029.越えられない壁

目を開けると、ルシアンがいた。


「?」


身体を起こそうとした私をルシアンは抱きしめた。

いたたたたたた!!

痛い痛い痛い!!

ちょっ、内臓口から出るから!!


「ミチル…!」


ちょ、何なに、何なの?!

いきなりこんな艶っぽい声で名前呼ばれるとか、心臓に悪いんですけど?!


一体何が?!

まだ結婚はしてない筈なのに、どうしてルシアンが私のベッドの横に?!


私を覗き込むルシアンの目は、何処か怯えているようだった。

何故?


ルシアン、と目の前のイケメンの名を呼ぼうとして、声が出ないことに気が付いた。

え、何で?


次の瞬間、私の身に起きたことがフラッシュバックとなって私を襲った。


「!!」


ぶるり、と身体が震えた。


そうだ、私は、キャロルに襲われたのだ。


刃物の光を見た瞬間、私は意識を失ったのだと思う。

麻酔が効いているのだろうか?何処にも痛い所はない。違和感もない。

あれは、刃物じゃなかった?


身体が、私の意思を無視して震え始めた。

私が思い出したことに気が付いたのだろう。ルシアンは私の背中を優しく撫でながら、何度も大丈夫です、と言った。

気が付けば泣いていた私の涙を、ルシアンの唇が吸い上げ、瞼に口付けが落とされる。


深呼吸を、と思うのに、どうしても浅くなってしまう呼吸に、頭の何処かで焦りを感じる。


頭の中でキャロルが私を見つめてる。

あの、イっちゃった目!あれはもう、正気じゃなかった。

何処かに追いやろうとするのに、消えない。


ああ、これ、PTSD?

何だっけ何だっけ。


前世で、トラウマになるような恐ろしい目に遭った後は、その記憶を脳に焼き付けない為に、別の事を考えた方が良いっていう記事を見たことを思い出した。

その時は何だそれ?と思ったけど、まさかそれを実行に移してみる日が来るとは思ってなかったけど、今は、それを試すしかないと思った。


さっきからずっと声を出そうとしているのに、出ている筈なのに、出ないのだ。


「ミチル…声が…出ないのですか?」


悲痛な顔で私を見つめるルシアン。


「私が、寮になんて戻らずにいれば…!」


私は慌てて首を横に振った。

違う違う、そうじゃない。

まさかあんな、キャロルが頭イカれた行動に移すなんて誰も思わない。


そう言いたいのに、声が出ない。

出るのは涙だけだ。

涙だけボロボロこぼれる。


呼吸もまだ浅いままだ。

じわじわと、頭の中に過去の映像が浮かんで来て、思い出しちゃいけないと思う程に、その映像は私の頭の中で存在感を増していく。

このまま行ったら、完全に脳に焼き付いちゃいそう!そんなの困る!

精神的ショックで出なくなってるんだろう声だって困る!

だから、あの記事に書いてあった対処法を実行するしかない。

こっちの世界は、前世よりも肉体も精神に対しても治療技術等は遅れている筈。効果的なものなんてないに違いない。

私に出来るのは、真偽の程も分からない、あの記事の内容だけなのだ。

藁にも縋る思いというのは、こういうのを言うのだと思う。


えっと、テトリス!

テトリスを頭の中でずっと組み立てていくと、いいのだと過去に見た記事に書いてあった。

衝撃的なダメージを受けた後、脳にはまだ記憶は焼き付いてはいないのだそうだ。それはジワジワと脳に焼き付いて消えなくなり、長い間被害者を苦しめる。

ダメージ直後にテトリス等、何でもいいのだろうけど、その記憶が入り込む余地を作らないようにすると、記憶が焼きつくのを抑える、もしくは控えめにすることが可能になり、被害者がトラウマを抱えるのを防げる、そういう実験結果だった。

前世の記憶を思い出して、キャロルに襲われてる最中に気絶しちゃった私には今更かも知れないけど、でもちょっとでも軽くせねば!


ぎゅっと目を閉じ、L字型のブロックを頭の中で回転させていく。

次々とブロックを回転させては落としていき、後はあの長いブロックカモン!と思いながら積み上げていく。

よし、おお、来た来た!

テトリース!いぇーい!!

っていうか何で私の脳は、律儀に長いブロックではなく、他の形のブロックを想像するんだろうか。


ルシアンに抱きしめられていることも忘れて、脳内でずっとテトリスをしていた。




順調に?テトリスを積み上げていた所、アルト侯爵が入って来た。


無心にテトリスしてたけど、そういえばここ、アルト侯爵家なのか?


「目が覚めたようで良かった、ミチル姫。」


侯爵はほっとした顔でベッド横の椅子に腰掛けた。


「父上、ミチルは声が出ません。」


ルシアンが侯爵に言った。


「襲われたショックだと思います。」


侯爵の眉間に僅かに皺が寄る。


ルシアンの私を抱きしめる腕に力が入る。

…はっ!抱きしめられてる!!しかもいつの間にか膝の上に…!

慌ててルシアンの腕から逃れようとするものの、ルシアンが困ったような顔をするので、諦めた。

子犬みたいな顔するの、反則だと思うよ…!


「ルシアンはミチル姫が倒れてからずっと、見守っていたからね。」


侯爵はふふ、と笑う。


「目覚めたばかりの所に申し訳ないけれど、これから聞きづらい話をしなくてはいけない。

いずれ知らなくてはならないことだから、話させてもらうよ。」


侯爵の言葉に、身構える。

私自身のことだろうか?

あんな騒ぎを起こしたから、ルシアンの相手に相応しくないとか、そういう…?

思わずルシアンの服を掴んでしまう。

ルシアンは優しく微笑んで私のおでこに口付けた。


「まず、ミチル姫にかけられた液体だが、隣国で近頃流行っているウィルニア教団の聖水、と呼ばれるものだそうだ。」


聖水?!

アイツ、マジで私のこと魔女だと思ってたの?!

って言うか、聖水って魔女に効くの?!


「ウィルニア教団が隣国の国政に影響を及ぼした辺りで、我が国は隣国との国交を断っている。当然交易も例外なく禁止されている。」


え?ご禁制品ってこと?!

っていうか、宗教団体が出てきた結果国交断絶?なんで?


「キャロル嬢が持っていたものからも成分を分析させたが、なんてことはない、ただの水だった。

だから、安心していい。」


全然そんな心配してなかった自分…能天気すぎる。

い、いや、PTSDとかも大変なことだよ?!


「キャロル嬢の実家は、我が国有数の豪商でね。以前から黒い噂が絶えなかったのだが、まさか密輸にまで手を出しているとはね。」


侯爵は苦笑した。


「今回のことで王室は全商会に対して、抜き打ちの検査を行った。

豪商のダズン商会が密輸を摘発されたという噂は既に広まっていたようだが、抵抗は殆どなかったようだ。

結果として、12の商会が取り潰しになることが決定した。」


国内の商会がどれだけあるのか分からないが、密輸が出来る程の力を持つ商会が12も潰れるというのは、かなりのことなのではないだろうか?


「これを受けて王室は商人ギルドの立ち上げを発布した。

我がアルト家が取り仕切ることになる。」


おぉ、思わぬ方向に繋がってる…!


「主要な商会が抜けることで他国との交易に影響が出るのは避けねばならない。

王室としては冒険者ギルドも同時に立ち上げ、力を持たぬ商会が他国と交易をする際の護衛をしてもらうことにした。

冒険者ギルドはハーネスト家の管轄となる。」


あの時研究室で話していた内容が、少しずつ現実のものになろうとしていた。

ぞわり、とした。

恐怖ではなく、興奮。


侯爵は深いため息を吐いた。重いため息だ。

そこでようやく、キャロルのことを話すのだと分かった。

彼女がいくら豪商の娘で魔力を持っているとは言え、平民なのだ。実は貴族だった、となったとしても、侯爵家以上の血を引かない限り難しいだろう。

私はこんなだけど、一応伯爵令嬢なんだよね。

…ただでは済まないんだろうな…。


「キャロル嬢の処刑が決まった。」


「!!」


処刑?!


「姫、貴女は伯爵令嬢で、キャロル嬢は平民だ。それだけで、貴族に直接危害を加えた彼女は処刑されるのだよ。

しかも謎の液体をかけた。それが毒物だったなら、ダズン商会の人間は一人残らず処刑になる。

そうならなかっただけ、ダズン商会は感謝すべきなんだよ。」


そうか、今私は自分が無事だからそう思うけど、もしかけられた液体が毒物だったりとか、重度の火傷とかになってたら、同じようには思えなかっただろうな。

例えばルシアンが被害に遭ってたりとか、モニカが被害に遭ったりとか…。

ルシアンは、私が襲われたことで己を責めていた。

もし私が死んでいたら、ルシアンは…きっと、彼女を許さない。


キャロルのことは好きじゃない。どちらかと言えば嫌いなタイプ。

もう2度と私の前に現れないで欲しいとは思う。


仕方がない、こと、なんだろうな…。

受け止めなくてはならないことも分かってる。

けど、今はもう聞きたくない。


侯爵様から顔を背け、ルシアンの胸に顔を埋めた。


「父上、ミチルもまだ体調が万全ではありません。そろそろ…。」


「そうだね。一度に伝え過ぎたようだ。

姫、ゆっくり休みたまえ。」


侯爵が部屋を出て行った後、ルシアンと話をしたいのに、やっぱり声が出ない。


「大丈夫ですよ、最近ミチルの考えが読めるようになってきましたし。」


確かに読みすぎなぐらい読まれてる気がしております…。


ルシアンは私の髪を優しく、優しく撫でる。

前はただただ恥ずかしくて仕方なかったのに、今はそれが気持ちいいなと思う。物凄いほっとする。

ルシアンの手の体温が、とても心地良いのだ。


多分、キャロルに襲われたことが、大きいのだと思う。

あの時の恐怖は、消えてはいない。


私がキャロルに襲われて意識を失った後、助けてくれたのはルシアンなのではないかと思う。

そうであって欲しい私の願望なのかも知れないけど。

こうしてルシアンに抱きしめられていると、安心する。


先ほどのアルト侯爵の話は、1日で起きたことではないような気がする。

私が気絶してから、目覚めるまでどのぐらい経ったのだろう。


「3日です。ミチルが意識を失ってから、目覚めるまで。」


また読まれた…。


3日の間で全商会の抜き打ち検査か…。そんなのイキナリ出来る筈ないから、きっと準備は済んでたんだろう。

ギルドの立ち上げだってそんなすぐには出来ない。だけど時間を置けばグダグダになってしまう。

王子からギルドの話が出てから即対応していたということなのだろう。

さすがアルト侯爵。


ルシアンは私を膝の上から下ろすと、立ち上がった。

何処か行くのかな?

私を見て優しく微笑む。

何だろう、そんな不安そうな顔してたかな…。思わず頬を触ってみる。


「飲み物を用意してきます。

それから、食事を用意させますから、いい子にして待っていて下さいね。」


ルシアンは私の頭を撫でると部屋を出て行った。


いい子て…!

私これ完全にお子さま扱いじゃね?!


でもここはアルト侯爵家っぽいし、私が勝手にうろつく訳にもいかないし、声出ませんし。

確かにここで大人しくしてるのが正解だ。


ベッドにごろんと横になる。


…処刑…か…。


ここは、階級社会だ。

お金は大事だけれど、お金では買えないものがある。

キャロルの実家のダズン商会が、何を目論んで聖水を密輸入したのかは不明だけど、無害なもので良かった。

うちの国と隣国の過去の関係性は不明だけど、余程のことがない限り、国交の断絶は許されない筈。

それほどのことをしようと思えば皇国の許可が必要だろうし、それが認められたということは、よっぽどのことがあったということだ。


”流行りのウィルニア教団”と侯爵は言った。

ということは、歴史ある宗教団体ではないということだ。カルト?

特定の対象を熱狂的に崇拝する集団、特定の対象が国政に介入してるとか、そういうのだろうか?

でもそれで国交を断絶するか?

何か実害があったと考えるのが普通だ。


ドアが開き、ルシアンと、ルシアンの執事のロイエがワゴンを押して入ってきた。

ロイエはベッドの横にワゴンを置くと、慣れた手付きで紅茶を入れていく。たっぷりのミルクも追加される。

ミルクティー好きなんだよね。

ロイエからミルクティーを受け取る。

お礼を言えないから、笑顔を向けてみる。


ロイエはにこっと微笑んでお辞儀をし、部屋を出て行った。

このロイエという執事は、執事の癖にルシアンの欲求に大変忠実で、私とルシアンを容赦なく二人にするという、かなり鬼畜な執事だ。

普通は主のことを思って止めるべきなのに、ぐいぐい推し進めて既成事実を作らせようとしてるとしか思えぬ。鬼畜だ。


紅茶の香りがふわっと広がって、口の中でミルクの甘さと混じる。

ほっとする。


「あーん。」


私の両手がふさがってるのをいいことに、ルシアンがひと口サイズにカットされたサンドイッチを、私の口元まで持ってくる。


自分で食べれます!そう言いたいのに声が出ない。


仕方ないのでルシアンの手からサンドイッチを食べる。

あ、これ、私が前に作った卵サンドと同じ味だ。

私が作ったのより美味しい。さすがアルト侯爵家の料理人。


「どうですか?」


美味しいです、と言いたいけど、やっぱり声にならないので、こくこく頷く。


サンドイッチを何個かいただいたところで、そういえばルシアンは食べないのかな?と思い至った。

自分ばかり食べるのに夢中で、ちょっと反省である。


「私は大丈夫ですよ。」


そんな訳ない。育ち盛りの男子が食べないなんてよろしくない。

私は強引にカップをワゴンの上に置くと、サンドイッチを手にして、ルシアンの口元に差し出した。


途端にルシアンが幸せそうな顔になり、サンドイッチを私の手から食べた。


「ミチルに食べさせてもらうと、美味しさが増しますね。」


また、そうやって恥ずかしくなることを平気で言って…。

むむっとしている私の口に、くすくす笑いながらルシアンはサンドイッチを持ってくる。

もー、ルシアンが食べてよー。


「…安心、しました。」


そう言ってルシアンは私の左の頬を撫でる。


「倒れている貴女を見た時、心臓が止まるかと思いました。

貴女にかけられたものが何なのか判明するまで、落ち着かなくて…貴女は直ぐに目覚めませんでしたし、このまま永遠に目覚めなかったらどうしようと…。」


思い出しているのだろう。ルシアンの表情は苦痛を浮かべている。


「以前の私ならきっと、眠るミチルを自分の部屋に閉じ込めて満足したと思います。」


ちょっ、その発想ちょっと病んでるよ!!


「駄目ですね。今は、貴女に名を呼ばれたいと…貴女に愛されたいと思ってしまっている。」


「…っ!」


「愛しています、ミチル。」


胸がぎゅっとする。

嬉しくて嬉しくてたまらなくて、ルシアンのことが愛しい。


声にならなくてもいい。

自分の思いを、ルシアンに伝えたい。

いや、むしろ声にならないほうがいいかも知れない。

そう思いながら、ルシアンに言う。


「私も…ルシアンが…好き…。」


「!」


なんっ、なんでこういう時に限って声が出るの!?


瞬間的に顔が熱くなる。

ちょっ!え?!なんで?!


ルシアンはちょっと耳が赤い。

次の瞬間にはとろけそうな笑みで、「もう一度」と言う。


とんでもない!

首をぶんぶん横に振る私に、楽しそうに、「もう一度おっしゃっていただけるまで、私の愛情を態度で示そうと思うのですが、構いませんよね?」と鬼畜発言。


無理!

無理ーーーーーっ!!!

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