第114話

 オスカーがリデルを別荘に送ると聞いた時、イーサンは大喜びしていた。いくらイーサンが公爵とはいえ、彼女が夫の元にいる限り、手出しは難しいとわかっていたからだ。

 リデルとオスカーの結婚は、国王と女神に認められたもの。ましてやリデル自身が離縁を望んでいないとなれば、なおさら彼女を『救い出す』ことは難しかった。


 けれどもし、護送中にリデルが『不慮の事故』で行方不明になったとしたら?

 そして野盗の手から、イーサンが彼女を救い出したとしたら?

 国王はオスカーを許さず、離縁を認めるだろう。そうすれば晴れて、イーサンはリデルの夫となれる。

 そしてミーナは、仲睦まじいリデルとイーサンをずっと側で見守るのだ。


 それなのに、一体どこで間違えたのだろう。

 

 イーサンの計画に協力を申し出た時?

 彼にリデルが別荘に行く際の道順や時間帯、護衛の人数、隊列編成を教えた時?

 騎士たちに睡眠薬を盛った時?

 それとも――イーサンが雇ったならずものたちの中に、リデルを残して自分だけ逃げた時?


 数え上げればキリのない間違いの中で、ミーナが犯した最も重い罪がそれだった。

 本音を言えば、少しだけ、リデルが怖い思いをすればいいと思ったのだ。

 どうせこれからリデルは幸せになる。野盗だってイーサンが雇った者たちで、脅しはしているものの本気でリデルに危害を加えはしないだろう。

 だから少しの間だけ恐怖に震えればいい。


 それは脇役としての人生を受け入れ、諦めていたミーナが、初めてその不満をリデルに向けた瞬間だった。


 亡くなるなんて思っていなかった。

 あれが今生の別れになるなんて、考えもしていなかった。

 自分の軽い思いつきのせいで、誰より大切だった人を失うことになるなんて。


『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……』


 リデルの遺体に取りすがり、ミーナは狂ったように謝り続けた。

 リデルは自死したと聞かされた。だけど、そんなものはなんの慰めにもならない。

 己がリデルを殺したも同然だ。

 やがて罪悪感に耐えきれなくなったミーナは、オスカーを責めることでなんとか心の均衡を保とうとした。


『全部……、全部旦那さまのせいです! 旦那さまが奥さまを殺したんだわ! この人殺し!!』

『あなたが、姫さまを別荘になんてやらなければ姫さまは! 返して、わたしの姫さまを返してよ!!』


 今になって思えば、妻を亡くしたばかりの人になんて惨いことを言ってしまったのだろう。

 けれどそうでもしなければ、自分だけが生きているという事実にとても耐えられそうになかった。


 そして恐らくは、イーサンもそうだ。

 自らが雇ったならず者たちにリデルを誘拐させようとしたせいで、彼女を永遠に失った事実を認めたくなかったのだろう。

 リデルの葬儀に駆けつけたイーサンは、リデルが死に至った原因はすべてをオスカーにあると責め立て、彼の目に一生消えぬ傷を負わせた。


 大切な者の死は、人の心を悲しみによって殺す。

 それからのミーナは、亡霊のようなものだった。ただ呼吸をし、喜怒哀楽を表に出さず、深い後悔の中で淡々とエミリアの世話をする日々。

 主人の後を追うことを選ばなかったのは、それがミーナにとってリデルの最後の言葉だったからだ。

 

きなさい!』


 そう叫んだ時のリデルの凜とした、覚悟を決めた眼差しが瞼に焼け付いて今でも離れない。

 どうしてあの時、あの場に留まることを選ばなかったのだろう。

 そうすれば今でも、ミーナの姫さまはミーナの側にいてくれたはずなのに。

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