2019/09/22(日)
家でリュック・ベッソンの『レオン』を観た。子供が出ていて評判が高いということでこの映画を選んだのだが、私としてはそこまで感動しなかった。ナタリー・ポートマンをはじめとする役者陣の演技は大したものだし、カメラワークなどの技法に関しても文句のつけようがないのだが、それ以上どこにこの映画の良さを感じればいいのかわからなかったのだ。
私にとって本当にいい映画というのは、それがどこから来るのかリアルタイムでうまく分析できない、得体の知れない感動を与えてくれるものだ。つまり映画のすべての要素が渾然一体となってこちらに迫って来るということだ。それは小説についても同じだ、と書こうとしたところで思ったのだが、これは私が映画や小説に詳しくないからそう言っているだけで、専門的な知識が増えればそういう感動は必然的に薄れるのではないだろうか。そもそも得体が知れなければ批評はできないのだ。
私にとっては音楽を引き合いに出すことが役に立つ。音楽理論を学んでから私は明らかに前ほど音楽を楽しめなくなった。それでも、本当にいい演奏に接するときには、すべての要素が渾然一体となって迫って来る種類の良さがあるように感じられる。
自分が鑑賞者であるときには、むやみに専門知識を増やすことによって得るものは少ないかもしれない。私は映画に関しては、カメラワークや構図などといったことに関して今以上に知りたいと思わない。しかし、小説についてはどうだろう。今読んでいるノースロップ・フライの『批評の解剖』は、あくまで批評の技法について述べたもので、小説の技法を述べたものではない。世の中に小説の書き方を論じた本は数あれど、私の興味を惹くものはほとんどない。芸術の中でも、小説というジャンルにおいては、なぜか素人とプロの間の壁が薄い。絵画におけるのと同じ意味で「練習しないと書けるようにならない」文章というのは多分ほとんど存在しないのではないか。これはやはり、小説の素材である言語を、他のジャンルの素材に比べて私たちが日常的に極めてよく使っているということに由来すると思われる。読み書きができれば、私たちは誰でも小説家になる素質を持っているのだ。
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