第5話 万年龍

 数歩先に視線を落としたまま、おばば様はゆるりゆるりと歩く。僕はその横を静かに付き従った。昼に近づき日差しは強まり、足元に落ちる影も濃くなっていった。


 草木を鳴らし、ふいに風が吹いた。顔を上げ目を閉じたおばば様は、鼻をひくひくとさせている。左右の耳は、間断なくいろんな方向へ動いている。


 おばば様はその目ではなく、鼻と耳で万年様を探しているように見えた。


 僕はといえば、きょろきょろと落ち着きなくあたりを見まわし、仲間のおじいさんがいれば万年様ではないかと気になった。おばば様が見落としているのではないのかと。


「おばば様」

「なんじゃ?」おばば様がゆっくりと僕を見た。

「万年様はどんなお姿をしているのでしょうか」


「姿?……ふぅむ、なんといえばよいのだろうか、説明はむつかしいな……まあ、見ればわかる」

「見ればわかるのですか」

「わかる。そこら辺を歩いているものたちとは明らかに違うのじゃ。あれを……威光というのじゃろうか」おばば様は何度もうなづいた。


「いこう、とは何でしょう」

「そうじゃのう。言葉や態度ではなく、そこにおるだけで、自然に我らを服従させてしまうような威厳じゃろうかな」


 公園にも原っぱにも、コンビニの駐車場にも空き地にも、人家の塀の上にも万年様の姿はなかった。


「もう、天に昇られたのじゃろうか」

 おばば様は、まぶしそうに空を仰ぎ、やがてその横顔は寂しそうに歪んだ。その姿があまりにもかわいそうに思えたから、少し気をそらせてあげたいと僕は思った。


「万年様はどんな力をお持ちなのでしょうか」

「あぁ……」おばば様は少し笑った。よかった。


「あたしもその力のすべてを知っているわけではないからのお。まあ、例えばじゃ、破壊をするなら、この町のひとつぐらいはいとも簡単にできるじゃろう。万年様は乱暴者ではない。情の深いお方じゃから、あくまでも例えば、じゃがな」


 おばば様の鼻が動いた。耳もせわしなく動いた。

「おった!」おばば様が弾んだ声で横を見た。僕もその視線を追った。小学校の前だった。


 ぷふ……おばば様が小さく笑った。

「バカでかい人間のひり出したうんちみたいじゃ」

 え? 僕には何も見えない。


「どこにいらっしゃるのですか」

「ほれ」おばば様がしゃくった顎の先に、茶色いものが丸まっている。校門の上だ。


「うんちじゃ」ばば様は、またクスリと笑った。

 尊いお方と言ったり、うんちと腐したり。ばば様と万年様の距離感がわからない。


「さて、行くぞ」ばば様は歩き出した。僕もそれに従った。

 近づくにつれ、校門は視界の中でせり上がり、万年様の姿は下へ下へと沈んでゆき、やがて見えなくなった。


 門の前でおばば様が座った。僕もそれに倣った。

「万年様、ばばにござります」


 しばらく待ってみたが声は返ってこない。ぐっすりと眠っているのだろうか。


「万年様、千年おばばにござります」

 風が吹き、遠くで小鳥が鳴いた。


「ばば」上から声が降ってきた。

「はい」ばば様は猫背をぎゅっと伸ばした。


「わしはウンチではない」

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