2 背広

 父はときどき思い出したように、わたしたちを遊園地だの動物園だの川遊びだのに連れ出した。

 小学生の頃ならともかく、妹も中学校に上がるころになれば、いいかげんもう父親にどこかに連れて行ってもらうことを喜ぶような年頃でもなかったのだけれど、父はそれが親の義務か、あるいは甲斐性だと、頭から固く信じ込んでいるようだった。

 その信念の中には、わたしや妹が子供時代に母からどこにも連れていってもらっていなかったのだろうという思い込みが、いくらか混じっていたように思う。実際にはそういうわけでもなかったのだけれど、わたしも妹もその誤解を解こうとしたことはなかった。

 父はどんな場所に出かけるにも、ちょっとだらしないというか、正直に言えばおじさんくさくて野暮ったい格好をしていた。そして、わたしたちがいくらそのことをからかっても、「そうかあ?」と首をかしげるだけで、一向にあらためるつもりはないようだった。

 わたしたちのほうでも文句を言いながらも、そういう父と一緒に出歩くことを、本心から恥ずかしいと思っていたわけではなかった。



 あるとき、わたしの三者面談があった。

 高二の夏の話だ。その数日前の晩、父はタンスの奥からしわだらけの背広とぐちゃぐちゃのネクタイを引っ張り出して、うへえと言った。

「父ちゃんネクタイなんか持ってたの。似合わなさそうだねえ」

 妹がからかうと、父は情けなさそうに唇を曲げた。「そう思うか?」

 妹はケタケタと笑って、似合わない似合わないと繰り返した。わたしも正直、同感だった。二人が口をそろえて似合わないというので、父はすっかりふてくされて、その顔のまま「俺もそう思う」と言った。

「でも、大事な娘の進路を決める面談だからな。父ちゃんもちゃんとした格好で行かないとな」

 さんざん笑ったけれど、当日いざ学校に現れた父を見て、わたしはぽかんとした。

 いつもは剃り残しのひげがどこかしらに見つかる顎をきちんとあたって、髪をなでつけた父は、別人のようだった。

 ちゃんとクリーニングに出しておいたらしい背広は、父によく似合っていた。よく見れば少し時代遅れというか、垢抜けないようなデザインなのだけれど、どういうわけか父が着ていると、少しもそういうふうには見えなかった。

 わたしが呆気にとられているのをみると、父は気まずいような、拗ねたような顔をして、唇をとがらせた。

「似合わないのはもうわかったよ」

 わたしはぶんぶんと首を振った。「似合ってるよ。すごく似合ってる」

「慰めはいらん」

「ほんとだって」

 言い合いながら、わたしたちは廊下に並んでいたパイプ椅子を軋ませた。落ち着かないときに貧乏揺すりをするのは父の癖で、ふと気がつくとその習慣は、わたしにも感染していた。

 前の生徒の順番を待ちながら、わたしは横目にちらちらと父の背広姿を盗み見た。最初は驚いたけれど、背中を丸めて落ちつきなく足を揺すっているところを見ると、父はやはり父で、わたしは少し安心しかけた。

 けれど、前の生徒が面談を終えて出てきて、

「安藤さん、どうぞ」

 中から先生にそう呼ばれると、父は立ち上がって背筋をすっと伸ばし、表情を改めた。

 そうすると、普段の、穴の開いたジャージだの首回りのよれよれになったTシャツだのをだらしなく着ている姿のほうが、もう嘘のようにしか思えなかった。父はまるで、どこか大きな会社でたくさんの部下を従えてバリバリ仕事をこなしている男の人みたいだった。

 わたしはその場で固まってしまって、なかなか続いて入ってこない娘をいぶかしく思った父が振り返って呼ぶまで、そのまま立ち尽くしていた。

 急に、不安になったのだ。けれどその不安は、面談のあいだに小さく小さく押し固められて、胸の奥のほうに念入りに押し込まれた。

「この子がやりたいことを」

 という言葉を、たった二十分かそこらの面談の間に、父の口から三度は聞いた。

 正直に言えば、やりたいことというのがわたしには特になかった。だから内心では気まずい思いもあったのだけれど、ともかくわたしは家から通うことのできる国立大を挙げて、先生もそのあたりが妥当だろうねと同意した。

 父はわたしを進学させたがっていた。もしわたしが金銭的な部分に気を遣って、高校を出たら働くとでも言い出したなら、それこそ涙を流して憤慨するにちがいなかった。

 三日でひと箱のタバコとたまの晩酌以外には贅沢らしい贅沢もせず、パチンコも競馬も女遊びもしないことを、わたしたちのためだとは、父は言わなかった。だけどわたしも妹も、言われずとも承知していた。

 けれどわたしはこの日、父が二人の娘を育てるために職を変わったのではなかったかという可能性について、はじめて考えたのだった。

 考えすぎかもしれない。二人も子供を育てるのなら、むしろ大きな会社でサラリーマンをやっているほうが経済的には安定するだろう。わざわざ収入の低いほうに移ることはない。

 それにわたしと妹が母に連れられてあのアパートに転がり込んだとき、父はすでにいまの会社で働いていたように思う。現にわたしは父の背広姿を、このときまでは見たことがなかった。

 しかし背広はタンスの奥に眠っていたのだ。この日のために新しく買われてきたわけではなく。

 考えすぎだろうか。いまの勤務先は残業も少なく、育児中の父に理解もあって、娘たちのために手料理を作ることだってできる。社長の奥さんがわたしたちのことを気に掛けて、ときどき世話を焼いてくれたりもする。金銭と時間とを秤に掛けて、父はいまの生活を選んだのではなかっただろうか?

 面談が終わって進路指導室を出ると、父はドアに向かって深々と一礼した。それから人が変わったように(というか、もとに戻ったようにというか)、片手で雑にネクタイを緩めて、さっさと背広を脱いだ。

「あー、肩凝ったァ」

 そうぼやいてわたしの手に上着を放り投げ、肩をぐるぐる回してみせる姿は、もういつもどおりの父だった。

 このときが多分、最後のチャンスだった。ねえ父ちゃん、いまの会社に入る前は、どんなところで働いてたのって、何気なくさらりと聞いてしまえばよかったのだ。

 だけどわたしは、たったそれだけの言葉をどうしても口に出すことができなかった。そして疑念は小さく押し込められた分だけ重く固くなって、胸の奥のほうにいつまでも残った。



 妹はその日、父の背広姿を見なかった。父が家に着くなりさっさと着替えてしまって、妹が部活から帰ってきたときには、襟の伸びきった特価三九八円のシャツと穴の開いたジャージに戻っていたからだ。

 夜、寝るときになって、妹が笑い含みの小声で「ね、お父さんの背広、どうだった?」と聞いてきた。

 妹もわたしも、父のいないところでは彼のことをお父さんと言い、本人に向かっては父ちゃんと呼んだ。いつからそうだったかは覚えていない。友達のいる前で父ちゃんと呼ぶのを聞かれるのは恥ずかしかったし(友達はたいてい父親のことをお父さんとかパパとか呼んでいた)、だけどそう呼ばないと父は傷ついたような顔をしたから。

 わたしは笑って嘘をついた。「ぜんぜん似合ってなかった」

 そう言わなくてはならないような気がした。妹はわたしの嘘を真に受けて、ケタケタと明るく笑った。

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