族長<ギウスの姫セオラ視点>
あの愚かな兄達は、準備も完了していないと言うのに、帝国に攻め込む事を決めた。
何故そんな暴挙に出たかと言えば、父である族長の状態が悪化したからだ。
このままでは五男であるバトエルデニ兄さまが、血筋の都合で族長に決定する。それを覆す為に、開戦を早める気なのだ。
生まれた順は五番目だが、順位が三番目な為、対外的には三男と言われる。
「兄さま! 戦争など馬鹿な考えは捨てて下さい! むしろ助けを求めるべきなのですよ!?」
三男のワジラ兄さまの後を付いて歩き、戦争を諦めさせようと説得をし続けていたら、不意に頰に衝撃が走り、その場に尻餅を付いた。
「女の分際で兄に意見をするな」
そう言って兄は去って行った。
叩かれた頰が痛い。口元に手をやると、切れたみたいで血が付いた。
涙が出そうになるのをぐっと堪える。
何としても戦争を止めなければ。犠牲になるのは民だ。
民の事を考えられない三番目の兄も、四番目の兄も、どちらも族長に相応しくない。
「セオラ?」
声がして振り返るとバトエルデニ兄さまがこっちに向かって歩いて来た。
私の頰と口元を見て眉を顰める。
「誰にやられた? ワジラ兄さんか? ボルド兄さんか?」
「……ワジラ兄さま」
「また、お前が突っかかったんだろう。まったく……」
胸元から軟膏の入った木の容器を取り出すと、中の軟膏を口元に塗ってくれた。触れられた瞬間は痛かったが、ささくれていた心は少し癒された。
第三夫人と族長の父の間に生まれたバトエルデニ兄さまは聡明で優しく、民の信も厚い。
このままバトエルデニ兄さまに族長になってもらいたい。
「……父さま、このまま死んでしまうの……?」
兄さまの眉間の皺が深くなる。
「……分からない。
それよりも、おまえも覚悟はしておきなさい。戦は避けられない」
「回避出来ないの?」
兄の腕に縋るも、視線を逸らされてしまう。
「第五夫人の父がやり手なのは知っているだろう。
今、あの一族を敵に回すのは得策ではない」
「でも!」
首を横に振り、兄さまはその場から立ち去った。
涙が我慢出来そうになくて、走ってイリーナの元に向かった。
私に気付いて、笑顔を見せてくれたイリーナに抱き付く。
「セオラ?」
私が泣いてる事に気が付いたイリーナは、何も言わずに背中を撫でてくれた。
本当なら、イリーナの胸に抱かれて慰められるのは、私じゃなくてミチルなのに。
ごめんなさいごめんなさい、ミチル。
何も出来ないまま、ワジラ兄さまが帝国へ攻め込む軍の将軍に任命される事になった。
病の床に就いた父さまは、第五夫人の部族を抑え込めないのだ。
族長の椅子に座る父さまは顔色も悪い。何故こんな無理をさせるのか。
族長になる為なら、実の父親の死期を早める事に何の躊躇いも無いと言うのか。
「我らが戦士が、帝国の者共を、打ち倒し、民を助けてくれると言う」
息も途切れ途切れに、声を発する。
せめて横にさせられたなら。
「バトエルデニ、こちらへ」
予想と違う展開に、ワジラ兄さまとボルド兄さま達の、顔色が変わる。
戸惑いながら、バトエルデニ兄さまは、父さまの前に跪いた。
「そなたにこれを授ける」
そう言って父さまがバトエルデニ兄さまに渡したのは、族長の証である、馬鞭だった。
使用には適さない、華美な装飾が施された鞭だ。
場内が騒つく。
バトエルデニ兄さまは顔を上げた。父さまの真意を汲み取ろうとするように、じっと目を見つめる。
言葉はなく、見つめ合い、父さまの口元に僅かに笑みが浮かんだ。
バトエルデニ兄さまは唇を噛みしめると、「謹んで、頂戴致します」と言って頭を下げ、馬鞭を受け取った。
直ぐに立ち上がると、場内の面々の顔を見回す。
「今この時を以って、族長となった。
ワジラよ、我らが戦士よ、帝国攻め、良い知らせを期待しているぞ」
睥睨するバトエルデニ兄さまを前に、ワジラ兄さまは頭を下げた。青筋が顳顬に浮かんでいる。
思惑が外れて怒りがこみ上げているだろうに、必死に耐えているのだろう。
今ここでバトエルデニ兄さまに反旗を翻せば、いくら祖父が有力者でもただでは済まない。
族長殺しは重罪だ。一族郎等、幼子に至るまで死罪が申し付けられる。族長の子であっても、だ。
新族長誕生の宴の最中、会場の熱気に当てられた私はバルコニーに出た。
「疲れたか?」
声がした方を振り向くと、バトエルデニ兄さまだった。
「兄さま……っと、族長」
お辞儀をすると、大きな手で頭をくしゃりと撫でられた。
「二人の時は今まで通りで良い」
「……はい」
私の隣に立つと、帝国の方を見つめる。自然と私もそちらに視線を向ける。
「……どうなるんでしょう」
バトエルデニ兄さまが族長になれば、全て解決する気がしてた。そんな訳はないのに。
また別の問題が生まれただけだった。
あの兄達がこのまま黙っている筈が無い。
「……分からん」
兄さまは身体の向きを変えてバルコニーの手すりに寄りかかると、深いため息を吐いた。
「……兄上達が生きていたらと思わない日は無い。
本来であればオレが族長になるなど、あり得ない事だったんだからな」
その二人の事をバトエルデニ兄さまは言っているのだ。
「言っても仕方が無いと分かっていてもな……こればかりはな……」
「兄さま、私に出来る事なら何でも言って下さい!」
ふ、と目を細めて微笑むと、また頭を下げ撫でられた。
「所でおまえが匿っている客人だが」
ぎくりとする。
「いざとなったら城内に匿えよ」
「え?」
予想外の言葉に言葉が続かない。
「お前がそこまでしてずっと匿っているのには理由があるんだろう。この先何があるか分からんからな」
ポンポンと肩を叩くと、兄さまは城の中に戻って行った。
しばらくその後ろ姿を見送った後、バルコニーからイリーナ達がいるだろう方に目を向ける。
私自身は何の力も持たないが、バトエルデニ兄さまに可愛がられている事は周知の事実だ。
嫌がらせをされる可能性はなくはない。
私のワガママであの二人を城に置いているのだ。絶対に、守らなくては。
勝手な事を言うけれども、いつかあの二人をミチルの元に帰したい。
父さまは、開戦三日後に儚い存在となった。
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