第二話 うみのうえのほてる

「サーバルちゃんッ!?」


 倒れたサーバルの肩をかばんが掴みます。体温は変わらないようですが、息は荒いままです。どうしようとパニックになりかけたその時、手首のレンズ状の物体から冷静な声が響きました。


「落チ着イテ、カバン」


 ラッキービーストです。機械であるラッキービーストは、こういう時でも平静を保つ事が可能なのです。


「ドウヤラ、サンドスターガ枯渇シカケテイルヨウダネ」

「サンドスターが!?」

「ジャパリマンヲ食ベサセテ、サンドスターヲ補給サセルンダ」

「分かりました!」


 かばんは荷台の袋を開け、ジャパリまんを取り出します。


「コノママダト危険ダ。パークニ戻ルヨ」


 ピコピコとレンズ状の部品が点滅し、バスが180°回頭します。ラッキービーストは、このバスの運転手でもあるのです。


「サーバルちゃん! 食べられる!?」

「ぅ……」


 かばんが小さくちぎったジャパリまんをサーバルの口に当てますが、意識のない彼女が食べる事は出来ません。それを見たかばんの瞳に、決意が宿りました。


「ダメだ……なら――!」


 かばんはジャパリまんを咀嚼すると、サーバルの顔を上に向かせ。迷わず口を合わせると、どろどろになったそれを流し込みました。



◆ ◆ ◆ ◆



「モウ大丈夫。コレナラ、ソノウチ目ヲ覚マスハズダヨ」

「よ、よかった……」


 かばんは胸を撫で下ろします。サーバルはすうすうと寝息を立てており、危険な状態を脱したという事を示していました。


「でも、サンドスターが足りなくなるなんて、なんで……」

「激シク動イタカラダネ。海ノ上ヲ走ッテイタカラ、ソレデタクサン消費シタンダト思ウヨ」


 フレンズは生きているだけでサンドスターを消費しています。生きていくためのエネルギーとしてサンドスターを必要とする、と言い換えた方がいいかもしれません。そしてフレンズは、体内のサンドスターがなくなると、元の動物に戻ってしまうのです。


「……あれ? 今までもサーバルちゃんは激しく動く事はあったのに、平気でしたよ?」

「ソレハサンドスターノ濃イパーク内ダッタカラダネ。パークカラ離レテサンドスター濃度ガ薄クナッタカラ、少シノ運動デ枯渇シテシマッタンダト思ウヨ」


 フレンズはジャパリまんからだけではなく、空気中のサンドスターを吸収する事も出来るようです。しかしそれは同時に、彼女達はサンドスターの薄い場所には行けないという事も意味していました。


「島ニハサンドスターヲ放出シテイル火山ガアッタカラ、モット遠クマデ行ケルハズダッタンダケド……マサカ、島ガナクナッテイルトハ思ワナカッタヨ」

「それは……仕方ないですよ。そんなの、誰にも予想なんて出来ません」

「ソレデモ、フレンズノ健康管理ハボクノ仕事ダ。ダカラ、ボクノ責任ダヨ」

「そんな事――!」

「うーん……」


 その時、眠っていたサーバルがもぞもぞと動きました。反射的に顔を向けたかばんの目の前で、サーバルのまぶたがゆっくりと開いてゆきました。


「……あれ、かばんちゃん……?」

「サーバルちゃん!」


 かばんは勢いよくサーバルに抱きつきます。サーバルは目をぱちくりさせながらも、おずおずと彼女を抱きしめ返しました。



◆ ◆ ◆ ◆



 陽が水平線に沈みかけ、海を赤く染める頃。サーバル達は、ジャパリパークへと戻ってきていました。


「サーバルちゃん、体は本当に大丈夫なの?」

「うん、もうなんともないよかばんちゃん!」

「それならいいけど……無理はしないでね」

「大丈夫!」


 サーバルはにっこりと笑顔を見せます。かばんはまだ若干心配そうですが、サーバルの興味が正面の景色に向いた事を見て取り、追究を一旦引っ込めました。


「ここ、でた時とはちがうところだよね。どこだろう?」


 出港したのは小なりと言えども港でした。しかるにこの場所は、奥には桟橋こそ見えていますが、どう見ても港ではありません。そして手前にはとても目立つ建物が立っており、桟橋の奥には砂浜が、そのまた奥には林が見えています。二人にとっては見覚えのない場所です。


「一番近クテチョウドイイ場所ガココダッタンダ。ココモジャパリパークダカラ心配イラナイヨ」


 ポンコツだから別の場所になった訳ではありません。むしろメンテナンスもなしに今まで稼働しているのですから、非常に優れた性能だと言えるでしょう。


「今日ハモウ遅イカラ、アソコニ泊マロウ」

「あれってなーにー?」

「ジャパリホテルダヨ」


 手前の建物を指してラッキービーストが言います。それはホテルと言うには、形状が大分逸脱していました。窓がたくさんあるビルという点は変わりませんが、屋上にはクジラをかたどった巨大なオブジェが設置されています。そして何より驚いた事に、建物の下半分が海に没しておりました。


「ホテルって?」

「旅ヲシテイル人ガ、一時的ニ休ムトコロダヨ。ロッジト似タモノダト思エバイイヨ」

「へー」

「明かりがついてますね」

「データリンクノ通リナラ、フレンズガイルハズダヨ」

「じゃあ早速いってみよう!」

「もう海の上を走っちゃダメだよ?」



◆ ◆ ◆ ◆



 かばん達が到着する少し前。ホテルの中で、とあるフレンズがソファーに身体を預け、やる気もなさげにぐだーっと溶けていました。


「あー……」


 都市迷彩のようなまだら模様の、灰と濃緑のパーカー。ところどころが跳ねている灰色の髪に、瞳孔が縦に裂けた金色の目。スカートからは細く長い尻尾が伸び、彼女の種族を表しています。『爬虫綱 有鱗目 クサリヘビ科 ハブ属 “ハブ” Protobothrops flavoviridis』のフレンズです。


「なー、なーなーなー」

「はい、なんでしょう?」


 そんな彼女に返事を返したのは、全体的に薄いピンク色の少女でした。エプロンドレス風のミニスカ衣装に、頭には変わった形の髪飾り。頭の上の獣耳は、特徴的な垂れ耳です。『哺乳綱 鯨偶蹄目 イノシシ科 イノシシ属 イノシシ亜種 “ブタ” Sus scrofa domesticus』のフレンズです。


「いつまで掃除やってんだー?」

「もちろん、ピッカピカになるまでです!」


 ブタはハブに答えながらも、手に持ったモップを動かします。彼女は綺麗好きなのです。しっかりと元の動物の性質を引き継いでいます。といっても別に太ってはいませんが。平均的なブタの体脂肪率は13%前後なのです。


「ピッカピカにしてどうするってんだー?」

「お客さんがいつ来てもいいように、綺麗にしておくんです!」

「ほー、お客さん、お客さん、ね」


 ハブの口元が皮肉気にゆがみ、黄金の瞳がぎらりと光りました。


「客なんかいつ来るってんだ! こんなオンボロホテルになんざ誰もこねーだろ!」

「で、でもこの間、二人も来ましたよぅ」

「ありゃただの人探しで、しかもすぐに帰ってっただろ! つーか二人“も”つってる時点で、客がいねーのは明らかじゃねーか!」


 毒舌です。どうやら毒蛇なので毒を吐くという事のようです。ちなみに動物の方のハブは、ピット器官(一部の蛇が持つ、赤外線を感知する器官)で熱を探知すると問答無用で噛みつくという、とても攻撃性の高い蛇です。毒そのものは弱いのですが量が多いので、人が死ぬ事もままあります。

 それを考えると、これでも大分マイルドになっているのかもしれません。


「あーもう、同じ事何回言わせんだよ……。客がいねーんだから、掃除なんかしたって意味ねーだろーがよ……」

「ほほう、では私も同じ事を何回でも言いましょう」


 ハブが座っているソファーの裏側から、にゅっと頭が生えてきました。銀と黒の大きな獣耳と、それと同色の美しい髪が目を惹きます。ブレザーにも似た濃灰色の服装が、彼女の髪色とよく調和しています。『哺乳綱 ネコ目 イヌ科 オオミミギツネ属 “オオミミギツネ” Otocyon megalotis』のフレンズです。


「げっ!」

「支配人!」


 そしてブタが言うように、このホテルの支配人でもあります。従業員はこの三人しかいませんが。


「私達は、いつお客様が来てもいいように、ホテルを完璧に保たなければならないのです!」

「クソ、地獄耳め……」

「何か?」


 オオミミギツネは鋭い眼光でハブを黙らせ、勢いに乗って畳みかけます。


「だいたい! アナタの持ち場はここじゃないでしょう! さっさと戻る!」

「だってよぉ、お客――」

「お客さんは来ます! 必ず来ます! 見なさい、この素晴らしい景色を! 他では決して見る事は出来ませんよ!」


 めいっぱい胸を張り、ガラスの向こう側に手を向けます。確かに彼女の言う通り、絶景であり他では見られない景色と言えるでしょう。


「水ん中に! 沈んでんじゃねーか!」


 何しろ半分海の中なのですから。景観という点では唯一無二でしょうが、わざわざフレンズが来るかは疑問です。海獣系のフレンズなら海中の景色は見慣れているでしょうし、水を忌避するフレンズも存在します。


 そもそもの話として、このホテルは陸地と直接は繋がっていないので、泳ぐか空を飛ばないと来られません。アクセス面からして問題があると言えるでしょう。


「うるさいわよ! ここはねえ、元々はすっごく人気のあるホテル……だったらしいんだから! お客さんが来ない訳ないの!」

「らしいって何だ! いつの話だ! 今! 客なんざ誰もいねーだろ!」

「いつ来るか分からないから準備するのよ!」


 いい事言った、とばかりにオオミミギツネはドヤ顔を見せます。ハブはそれに毒気を抜かれたのか、大きく息をつきました。


「はあぁぁ……。……なぁ、ところで今気づいちまったんだが」

「何かしら?」

「…………もし、もしだが、このホテルにお客がたくさん来たとして」

「いい事じゃない」

「この三人で手は足りんのか?」

「ぁっ…………」


 オオミミギツネが完全に固まりました。まるで石像のごとしです。どうやら全く考えていなかったようです。大きなケモミミのてっぺんから尻尾の先まで硬直してしまった彼女を横に、ブタが拳を握りしめて宣言しました。


「あっ、あの、そしたら私、もっともっと頑張りますから!」

「ブタさんは素直でイイ奴だなあ……」

「えへへ……」

「でもなぁ、こればっかは頑張って何とかなるとは思えねえんだよなあ……」

「ええー!?」


 どんなに頑張ってもどうにもならないでしょう。なにせ、物理的に手数が足りなくなるのです。フレンズは大抵とんでもない身体能力*1を持っていますが、それでも不足なのは目に見えています。


 ホテルの未来に暗雲が漂っている事に気づいてしまったその時。ロビーの方からチンチンチンという、呼び鈴の音が響いて来ました。


「お客様ッ!?」

「あっおい!」


 オオミミギツネは、将来惹起じゃっきされるであろう全ての問題を棚上げにして、ホテル支配人としての本能が命じるままに走り出しました。



◆ ◆ ◆ ◆



「あはは! これおもしろーい!」

「サ、サーバルちゃん、もういいんじゃないかな?」


 受付に備え付けられていた呼び鈴を、サーバルが調子よく鳴らしています。当初彼女には呼び鈴が何だか分からなかったのですが、ラッキービーストが使い方を教えてしまったのです。


「お、お待たせしました。ジャパリホテルへようこそ!」


 何故か三三七拍子で鳴らされていた呼び鈴を、急いで駆け付けたオオミミギツネが止めます。そのままさりげない仕草で取り上げ、営業スマイルを二人に向けました。


「わたくし、当ホテル支配人のオオミミギツネと申します。お泊まりですか?」

「は、はい」

「うん!」

「――った」


 小さく呟かれた言葉に、かばんとサーバルの意識が向けられます。そんな二人の様子も意識の外に、オオミミギツネは喜色をあらわにしました。


「――やった! やったやった、やったー! やっぱりお客さんは来るのよ! そうよ、人手不足が何よ、お客さんが少ないのが何よ! 私はこのホテルをパーク一のホテルにするの!」


 ぴょんこぴょんこと飛び跳ね始めた彼女に、かばんとサーバルの目がまんまるになります。ひとしきり跳ねた後、その視線にようやく気付いたオオミミギツネは、顔を真っ赤にさせながらも支配人としての業務に戻りました。


「た、大変失礼いたしました。すぐにお部屋を用意させて頂きますので、申し訳ございませんが、ここでしばらくお待ちください!」


 それでも恥ずかしかったようで、早足で走り去って行ってしまいました。二人はそんな彼女の後ろ姿をぽかんと見つめていましたが、かばんが気を取り直してサーバルに向き直りました。


「お、大きな耳のフレンズさんだったねサーバルちゃん」

「そ、そうだね。私よりおっきかったかも!」

「オオミミギツネノ耳ハ、顔ト同ジクライノ大キサガアルヨ。ソレデ虫ノ動ク音ヲ聞キツケテ食べルンダ」

「虫を食べるんですか?」

「小鳥ヤ果物ナンカモ食ベルケド、主食ハシロアリダヨ」

「へー、すっぱそうだね!」

「ど、どうだろ……?」


 どうやらサーバルは食べてみた事があるようですが、アリはすっぱいのです。これは蟻酸ぎさんという毒を持っているためです。しかしシロアリはアリではないため蟻酸は持っておらず、従ってすっぱくはないでしょう。

 なお実際に食べてみた人の話によると、木の香りと仄かな甘みがあるそうです。


「かばんちゃんかばんちゃん、外見て外!」

「え? うわぁ――――!」


 海上ホテルであるため、窓の外には海が広がっています。果てしない海は、吸い込まれてしまいそうな深い蒼色です。夕焼けの余韻が空を淡い茜色に染め上げ、海と空が美しいコントラストを描き、ちぎれ雲がアクセントとなっています。


「キレイだね……」

「うん、すっごいね……」


 太陽が沈むにつれ、そんな風景が刻一刻と色をかすれさせていきます。まるで水平線が溶け落ち、海と空とが渾然一体となってしまうようでありました。


「あれ? なんだろ?」

「え?」


 ふと横を向いたサーバルが何かを見つけました。壁に半円形の、大きな扉らしきものが嵌まっています。彼女がその前に立つと、いきなりそこが開かれました。


「らっしゃい!」

「うわぁ!」

「ははっ、びっくりしたか? まさにヤブヘビってヤツだ!」


 扉ではなくシャッターだったようです。その向こうにはスペースがあり、そこからハブが飛び出してきました。客が来た事を察知して、いつの間にか持ち場についていたのです。彼女は『客がいない事』は不満でも、『ホテル従業員として働く事』には特に不満は無いようでした。


「えーと、ここは……」

「おう、お土産コーナーだ! 色々置いてるぜ?」

「おみやげ?」

「旅の思い出や記念になるような品物の事だ」


 『おみやげ』と書かれた暖簾のれんが上から垂れ下がっており、棚には様々な物品が並べられています。そのうちの一つを、サーバルが手に取りました。


「なんだろこれ……棒?」


 何故か全国の土産物屋に置かれている定番、木刀です。には『じゃぱりパーク』という文字が入っており、ご当地感を醸し出しています。サーバルはそれを楽しそうに振り回しますが、ハブがびくりと反応しました。


「うおっ、こっちに向けんな! 俺はそういうのが苦手なんだよ!」

「そうなの? ごめんね」


 どうやらハブ取り棒を思い出すようです。妙な形で元の動物の性質を引き継いでいます。


「これってひょっとして――サーバルちゃん?」


 かばんが手に取ったのは、台の上にたくさん並べられている、デフォルメされた二頭身でした。ハブがすかさず説明を入れます。


「おっ、ぬいぐるみとはお目が高いな。今一番人気の商品だぜ」

「それ、私? 似てるかなー?」

「うん、似てるよ。ホラ、耳の形とか服もそっくりだよ」

「そう言われるとそんな気がしてくるかも! かばんちゃんのはないのかな……あっ、これカラカルかな?」


 サーバルが取り上げたのは隣のぬいぐるみです。シルエットや服のディテールはサーバルに似ていますが、色が違います。サーバルは浅黄あさぎに近い色合いですが、こちらは赤みが強く、薄めの緋色です。また服にはサーバルにはある斑点がなく、耳の先端に房毛ふさげがついているのが特徴的でした。


「知ってるフレンズの人?」

「うん、お友達だよ! かばんちゃんは……そういえば、会ったことなかったかも」

「……かばん? お前、かばんって言うのか?」


 ハブが唐突に、かばんの名に反応しました。まじまじと見つめる彼女に向け、サーバルが元気よく手を上げます。


「そうだよ! こっちはかばんちゃんで、私はサーバル! かばんちゃんを知ってるの?」

「あ、ああ、俺はハブだ。いや、知ってるっつうか……。……お前がかばんなら、ヒトか?」

「そ、そうです。あの、どこかでお会いしましたか……?」

「いや、そういう訳じゃあない。お前を探してるヤツらに会ったんだよ」

「僕を?」

「かばんちゃんを?」


 息がぴったりの二人にハブは一つ頷きを返し、その時の事を話し始めました。


「何日か前、『ヒトのフレンズを探してる』って二人組が来たんだ。んでその片方が、お前の名前を出してたってワケさ」

「誰が……?」

「それは――――ああ、ちょうどいいな。こいつらだ」


 ハブが手に取ったのは、種類の違うぬいぐるみ二つです。片方は鱗状の茶色いスカートに同じ模様のハンチング帽、もう片方は模様は六角形ですが似た帽子に、藍色の髪。かばんとサーバルの目が、後者にとまりました。


「これって……」

「……オオアルマジロさん?」

「知り合いか?」

「はい、前に一度……でも、なんで?」

「ヘラジカが呼んでるのかな?」


 サーバルがオオアルマジロのボスの名を挙げます。しかしそれだと、腑に落ちない点があります。


「それなら、オオアルマジロさんと一緒にいるのは、ヘラジカさんと一緒にいたフレンズさん達の誰かじゃないかな?」

「あっ、そっか」

「俺も探してる理由までは聞いてねえな。まあ直接会って確かめてみりゃいいんじゃねえか? 連中が今どこにいるかは知んねえけどよ」

「そうですね……」


「大変お待たせいたしました。お部屋のご用意ができましたので、こちらにどうぞ」


 ちょうどその時オオミミギツネが現れ、二人をスイートルームに案内したのでした。



◆ ◆ ◆ ◆



 部屋に荷物を置き、ホテル内の施設を一通り回った後。かばんとサーバルの二人は明かりを消した部屋の中で、ベッドに横になっていました。かばんは仰向けですが、サーバルは本能のためか、うつ伏せで猫のようなポーズです。


「わぁ……」


 かばんが窓の外を見て声を漏らします。揺れる海藻の間に魚が泳ぎ、その鱗に月光が時折反射して白銀にきらめいています。そう、ここは海中に位置する部屋なのです。


 この薄いガラスでは水圧を受け止めきれない*2ようにも思えますが、割れる気配は微塵もありません。このホテルは陸地に立っていたが半分水没した、とオオミミギツネ達は思っているようですが、ひょっとしたら最初からこういう建物だったのかもしれません。


「その……かばんちゃん」

「どうしたのサーバルちゃん?」

「ごめんね」

「えっ?」


 唐突にかけられた意外な言葉に、かばんは困惑します。サーバルは元気なく言葉を続けました。


「その……私、あんまり頭がよくないから、考えてようやく気づいたんだけど…………。私がたおれたから、かばんちゃんはパークに戻ったんだよね? だから、私がいなかったら、今頃ヒトを見つけられてたかも――」

「そんな事ない!」


 かばんはベッドから思わず身体を起こします。常にない強い調子にサーバルは目をしばたかせますが、構わずかばんは詰め寄りました。


「サーバルちゃんを危ない目にあわせてまでやらなきゃいけない事なんてない!」

「かばんちゃん……」

「だから……『私がいなかったら』なんて、言わないで……」


 うつむいてしまったかばんに、サーバルがそっと手を伸ばします。その手がかばんの頬に触れ、少しだけ濡れたその時。枕元に置かれていた、レンズ状の部品が点滅しました。


「二人トモ、モウ寝タ方ガイイヨ」

「ボス……」


 黙って経緯を見守ってきたラッキービーストです。その声はいつもと変わらぬ合成音ながら、どこか優しく響くようにも思われました。


「人間モフレンズモ、疲レテイルト良クナイ事ヲ考エルト聞クヨ。ダカラ今ハ眠ッテ、疲レヲトッタ方ガイイヨ」

「……そうだね。寝よっか、かばんちゃん」


 サーバルの言葉に、かばんはこくりと一つ頷きを返します。二人はほどなく眠りにつきましたが、その手は強く重ねられておりました。



◆ ◆ ◆ ◆



「――んちゃん! かばんちゃん、起きて!!」

「ぅん……なに……?」


 焦ったようなサーバルの声に急かされ、かばんの意識が眠りから引き上げられます。周りはまだ暗く、未だ夜は明けていません。ですがそんな事に構っていられないと言わんばかりに、サーバルが一点を指し示しました。


「あそこ! あれ見て!!」


 指の先の窓の外。仄暗い海の中で、何かがうごめいています。


「ぇ……?」


 夜の海に紛れてしまいそうな、暗い灰色の体躯。表面はでこぼこしていますが、全体としてはゆがんだ球のような楕円のような奇怪な形状です。明るさが足りないせいで分かりにくいですが、その体からは触手のような太い腕が四本、うねうねと伸びています。


 そして、体の中央に鎮座する、ぎょろりとした一つ目。と目が合ったかばんが、驚愕と共にその名を叫びました。


「セルリアン!!」



――――――――――――――――――

*1 とんでもない身体能力

参考として、フライのコミック版だと、サーバルが1㎞を34~35秒で走り、300㎏の岩を16m投げている。これでも『フレンズ標準』らしい。

*2 水圧

一例として、沖縄ちゅら海水族館の巨大水槽(高さ8.2m×幅22.5m)は、厚さ60cmものアクリルガラスを使っている。

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