たとえ命を落としても<皇弟視点>

ミチルはきっと、この男の本性は知らんのだろうな、と思う。


私を配下に襲わせた男──ゼファス・フラウ・オットー。

マグダレナ教会の教皇であり、ディンブーラ皇国の皇族であり、アルト伯爵夫人──ミチルの養父。


恐ろしく美しいその見た目に、誰もが騙されると思う。


「よく眠れたでしょ?」


「……そうですね」


眠れたと言うのか、あれは……。


「君が襲われた事は、早馬で帝都に知らされている。

侍従から、回復していってると手紙も書いてもらうけど」


「聖下、これは、どなたの案なのですか?」


「は? 自分からリオンに頼んだんでしょ?」


リオン・アルト公爵。

先日図書室であっさりと私の嘘を見抜いた男。


先日送った手紙に、ご助力願いたいとは書いたが、まさか襲われるとは思っていなかった。


「リオンは黒幕の正体を掴んだんだよ。何をしようとしているかも。だから君は死なないといけない」


……この方は話が飛ぶ。と言うより、面倒臭いのか、話を端折る。結果として話が見え辛くなる。


「黒幕の名を教えていただけませんか」


「レペンス枢機卿」


勿体ぶる所かあっさりと明かされた名に、一瞬頭が付いていかない。


レペンス枢機卿。あの男が?

平民の出でありながら、その高潔さと優れた能力で異例の速さで枢機卿に上り詰めた人物だ。


……義姉上は、定期的にレペンス枢機卿のいるカテドラルに足を運んでいなかったか?

義姉上と結託して、いや、大公もか? 我ら兄弟を亡き者にして、皇帝の座を手に入れようとしている、と?

ミチルは義姉上が兄上に飲ませている薬湯は避妊効果があると言った。まさか、本当に……?


義姉上がレペンス枢機卿と繋がっていて、もし恋人関係にあるのなら、兄上は邪魔だ。

兄上がいなくなっただけでは、レペンスと添い遂げる事は叶うまい。枢機卿とは言え、平民の出だ。皇后にまで上り詰めた義姉様が降嫁する先ではない。瑕の無い義姉上なら公爵家が相手となるのが通例だ。

それに、枢機卿は婚姻が不可能だ。


私と兄上がこの世からいなくなれば、平民の血が入っているとは言え、叔父上が皇位を継承する。

そうすれば男子のいない義姉上は婿を取る事になる。勧められるのは公爵家、侯爵家あたりだろうが、義姉上は相手を選ぶ事が可能になる。

平民からも、貴族からも評価の高いレペンス。枢機卿になるという事は、異性関係においても問題ないと判断されている筈。多少の反発はあっても、強引に押し切る事は不可能ではない。皇配になる為にその地位を捨てるのかも知れない。


義姉上が兄上の命を狙っているのだとするなら、ある意味、いつでもチャンスはあった筈だ。

でもそうすると私が皇帝に即位する。直ぐに妃を娶る事にもなる。

義姉上と兄上との間に子供が出来ていた場合、兄上の子が成人するまでの繋ぎとして私は皇帝になる。もしくはそのまま私の血筋が残る。

私も兄上もいない状態で、兄上の子がいたなら、レペンスは皇配にもなれない。

叔父上も子がいたならレペンスとの婚姻は認めないだろう。その為にも、兄上に子が出来ては困るのだ。側妃との間にも、だ。

叔父上からすれば、血を確実なものにする為にも、兄上と義姉上との間に子を欲しがる筈だ。実際に色々と手を尽くしていた。


この謀に叔父上は関係ない。義姉上とレペンスの計画だ。


黒幕である義姉上とレペンスは私と兄上の命を狙っている。両方がこの世から消えるまで諦めないだろう。


私を殺そうとするなら、いつが最適だろう?

健康体な私を殺すのは兄上を殺すより難しいだろう。

兄上から遠ざけられ、皇城にはたまにしか上がらずに、離宮で過ごしていた。それも、今思えば守られていたのだろう。

そんな私を確実に仕止めようとするなら、兄上の即位を祝う式典が最適だろう。あの杯は皇族である私と兄上しか口に出来ない。先に私が口に付ける。

即効性がなければ、二人共時間が経ってから死ぬかも知れないが、それだと助かる可能性もある。

それよりもその場で私を確実に殺した方が良い。

兄上の事はいつでも殺せるという考えなのだろう。


それを危惧した兄上により、私は命を狙われ始める。

正しくは危機感を煽って、私を国外に逃がす為に。

自分が、殺される事も顧みず。


「理解したみたいだね」


「大筋理解しました。私を死亡した事にし、レペンス達が行動を起こすように仕向ける、という事ですか?」


「そうだよ。その為の準備として、リオン達は既に帝都に入った。

スタンキナに皇帝の真意を伝え、もし大公が反旗を翻した時の為に大公の兵とぶつかってもらう」


奥歯を噛みしめる。


「……叔父上は、私兵まで準備しているんですか?」


「本人にそのつもりはないけどね、貨幣偽造をしてる屋敷周辺に大層な警備を付けている。

兵と呼んで差し支えないと思うよ。その場限りで雇っているのではなく、継続して雇用し続け、訓練を施す。

十分じゃない?」


叔父が貨幣偽造を主導してる事は兄上も掴んでいた。その拠点を潰そうとすると、必ず計画が露見した。

情報を叔父に流したと思われる者は見つけ次第処分していった。それでも、なくならなかった。

城全体が敵の掌中に落ちているのではないかと思う程に。


そうですね、と答えた。

私兵と見做される。例え、叔父上にそのつもりがなく、純粋に屋敷を守る為だったとしても。


「大公の不正関連の証拠も、リオンの影が見つけ出すだろうし。レペンスは突いても何も出て来ないだろうけど、動向を把握する為に訓練生を送り込む予定。

予定外の人間も参加してリオンが困ってるみたいだから、呼ばれてないけど私も行ってリオンを困らせようと思ってる」


「アルト伯爵も向かったのですよね?」


聖下は伏し目がちに紅茶を口にする。


「君さ、ミチルの事、気に入ってるでしょ?」


否定しても無駄だと思い、頷いた。


「……あの二人の関係に、憧れを抱いております」


彼女に愛されているのが自分だったらと思う事はあっても、アルト伯爵だから愛されているだろう事は分かる。見た目が似ているからと言って、自分が愛される訳はない。

その事を思うと胸が痛む。この痛みはずっと続くのではと思ってしまう。だが、叶わぬ想いだ。


「ルシアンはミチルの為だけに生きているからね。君には出来ないでしょ?」


「出来ません。他にも守りたいものがあります」


今度こそ兄上を守りたい。ずっと守って下さっていた兄上を。


「死んだ振りを、すればよろしいのでしょうか?」


「振りではバレるでしょ」


袖の中から液体の入った小さな瓶を取り出し、テーブルの上に置いた。


「これは君を仮死状態にしてくれる薬だよ。効き目は72時間。服用するなら帝都に入る1時間前に飲むといい。

飲んで少ししたら効いてきて、1時間後には死んでいるように見える薬だ」


そんな薬が存在するとは。


ただ、と聖下は言葉を区切った。


「飲むかどうかは君に任せるよ。たまに、そのまま本当に死んでしまった人間も一人や二人ではないから」


ヒヤリとした。

賭けみたいなものなのだろう。


「……飲まないで私が帝都に戻った場合は……」


「服用の有無に関わらず、レペンスの思惑を壊す為に、大公の罪を先に暴く。そうすれば大公とその一派は捕縛され、正妃の立場はなくなる。正妃との婚姻は不可能になるね」


それで全てが片付くような気もする。それならばそもそもこんな薬を渡される筈もない。


聖下の表情から何か探れないかと、視線をやる。

相変わらず、淡々とお菓子を口に入れていく。食べ過ぎだろう、どう見ても。


「レペンスは、先々帝の最初の妃が産んだ皇女の息子だ」


ざわりと鳥肌が立った。


「皇女は、死んだと聞いていましたが……」


「死んだよ。出産して数年後に」


「父親は……」


「皇女の従兄弟に当たる男だよ」


それは、とある公爵家の現当主ではないだろうか。


聖下から語られたレペンスの出生と幼少期の話は、酷いものだった。

それから、両親の死の理由。


先々帝の最初の妃は公爵家の令嬢だった。離縁されて皇女を連れて実家に戻ったらしい。頼れるのは実家しかないだろうから、当然の事だ。

公爵家としては体裁の悪い娘を家から追い出したいが、皇女がいる。皇帝の気が変わって皇女をと望まれた際に困った事になる。そのまま匿い続けた結果、一度も娘を顧みる事なく、皇帝は崩御した。

公爵が皇女を追い出そうとした所、彼女は身篭っていた。そして生まれたのがレペンス。父親は公爵家嫡男。

己の息子がした事と皇女とレペンスを匿い続けたが、代替わりした新しい皇帝の元に連れて行けば、皇女と公爵家嫡男は結婚せざるを得ない。自分の母ではない妃から生まれた皇女を皇帝がどう扱うかも見当もつかない。

皇帝は姉である皇女の存在を知らなかった。皇帝の妻になる事が決まっていた令嬢にもその事は一切知らされていない。

そんな折、皇帝から直々に伯爵家の令嬢と嫡男の婚姻を持ち掛けられた公爵は、受け入れる。

嫡男の妻は公爵家が匿うその女性が皇女であり、彼女によく似た幼い子供が夫との子である事も知っていた。

知っている貴族は少なくなかった。だからこそ公爵家は他の公爵家や侯爵家に嫡男との婚姻を打診をしても断られ続けていたのだ。

自分が正妻だとしても、自分との間に子が生まれても、日の目を見る事はない。レペンスを自分の養子にする事を求められるだろう。

数年後、皇女が死に、妻の心に魔が差した。

幼いレペンスは屋敷を追いやられ、一人で生きていく事を余儀なくされる。新しく公爵になった嫡男もまた、妻のした事を黙認し、息子であるレペンスを探さなかった。


血統としては、私と大差ないレペンス。それなのに、この境遇の差。

レペンスが、私や兄上を恨めしく思っても無理からぬ事だった。


そして運命は皮肉な事に回り出したのだ。

兄夫婦が貨幣偽造について自分を糾弾すると思った大公は、皇帝夫妻が乗る馬車を細工するよう、金を掴ませてやらせた。

季節外れの嵐で道はぬかるんでいた。その日も雨で更に視界が悪かった。

少しでも足止め出来ればと車輪の留め金を緩めていたのが仇になり、車輪が外れ、馬車は崖下に滑落した。

馬も御者も死んだ。皇帝夫妻も死んだ。生き残った皇子も怪我をしており、生死の境を彷徨った。


そこまでやるつもりはなかった大公は、酷く狼狽えた。

罪の意識から甥に優しく接しようとするものの、第二皇子には出来なかった。皇子の真っ直ぐな目で見つめられると、自分のした事を責められるようだったのだろう。

兄夫婦が第二皇子を連れて自分の元に訪れようとした理由を知り、尚更申し訳なく、皇子の顔が見られなかったに違いない。

皇帝夫妻は、大公に貨幣偽造を止めさせ、第二皇子を養子として弟に預けようとしていたのだ。平民の血を引いていると侮られる弟を大切にしていると、内外に分からせる為だった。

大公は反省し、しばらくの間は大人しくしていた。

だが、一度身に付いた贅沢というのは、止められるものではない。

また、貨幣偽造を行うようになった。


「これが、レペンスと君の両親の死の真相だよ」


頭の奥が痛む。

吐きそうだ。


何故そこまで詳細に知っているのかと問うと、人は弱いから、苦しくて誰かに聞いてもらいたくなるものなんだよ、重ければ重い程ね、と言われた。

良心の呵責に苛まれた公爵の妻と、大公から聞き出したのだと言う。


「話は戻るけど、正妃の事などなくてもレペンスは条件さえ揃えば皇帝になれる。

君が生きたまま帝都に戻ったなら、当初の予定通り、式典で命を狙われるのは君だよ。それから間を置かずして皇帝も殺されるだろう」


式典で命を狙われるのが兄上になるか、私になるか。


「私がその薬を飲んだ場合、兄上は守られますか?」


「式典でレペンスは終わるだろうね、間違いなく」


自分で兄上を守れないのは心苦しい。でも、このまま生きたまま帝都に戻れば兄上の負担が増える。

助力を求めていながら、自分だけ安全な場所にいるというのも、申し訳なく思える。


「……分かりました」


「この薬の名前はね、"落命"って言うんだよ」


縁起でもない、と思った私に、もう一つ名前があってね、と話を続ける。


「"不死"だよ」

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