第22話 大人の責任
担架で運ばれたユイカは、あてがわれた病室で横になるとすぐに眠った。ヤヒリはその様子を見ながら「うん、大丈夫そうだね」と言った。
「気分が悪くなる子もいるから、様子を見ようと思って連れて来たけど、多分大丈夫だと思うよ。彼、起きたら連れて帰って大丈夫だから」
「……ありがとうございます」
ナミがぺこりと頭を下げると、ヤヒリはにこっと笑う。そして病室の外を指さした。
「ちょっと余計なお世話かもしれないんだけど」
「え?」
「キリ君のお母さんやエレン君に、お礼を言ったかい?」
エレンはヤヒリを呼んできた青年のことだった。ナミは顔を俯けた。
「……言ってないです」
「そっか。だったら、言ってきた方がいいね。彼らがいたから、この子は今ここにいるんだからね」
ヤヒリの言葉に、ナミは小さく頷いた。
「はい……」
ナミは病室を出ると、立ち話をしていたキリの母親とエレンに向き合ってお礼を言った。
「あの……今日は、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした。お陰様で助かりました。本当に、ありがとうございます」
二人は視線を合わせてから再びナミを見て、キリの母親が言った。
「まあ、それはいいけど。困ったときはお互い様だから」
「……ありがとうございます」
ナミが深々と頭を下げて再びお礼を言うと、キリの母は何度か躊躇ったのち、言いにくそうにこう言った。
「だけどね、あのさ……。ちょっと、聞きたいことがあるんだけどね」
ナミはゆっくりと顔を上げる。
「……はい、何でしょう?」
「あんた、本当にあの子の母親かい?」
彼女の質問に、ナミは胸を突き刺すような痛みを感じた。ナミは俯き、胸に手を当て小さな声で答えた。
「……いいえ」
「じゃあ、他人の子かい?」
ナミは尋ねられて、小さく頷く。
「そうかい」
「……少しの間、預かっていて欲しいと頼まれているんです」
キリの母親は大きくため息をついた。
「まあ、変だとは思ったけどね。母親だったら、ああいう時の対処法は心得ているもんだ。それに、先生が母親が誰か尋ねたとき、あんたはすぐに答えなかったし。他人の子なんだろうなっては思ったけど」
「……」
「だけど……だからって、今回のことは許されることじゃないよ。何で歩かせながら、飴なんて舐めさせてたんだい?そんなのやっちゃいけないことだって、分かるだろう?」
ナミは眉をひそめた。
「……あの子が、欲しかったので」
ユイカが欲しいと言ったのだ。食べたいと言ったのだ。それなのに、どうして自分が責められるのだろう、とナミは思った。
「だけど、それを止めるのが大人の責任だよ。本当に食べたいのなら、座って食べさせるとかそういう風にしないと。歩きながら食べてはいけないって、子供に危険があるからやってはいけないんだ」
ナミは「大人の責任」という言葉に嫌悪を感じた。それはナミが望んでいなくても、勝手に突き付けられてくるものだったからである。
「一時でも子供を預かるんなら、何が危ないのかちゃんと考えないと。そうしないといつか取り返しのつかないことになるよ」
「……」
彼女の説教じみた言葉に、ナミは答えなかった。
キリの母はこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか、小さくため息をつくとヤヒリの診療所の出口へ体を向ける。
「じゃあ、私は行くよ。先生からはもう聞くこともないと言われたしね」
「……はい。お気をつけて。今日は本当に、ありがとうざいました」
ナミが彼女を玄関まで送ると、傍に立っていたエレンが靴を履きながら言った。
「大変っすね」
「え?」
「子供預けられてるんでしょ?」
「ええ、まあね。今日はありがとう。助かりました」
「どういたしまして。まあ、急に頼まれたんで、何事かとは思ったっすけど」
「ごめんなさい……」
ナミがしゅんとして謝るので、エレンは慌てて言い繕った。
「ああ、ええっと、気を悪くしないでください。そういうつもりで言ったんじゃなくて、本当にびっくりしたって言いたかっただけっすから」
「でも、お陰で助かりました」
「いえ、それはいいんすけど。なんかその預ける親も、何に気を付けたらいいのか教えてくれればよかったですよね」
エレンの言葉に、ナミは虚を突かれた。
「……え?」
「だって、そうでしょう?俺だって子供を急に預けられたら困るっすもん。まあ、普通だったら断るか、断れなかったら俺の母ちゃんに頼るっすけど、そういうこと教えてくれても良かったのにって思うっすよ。だって、預けた方にも責任あるっしょ?」
――預けた方にも責任がある。
本当にそうだ、とナミは思った。
家の前にユイカ一人を置き去りにして、ナミに彼の面倒を押し付けたのだ。こんな結果になったのは、ユイカの両親のせいなのだ。
そんな風に一人の子供の命の責任を誰かに転嫁することができたのなら、どんなに楽だろう。
(だけど……)
しかし、そう思おうとするとユイルの顔がちらつく。彼はナミを見て優しい微笑みを浮かべているのだ。そして彼女に言う。
――ユイカを頼む。
そう言われているような気がして、途端に責められなくなる。彼に頼まれたのだから、ちゃんとしなければと思うのだ。だが、自分にはユイカを見守るための知識も責任も足りていなかった。そのせいで大切な人の息子を、そして自分にとっても愛おしいユイカを苦しめ、もしかしたら死なせてしまうところだったことが恐ろしかったのである。
その為、ナミはユイカに触れられなかった。見れなかった。
ナミの判断で苦しい思いをし、その上彼女の手で助けてあげられなかったとユイカは分かっている。そんな彼が、ナミにどんな瞳を向けるのか、どんな態度をとるのか分からず、何もできなかったのである。
「……そうかも、しれないね」
ナミは肩を落とし、力なく答える。心の中では、未だに自分を擁護する気持ちと、誰かを責めたいと思う気持ちが交互に入り混じっていた。
「まあ、寝ればきっとまた元気になるっすよ。お大事に」
エレンは笑って、ユイカの回復を祈ってくれた。
「ええ。今日は本当にありがとう」
彼はナミに手を振ると、自転車に跨り颯爽と帰っていった。
その背を見つめがら、ナミは「エレン」という青年を育てた母親はどんな人なのだろうか、とそんなことを思っていた。
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