2019/08/05(月)

 一昨日書いた「プラネット・テレックス」について。

 あの話は自分が今までに考えたことをミックスして書いている。実際に早朝の駅のホームでレディオヘッドを聴いたわけではないが、自殺について考えること、レディオヘッドの二曲の歌詞を比較することは、私の過去の経験ほぼそのままだ。

 今になって気付いたのだけれど、「自殺の可能性もあると考えることが、逆説的に自分の存在を安定的なものにしている」と思うことと、レディオヘッドの二曲の歌詞を比較して「壊れていながらも正しい場所にあり続けることは可能なのだ」と思うことのあいだには、一種の相似がある。この相似が、あの話を小説っぽいものにしている。小説っぽいものを書こうとしたら、自分の頭の中から無意識にそういう相似形のものが引き出されたというわけだ。

 あの話では、自殺の可能性について考えてから、「Everything in its Right Place」のことを思い出してレディオヘッドの歌詞について考える、という順番になっている。しかし本当は逆ではないのか。まず「プラネット・テレックス」を聴いたことで、「Everything in its Right Place」が無意識に浮上し、自然と「壊れていながらも正しい場所にあり続けること」について思う。それが引き金となって、いつもの自殺についての考察が始まったのではないか。読後の解釈としてはそのほうが自然な気がする。

 このように、出来事の順番は、文章に書かれている通りとは限らない。学術論文の最初には結論が書かれているように、われわれの人生においても、無意識のうちにまず結論があり、それを実現するように考えたり行動したりする、ということはあるのではないか。

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