前に突き出された仕返しのようだ。少年が、よろめきながら月光に向かってくる。
腕を組んだまま、構えてもいない彼に、少年はにやりと笑い、蹴られた勢いを利用して腕を振り上げた。月光はため息をつくと、躰を半身横にずらし、ちょん。軽く少年の足を払う。バランスを崩した少年は、見事に顔面から壁に突っ込み、ずるりと地面にずり落ちた。以上、月光の攻撃、終了。
「ああ疲れた」
そして月光は残業を終わらせたサラリーマンのように宣った。
「嘘おっしゃぁぁぁい! この性悪ピエロが!」
ゴッ、メキメキ。
月光へのツッコミとワンツーフィニッシュで、可憐の肘が少年の鳩尾に叩き込まれた。なまなましい音と供にめり込んだ肘を素早く抜き、くの字に折れた躰から抜け出すと、追撃の肘を後頭部に叩き落とす。こうして地面にまた一つ、新たな屍が生まれ落ちた。月光は出来立ての屍(推定)を静かに見下ろす。
「可憐ちゃん……ちょっとコレは、殺していないでしょうね?」
「い、いやですわー。ちゃんと手加減しましたし」
「しかし、一撃目は手加減していなかったでしょう」
「うう……あれは彼方がツッコませたからじゃありませんか」
「君が勝手に突っ込みを入れたんですよ、反省して下さい」
「……でもまあ……アバラ三本くらいでしょうよ」
「――運が良くて、ね。それが肺に刺さってないとイイですが」
「…………」
月光の鋭い突っ込みに可憐は言い返さない。言い返せない。しかし、月光のねちっこい観察眼は見逃さなかった。彼女の額に浮かんだ脂汗を。
「……なら、コレは僕が看ておきましょう」
「まあ!?」
ぱあっっと、途端に可憐の顔が明るくなる。
「月光さん、いつからそんな優しいキャラになりまして? ……薄気味悪いですわね、今鳥肌がたちましたわ」
「君は本当に一言多いですよね」
やれやれと月光は両手を上げて、アメリカン的なリアクションをしてみせる。そして左手の指先を斜め前に動かした。
「……まあ、勝手に死なれでもしたら迷惑ですし。流石に正当防衛の言い訳が無効になりますから……というわけで」
「代わりにラスト一匹を片付けて頂きましょうか」
ラスト一匹と称された男――どう見積もっても成人しているので、少年とは呼べない――は仲間全員がやられたとは思えない程に自然体で立っている。その顔に不敵な笑みまで浮かべて。
「あらまあ、大した余裕ですわね。ご自慢の武器でも持っていらして?」
「ああ、持ってるぜ……この拳を――なっ!?」
男が言い終える前に、可憐の右ハイキックが放たれた。問答無用で、男のテンプルを狙って。構えてもいない男は、咄磋に後ろへ下がって避ける。しかしこれでは可憐の思うツボ、これはただのフェイントだ。
「ちょ、ひ、ひきょ――」
「遅いですわッ! リーダーさん!」
可憐の得意技は、今まで使ってきた受け手からの流れるような攻撃などではない。基本的に、一発大技が多い足技なのだ。とはいえ、お世辞にも広いとは言えない路地裏に、複数相手には使えない。だが最早障害物なき今、ついにそれは火を噴いた。素早く右に軸足を切り換え、フィギュアスケートのジャンプ如く軽やかに地上から舞う。そして、ハイキックで得た運動エネルギーまでをも濃縮させた左足を放った。
「ぐげっ」
見事な回転蹴りが、ノーガードの男を左から吹き飛ばす。そうして全体重の乗った、ムチのようなしなやかな一撃は見事に男の戦闘能力を根こそぎ剥ぎ取った。だが、意識までは奪われなかったらしい。いくら可憐が手加減していたとはいえ、親から授かった頑丈な肉体には感謝すべきだろう。べしゃりと、男の蛙のような声がコンクリートの地面からうわ言のように聞こえてくる。
「ひ、卑怯だぞ……」
「まぁ、ヒキョウですって? 藤木君のことかしら? それはあなたのことじゃありませんこと?」
可憐はフンと鼻で笑うとふんぞり返って見下しポーズ。これではどっちが悪者か判らない。
「アナタが武器を向けたのは、こんなにカヨワイオンナノコだったんですから」
「え? ど、どこ……が?」
結局、武器とかいう自慢の拳が繰り出される事なく、男は意識を手放した。月光は可憐の後ろで合掌した。最後まで嫌味な男である。
「……で、坊やは何をしているのかしら~?」
今までにない可憐の白い目を全く気にも留めず、しゃがみ込んでいた月光は鼻唄まじりに目当てのモノを探っていた。
「……ああ、ありましたね」
月光が取り出したそれは、財布だった。黒い皮で作られた四角いタイプ。あまり高価そうではないが、センスは悪くない。しかし、早速札入れを開いた月光は苦苦しげに舌を打った。
「おや? ……たった三千円ですって? しけていますね、この馬鹿共」
「……介抱してらしたんじゃァ?」
「人情ドラマの見すぎですよ」
月光は肩を竦めて、可憐に何かを投げてよこした。受け取った紺色のそれ。伸縮自在の警棒。ただし、ところどころに深く亀裂が入り、普通の中学生でもちょっと力を入れれば簡単に壊れそうだ。つまり、可憐の肘によって砕けたのは、少年のあばら骨ではなかった。運良く――はたして、死神が少年の命を諦めたのか彼女の強運が勝ったのか定かではないが――警棒が最悪の状況を阻止していた。可憐は警棒をしばらく眺めて、ぞんざいに投げ捨てた。
「財布なんか漁っていたら、コレらと同レベルでしてよ」
「これは正当防衛ですよ」
「過剰防衛でしょう、むしろ火事場泥棒かしら」
そんなことを言いながら、月光に倣って今倒したばかりの男の財布を漁り始めた。何だかんだ言って、可憐もノリノリなのだ。
「あーらまー……コレを御覧なさい」
「何かありましたか?」
「ほら、これですわこれ」
月光が顔を上げた。可憐の手には――数枚綴りのゴム製の某避妊具。彼女は免許書を見せるが如く異性相手に恥じらいもなく掲げる。その行動には、流石に厚顔無恥と言われる彼も顔を顰めた。
「こーんなチャラチャラなナリナリでもちゃんとそういうこと考えているんですのね。アナタも見習わなくてはいけませんことよ」
「それは僕が責任能力皆無だと言いたいんですか? それに、強姦した時に足がつかないようしているんでしょうよ」
「……没収ですの」
可憐はジャケットのポケットにしまいこむのを見て、アンチ常識派である月光が待ったをかける。
「貰っておくんですか。というか、オンナノコがそんな物を胸ポケットに入れるもんじゃありませんよ」
「あら心配ご無用ですわ。これは水筒代わりになりますもの。このサイズなら水が一リットルも入るから便利ですしね」
「本当に冗談抜きで頼むから絶対に止めて下さいその使い方は。ていうか今から止めなさい」
「ならアナタが頂いておけばいかが? 使い道あるなら譲って差し上げてよ?」
「そうですね……」
月光はちらりと可憐を見て、
「君となら、使ってあげてもいいですよ」
「あらそーですかていうかさせるかとんちきピエロ風情が。あ、カラオケの割引券発見ですわ。もらっていきまましょう」
「…………」
神風月光、二度目の不発。憤る気にもなれない。言いようのない虚しさに、空を仰いだ。今日は厄日かと嘆きつつ気を取り直して。
「可憐ちゃん、これで何人分ですか?」
「ひー、ふー、みー……四人ですわ」
「四人まとめてもたかだか一万八千円だとは計算外でした……逃がすんじゃなかったですね、彼女」
可憐が男に蹴りをくらわせた瞬間、あの少女は逃亡したのだ。後ろなど振り返らずに。元より、犯罪仲間としてつるんでいただけで、情などありはしなかったのだろう。己の分が悪くなれば、あっさりと見切りをつけて逃げ出す。それは見ていて気持ちのいいものでもなかったが――まだその時は獲物が残っていたし――わざわざ追い掛けるのは面倒だったのだ。あの少女が変な正義感を出して警察に通報することはないだろうが、月光は少女を逃がしたことを痛切に後悔した。
「なんですの貴方、あの子からもぶん取る気だったと?」
「
「……どういうことですの?」
「……いや、それは」
「……月光さんまさか」
可憐の碧眼が深みを増す。剣呑に輝く証拠だ。
「わざと絡まれてたんじゃァ?」
「――いいえまさか」
月光は当たり障りのない顔で笑った。
「そんなわけないじゃないですか」
この少年の顔立ちは――黙ってさえいれば――その辺の女子共よりも整っている。細身の躰に、穏和そう且つ爽やかな容姿。そんな、まったく強そうに見えない少年が一人で夜の歓楽街をフラフラ歩いている。それはもう、不良グループの格好の獲物になり得る。それを最初からわかっていてやっていたとしたら、月光は自分自身を餌に使って恐喝グループを誘導し誘き寄せ、恐喝を【させた】ようなものなのだ。
「……最っ低、ですわねぇ」
「何がですか?」
儚げな文学美少年と囁かれる彼はあくまで、被害者ヅラは崩さない。
「このところ、この辺で不良が狩られているのもアナタじゃァ……ないんですの?」
「不良狩り?」
月光はわざとらしく小首を傾げた。
「何のことですかね? 心当たりなどないが。どうして一介の学生の私が、わざわざ危険に飛び込むような真似をしなければならないのか」
「アナタならできないことじゃないのでしょう?」
「まったくもって、買いかぶりすぎですよ。僕はそんな面倒かつ後ろ暗いことなどしません」
「ふーん……ま、いいんですけどね。……それで、他にも何か頂けそうなものはありませんの?」
可憐はそれ以上つついてこなかった。興味がないというよりは、『言いたくないなら言わなくていい』と言っているような態度に月光は少し救われる。言い換えれば、『言いたくなったら、いつでも言え』ということだ。……可憐と一緒に居ると、不意に異性と居ることを忘れる。
見た目に引かれて寄ってくる馬鹿女のように媚びず、下手な男より男前。そんな【勇ましい】【女王様】だから、月光は惹かれる。――まあ、そんな彼は女王様からは尽く嫌悪されているわけだが。
好奇心の塊でもある女王様は財布を漁り続けている。お金は月光が全て抜き取っていたので、割引券でも探しているのだろう。月光の鼻先にちらつく、白い蝶の形のヘアピンでまとめられた濡れ羽色の髪。その下にある真っ白な額や、紅い唇にこっそり触れたりしたら、張り倒されるだろうか。だが、これでまた
【するか】
【しないか】
その逡巡が、仇となっていた。
「――お、オイ!」
その乱暴な声に月光も可憐も、露骨に面倒くさそうに顔を上げた。特に、月光に至っては思考に耽っていたところを邪魔されたので、殺意さえ滲ませて。
「テメェら、よくもオレの金を!」
叩きのめしたはずの少年の一人が、月光の後ろ頭に警棒をつきつけた。――まあ、意識を取り戻していたのには、気が付いていた。だがら、小物らしくこのまま気絶したフリでやり過ごすかと思っていたのだ。それなら、見逃してやろうと思っていたのに。やれやれである。
ゆらりと月光は立ち上がった。腹の中に住んでいる何かが突然暴れだしたかのような苛立ちを、邪魔した少年にぶつけるために。すると可憐が月光のベストの裾を引っ張った。
「まあ、確かあの方はアナタに譲ってさしあげたヤツですわよね」
「……ええ、どうやら手を抜きすぎたみたいで」
「まぁったく、役立たず外道ピエロが」
チッ、などと、令嬢らしからぬ柄の悪い舌打ち。
「……でもあの警棒は確か君が投げたはずなんですがね」
「さァて、わたくしまったく覚えがありませんわー」
ぷいっと明後日を向いた。見事なほどしらじらしい。どこの浴衣女だ。
「それで、アレから取った金っておいくらでして?」
「千円。たかが千円一枚を、そこまでして取り戻したいものなんですかねえ」
「きっとおウチがスペシャル貧乏なのですわ。それか貯金が趣味とか」
「成程。君の懐と同じ軽さなのですね」
「あら、おほほほ……再起不能になりたいんですの? それと後者、わたくしは部長ではありませんからそんな趣味ありませんわ」
「て、テメェら、なめてんのか!?」
少年の、悲鳴のようなツッコミが入る。小物らしい小物だが、人の邪魔するのは天性の才能があるようだ。月光は可憐との会話で、少年を相手にするのがだんだん面倒になってきた。もう一度、彼女に押し付けてしまおうかとも考えた。だが、この女王様に同じ手は通じない。その証拠に、彼の脇腹にそっと拳をつきつける。
また後ろに隠れるようならば、即刻撃ち込むという、無言の脅迫。月光は嘆息し、素早く腰を落とすとその警棒に向かって中段蹴りを放った。
少年の手の中の警棒が、根本から折れて飛ぶ。可憐にほとんど折られていたとは言え、余程鋭くなければ、ここまで見事には折れまい。 あわてふためく少年に、追撃の上段蹴りを顔面へ。コンクリートの冷たい壁に足で縫い付けてやった。ぐりぐりと足に捻りを加えるとどろりとした赤い液体が出てくる。鼻骨が潰れたのだ。
月光は新調したばかりの靴が汚れるのを嫌い、足を放すと少年は前のめりに倒れてきた。受け止めることもせずに地面に転がすと、背中を踏みつけた。
「少しやりすぎじゃありませんの?」
「そうですかね?」
みしりと音がした。今度は、本当の肋骨の軋む音。少年は実行するはずだった痛みを向けられ、喘ぎ、呻き、もがく。どんな理由があれ。自分に牙を剥いた者に、情けなどかけない――それが、月光少年のポリシーだ。
「月光さん」
突然、可憐が月光の腕を引いた。彼女からの珍しい接触と、あまりにも強く引くものだから、月光は鉄板入りの靴底を少年から浮かせてしまった。もぞもぞと彼の足下からなんとかして這い出ようと、むせかえりながらも無様にもがく少年。月光はあっさり興醒めして、足を地面に下ろした。向き直ると、可憐は笑っていた。少年に同情の視線も見せないで。
「わたくし、ハンバーグが食べたくなりました」
「……ハンバーグ?」
「わたくしが割引券を手に入れましたの!」
可憐は不良グループの財布から抜き取ったと思われる、おかしな折れ込みが入った紙の券を自慢げに差し出した。
「びっくりドンキーですか? ハンバーグといったらトマト&オニオンに決まっているでしょう」
「ではそこでもいいですから奢ってくださいな」
「嫌ですよ。姉さんならともかく、どうして僕が君に」
「……夜空お姉さまの眼鏡、誰のせいでしたかしら?」
どんな人間でも一つくらいは弱点がある。月光も己の鬼門である
「では可憐ちゃん、食ベに行きましょうか」
「いいでしょう。でも眼鏡はもちろん弁償して下さいね?」
「させるんですか」
「もちのろんでしてよ! ハンバーグとイカの箱舟は今夜の肉体労働代として献上なさい」
さりげなく少年の肉体と精神を救った形にはなったが、可憐は彼にも、あの少年グループにも、一ミクロン分の憐憫の情もかけていないだろう。どちらかと言えば、彼女も同じ考えのはずだ。
【復讐はむなしい】
【やりすぎは正義じゃない】
【目的を見失うな】
そんなキレイゴトなんて、二人とも吐気がするほど大嫌いだから。そしてキレイゴトを選ばなくてもいい状況なら、己の欲望に忠実な行動を取ってもいいんじゃないか。
「――可憐ちゃん、今日は一万円分食べてもいいですよ」
「本当に? ふとっぱらですわね」
「そうでしょうそうでしょう。感謝して下さい」
「ところであと八千円はどうしますの?」
「…………」
「では、デザートを含めて一万八千円の晩餐ですわ! それでしたら確かここからは彼方が行ったお店の方が近いですわね。あそこのハンバーグもなかなかですもの」
「いやちょっとま、」
「制覇しますわよ! 一皿残らず駆逐します!」
月光は慌てたが、可憐の笑顔に、負けた。
「……仰せのままに、女王陛下」
その引き締まった、しかし出るところは出ている胴体には、一体どんなラージサイズの胃袋が内蔵されているのやら……。力なく可憐に賛同して、月光は今日の稼ぎが露と消えるのを悟った。垂れてきた髪をかきあげ、また元気よく自分の腕を引いてくる黒髪の美少女に、苦笑する。
(……まあいい)
今回は、楽だった代償だ。女王様が乱入してくれたおかげで、肉体労働をほとんどしなくてすんだのだ。それに、楽なわりには退屈もしなかった。これくらいは、目を瞑ってやろう。それに。
「――どうせ、いくらでもいますしねえ」
「あら、何か仰って?」
「いいえ、別に」
迷える若人達は、懲りずに過ちを繰り返す。正当防衛という穴だらけの盾と若さという凶器を持って。
――勝てば官軍、負ければ従属のこの世界。全てものは使い捨てで、また別の人間が居れば回っていく。だから、さる少年一人がいくら狩り続けても――減る事はないのだ。
かかった獲物がいつもやられるだけだと思ったら、大間違いですよ?
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