15小節目 不敗の音楽と、腐敗する気持ちと
ゴールデンウィーク。吹奏楽部はそれなりに休みで、それなりに部活がある。
その中のとある一日は、雲一つない快晴で少し暑さすら感じる暖かな陽気だった。
『県立
僕はそのコンサートの会場前にいる。家の最寄りから数駅乗り継いで少し歩いた場所にある、
「わくわくするね、
「そうだな。吹奏楽部の演奏会は初めて聴く」
そして、僕はいつもの2人――
なお心音は、自分が舞台に上がって吹くわけでもないのに『護身用』と称するアルトサックスをケースに入れて持ってきている。ふわりとした服にごついサックスのハードケースはやっぱり似合わないし、そもそももう邪魔でしかない気がするのだが……。
事の発端は先日の部活のことだ。顧問の先生である
ちなみにここの顧問は心音の父だということは、その後に聞いた。
「変に参考にしようだとか、学びにいこうだとか、そんな風に気張る必要はないんだ。ただ純粋に楽しんでくれればそれでいいよ。じゃないと、せっかくの楽しい演奏会が楽しめなくなってしまうでしょ?」
という言葉をいただいたので、僕はこの演奏会を深く考えずに聴くことにしようとしている。ここ数日の間で楽しいとか楽しくしちゃいけないとかそんなので迷っていた僕だったけれど、もう自然に楽しくなってしまえばわざわざそれを壊す必要なんてないって思うようになったし。
「高校生の演奏、色々と参考にしたいところだな」
硬い表情の越阪部。このまえの先生の言葉を受けても、相変わらずストイックな姿勢を崩していない。ただ、それはそれで聴き方の一つなんだろうと僕は思う。純粋に楽しんで聴く、様々な技術を吸収しようと聴く。音楽の聴き方は人それぞれ自由であるべきで、自分の価値観を押し付けて強制するようなことはしてはいけないんだと思う。
まあ、上から目線で聴いたり睡眠用BGMにするのは正直やめてほしいけど。
「まあまあ、そんなに硬くしないでよ。一部は真面目な曲多いけど、二部はポップスだったり軽い曲ばかりだからさ。……
心音は護身用サックスのせいで両手が塞がっていてチラシを出せない。はいはい、と僕は仕方なく持ってきたチラシを見せる。
手書きのものをスキャンしてコピーしたらしい、手作り感満載なチラシ。アルトサックスを持った女の子と、ユーフォニアムという金管楽器を持った男の子のイラスト。
それにしても、イラストに吹奏楽一のマイナー楽器であるユーフォを持ってくるなんて。ユーフォ吹きの男子部員がいるのか、はたまた最近ユーフォ吹きが主人公の吹奏楽部のアニメをやっていたのが影響しているのか。
「ほら。ね?」
曲目の欄には、第一部にはコンクールの課題曲やらクラシックの曲が書いてある。が、第二部にはそれこそ流行りのJ-POPの曲、女子が好きそうなディズニーの曲だったりと、とにかく誰でも知っているような曲ばかり書かれていた。
越阪部は僕が差し出したチラシを眺めたが、すぐに。
「なあ。チラシを見るより、早く中に入ってプログラムもらったほうがいいと思うが」
と、表情を硬くしたままなんで僕らは気がつかなかったんだろうということを言ってきた。
--※--
入口でプログラムを受け取り、ホール内に入る。僕らは客席の真ん中らへんに陣取った。僕は左、心音は真ん中、越阪部が右だ。
ホール内には既にある程度お客さんがいて、家族だったり、他校の生徒らしき人だったり、はたまたお年寄りだったり……色んな人がいた。超満員とは程遠いものの客入りは決して少なくない。むしろちょっと多めと言ってもいいんじゃないだろうか。
奈々岡高校吹奏楽部はお世辞にも強豪校とは言えない。70人くらいの部員を擁する大所帯な部活で、A部門という大きな編成のためのコンクールに出場しているらしいのだが、昨年の成績は
手作り感満載のプログラムをパラパラとめくる。おそらく部員が製本したものだろう。
校長先生のコメント、ユーフォの男子部長のコメント。曲目とその解説。楽器とパートメンバーの紹介。○○な人ランキング、部員へのアンケート……。プログラムを読めば読むほど、ここの部活は楽しそうで仲が良さそうだと思ってきて、あったかい気持ちになる。
プログラムを読む僕に、心音が話しかける。
「ね、悠斗」
「ん?」
「ウチらもさ、いつかこういうの作りたいな」
「言うと思った」
こういうプログラムを作るということは、演奏会も行うということで……それにはまず、演奏会を行えるだけの実力が伴っていないと客を呼べない。
そして、今の
「……もっと上手くなったら、楽しく吹けるようになったら、だな」
「うん」
心音はうなずく。向こうの越阪部もそれに同意したかのように小さくうなずいた。
未来の僕らは、こういうことができるくらいになっているだろうか。今の僕には、何となく夢物語にしか思えなかった。自分で言っておきながら、さ。
--※--
2回目のブザーが鳴って、ざわついていたホールが静かになる。客席のライトが暗くなり、舞台上が眩しくライトアップされる。
奈々岡高校吹奏楽部の部員たちが堂々と入場してくる。人数が倍以上もいるんだ、オーボエやファゴットといった僕の部にはいない楽器もちらほらと確認できる。中学と高校のレベルの違い……というのはちょっとおかしいかもしれないけれど、それっぽいものを僕は感じた。
そして、最後に若い男性が入場してくる。おそらくここの顧問だろう。観客に向かって一礼すると、期待を込めた拍手があがった。
一曲目、インヴィクタ序曲。スプリングコンサートでは毎年この曲を、初心者の一年生も含めて一緒にやるというのが定番だと楽曲説明に書かれていた。このスプリングコンサートだけでなく吹奏楽界でも定番中の定番という曲で、知名度はかなり高いらしい。
顧問の先生の指揮棒が上がると、部員たちは一斉に楽器を構えた。たったそれだけの所作なのに場の空気が一気に引き締まる感じがした。演奏が始まる……!
緊張した空気を切り裂く、全楽器による鋭く華やかなファンファーレで曲は幕を開けた。そのパワフルな音圧に思わず身体をすくめる。迫力が桁違いだ。低音がずんと身体を揺さぶる。少し音量が落ち着いて、木管主体の旋律に移ると川の流れのような流麗さが見え隠れした。そして再び金管が加わり、段々と盛り上がっていき――シンバルが弾ける。
テンポが速くなる。まるで駆け出していくかのようなスネアと中音楽器たちの軽い刻み。身を乗り出した。演奏会の最初にやるには相応しい曲だ、とここで直感的に感じた。曲に、身体が無意識にノってくる。
クラリネットがとても低い主旋律を奏でる。決してきれいで澄んだ音ではない。しかし、個々の音程のほんの少しのズレが積み重なって、太くうねった独特の響きを生み出す。深い音の波に身体が沈み込むような感覚。強い。
上昇音と共にフルートなども加わってメロディーが高くなったかと思えば、全楽器が歯切れのいいアクセントで決める。打楽器群が勢いそのままに合いの手を入れると、今度は微妙に違う響きでもう一回決め。大人数の迫力のごり押しだ。
多少の粗はあっても、大人数の音の力にものを言わせて力強く音楽を押し進めていく。怖いものなんて何もない、ただ前に進むだけ。勇猛果敢に前へ前へ。
中間部に入ってテンポが緩くなり、曲調が柔らかくなっても力強さはそのままだった。サックスとホルンの低いメロディー。滑らかだが、美しいというよりかはやはりどことなく力を感じさせるようで。それをフルート、クラリネットらが引き継いで高い音域で繰り返しても、芯の通った音……いや、芯こそあるものの多少のブレがある、太く強く、それでいて繊細な音色が僕の心をぐっと揺さぶる。
たぶん、ばっさりと言えば、丁寧な演奏ではないと思う。ないと思うが……確かにその音楽には確固たるパワーがあって、僕はそのパワーの波に押されっぱなしだ。そして、それが僕はとても心地よいと感じた。
そう、これが吹奏楽の響き。力強く迫力のある、きれい過ぎず多少の濁りのあるサウンドだ。
上昇する8分音符2つのきっかけから、音楽は違う場面へと展開する。すべての楽器がそれぞれ違う動きをしながら、ゆったりと華麗に、しかし自由に力強く舞い踊るかのような……妖精たちが幻想的に宙を舞ってはいるが、その光景が繰り広げられている場所は荒涼とした荒野であったりする……たとえるなら、そんな感じかもしれない。こんな感じで、たとえのどこかに現実的な無骨さがないと、この曲を、この演奏を表現できない気がする。
中間部を抜けると、打楽器群の独壇場が始まる。再び駆け出していくスネアドラムを、バスドラムが絶妙なタイミングで地面となり支える。途中でティンパニが、その駆け出していったスネアをさらに強く後押しして――中音、金管、木管と短いモチーフが重ねられたかと思いきや、4分音符のアクセントが上昇して重なり……いったんシュッとしぼんたかと思えば一気にクレシェンドして前半の部分へと舞い戻ってきた。
同じ旋律でも中間部を挟めば演奏も変わるし、聴こえ方も変わる。一回聴いたメロディーがもう一度来ると、『ああ、戻ってきた』という安心感が曲に更なる力強さを与える。印象もより強く残る。
とにかく、この曲はパワーだ。もう一度みんなに言おう、怖いものなんて何もないんだ! と高らかに宣言するかのよう。この中に僕らと同じ楽器歴の人がいるだろうにも関わらず、聴こえてくる音は確かに70人の音そのもので、それが一体となって伸び伸びと聞こえてくる。
この吹奏楽部、将来入ってみたいかもしれない。僕がそう思ってしまうには、十分すぎる演奏だった。拍手を送りながらもなお、さっきの演奏の余韻が僕を浸して離さないような……そんな錯覚にも陥ってしまった。
これが、高校生。これが、大編成。……ああ、全然違うな。
僕は興奮のままに心音と越阪部の反応が気になって、拍手しながら横を見た。心音は身体を乗り出し、笑顔で拍手を送っていたが……越阪部は、なぜだかあまり浮かない表情をしていた。
僕から興奮がしゅっと抜けてしまう。確かに越阪部は高校生の演奏を参考にする、なんてことを言っていた。言っていたが……僕と、心音と、この瞬間の感情を共有できないだなんて。
聴き方を押し付けるつもりはない。つもりはないけれど……やっぱり越阪部は、損をしているんじゃないだろうか。
何か越阪部に声をかけてやりたいところだった。けれども僕と越阪部の間には心音がいて、その上演奏会の最中だ。僕はマイクを持って司会を進め始める顧問の先生に注目して、この演奏会を楽しむことにした。
楽しみたかったけれど……結局、越阪部の表情は一向に晴れることはなく。
何だか越阪部の表情に引っ張られるまま、第一部は終わってしまった。
音こそ出ているものの、やはり
休憩時間になり、笑顔の家族連れとすれ違った。あれは細かいことを考えてない、純粋に楽しんでいる人たちだ。
吹奏楽部に入っていて、初心者といえどもあの家族連れより絶対に音楽のことを、吹奏楽のことを知っているのに。
何で僕は、音楽を単純に楽しむことができないんだろう。
できなくなって、しまったんだろう……。
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