第31話 おじさん、罠を粉砕する

 僕は『闇狩り』のメンバーを振り向いて、


「みんな逃げるんだ! 焼け残った証拠と証人の保護を!」

「何言ってる、お前も逃げろ、アル!」

「僕は時間を稼ぐ! このままじゃ全員の脱出に間に合わない!」


 言っているうちに、炎の精霊イフリートはどんどん膨らんでいく。

 周囲の霊素エーテルが枯渇しない限り、人工精霊は巨大化を続ける。過去の事例では、風の精霊エアリアルの暴走で村が一つ瓦礫になったこともある。


 このペースで大きくなったら、倉庫の出口に辿り着く前に全員が炎に呑まれて灰になるだろう。


「デズデラ、【霊素遮断エーテル・シャッター】を炎の精霊イフリート中心に展開して! 僕ごとで構わない!」

「死ぬ気カ、アルフレッド!? 巻き込まれたらオマエも魔法が使えなくなるゾ!」


 デズデラの意見は概ね正しい。

 でも正確じゃない。


 僕は死ぬつもりはないし――【霊素遮断エーテル・シャッター】の内部にいても魔法が完全に使えなくなるわけでもない。


(要するに、ここでもスピード勝負だ)


 炎の精霊イフリートは周囲の霊素エーテルを吸収して巨大化する。

 魔法使いは周囲の霊素エーテルを取り込んで魔法を発動する。


 つまり、【霊素遮断エーテル・シャッター】の内部に残留する霊素エーテルを使い尽くすのはどちらが先か。


(ついでに言うと、僕の方は炎の精霊イフリートに焼き殺される前に、って条件もプラスしなきゃ)


 かなり条件の悪い勝負だけど、それでも無理ではない。


 肥大化する炎は既に地下室の半分を占め、さながら檻に閉じ込められた光の巨人のようだったけれど、多分、無理じゃない。

 ……多分。


 僕は、さっさと魔法を放つ。


(【耐熱レジスト・ヒート】――)


 肌を焦がす熱と、毛先から立ち上る煙が止んだ。


(――【氷槍アイス・グレイヴ】)


 きん、と澄みきった音を立てて。

 一瞬にして床から伸び上がった巨大な氷柱群が、紅蓮の巨躯を宙に縫い止めた。


 熱を奪われ、湯気を上げながらもがく人工精霊。

 言葉のない咆哮――あるいは悲鳴。


「――――!!!」


 僕が立て続けに発動した魔法で、地下室に残っていた霊素エーテルは瞬く間に消費されていく。


 しかし炎の精霊イフリートは活動を止めない。

 肥大化が無理なら、せめて手の届く範囲にいるものだけでも道連れにしようと、僕に向かって燃え盛る両手を伸ばす。


(賢い精霊だ。それに、まだ消滅しないなんて――あの【呪詛カース】を作った魔法使いの仕事だな、きっと)


 出来るだけ目立たないように、手加減してこの状況を切り抜けるのは、難しいかもしれない。


 それなら、全力を尽くそう。 


 業火にはためくローブの裾が、じゅうと音を立てるのを無視して。


(【耐熱レジスト・ヒート】を解除――そして)


 鼻先に突きつけられた炎からの凄まじい熱気。

 それだけで目玉が沸騰しそうなほど。


「彼方より来たる、彼岸より届く、震えざわめき響く」


 僕は、皮膚が焼ける苦痛を堪えて唱える。


「全てを薙ぎ、潰し、平らげ、打ちて払いし鳴るものよ――【大津波タイダルウェイブ】」


 上級カテゴリーの中でも攻城に使われる最大規模の魔法。

 当然霊素エーテルが枯渇した【霊素遮断エーテル・シャッター】の中では発動しない――はずだった。


 もしも、デズデラがもう少し強固な結界を張っていたら。


「――ナ、どうやっテ、アルフレッド――結界を無理やり解くナンテ!」

「デズデラも逃げて! 大きいのを呼んだ――」


 足元から頭頂部まで、突き抜けるような鳴動。


 僕はなんとかバランスを取ると、はしごに飛びついて地下室から這い上がった。

 尻餅をついたデズデラを抱きかかえて、倉庫の出口に走る。


 背後では結界から解き放たれ、一気に肥大化する炎の精霊イフリートの気配。


「そんな、ありえないダロ、アタシの魔法を!」

「コツを掴めば、天恵ギフト無しでも出来るよ。今度やり方を教えてあげるから」

「イラン! それより、ヤバいゾ、もうキちゃう――」


 再びの振動。

 魔法は足元まで来ている。


「もう少し――間に合えッ」


 僕が肩から扉にぶち当たり――倉庫の外へ飛び出したのと。

 炎の精霊イフリートが振り下ろした腕が、木製の扉を炭に変えたのと。

 下水道を逆流してきた津波が排水口から一気に噴出して、倉庫全体を吹き飛ばしたのは。


 全て同時に起きたことだった。


 ――勢い余って路地を転がりながらも、僕はなんとかデズデラを放り投げずに済んだ。

 彼女を抱え込んだまま、道の反対にあった建物にぶつかって止まり、


「……うう、腰が痛い」


 それでも。

 炎の精霊イフリートごと跡形もなく消滅した倉庫――正しくはその敷地を眺めて、僕は安堵の溜め息をついた。


 吹き出した海水――いや、汚水は雨のように辺りに降り注ぐ。

 これは寝る前にどこかで全身を洗わないと、臭いが酷いことになりそうだ。


 周りを見渡すと、呆気にとられた『闇狩り』の面々とピエール、路地にまで流れ出した大量の汚水で溺れかかっている闇ギルドの連中、そしてこちらに駆け寄ってくるエレナ――


「アル! お前、今度は何やったんだ!?」

「ごめんエレナ、本当はもう少しスマートに片付けたかったんだけど――」


 いつかのように勢いよく抱きつかれて、息が詰まる。

 ……相変わらずタックルの威力が尋常じゃない。

 その上ギリギリと締め上げられて、今度こそ内臓が破裂しそうになる。


「この、馬鹿、無茶ばかりして――いい加減、学べっ、魔法使いのくせに!」

「……そうだよね。心配かけて、ごめん、エレナ」


 でも、多分この痛みは、エレナの心配の証だ。

 だって、あれだけ精妙に剣を振るえる人が抱擁の力加減を間違えるなんて。


「……ええと、申し訳ない、ピエール。隠密作戦だったのに」

「いえ……いえ」


 声をかけられて、ピエールはようやく驚きから開放されたらしい。


「……このピエール、感服いたしました。魔法の腕はもちろん――状況判断の速さ、正確さ、絶体絶命の危機にあって他者を優先する献身と勇気」


 彼は僕のもとにやってくると、何故か膝をついた。


「後のことはお任せください、アルフレッド様。このピエール、いただいたご助力を無駄にするようなことはいたしません。掴んだ手がかりを元に、闇ギルドの壊滅はもちろん、パイク・リリーの陰謀もつまびらかにしてみせましょう。我らリリー領都の冒険者ギルドの名にかけて」


 いつの間にかトレイシー達、『闇狩り』のメンバーまで膝をついて頭を垂れている。


 ちょっと待って、大げさ過ぎる。

 僕は自分と周りのことを天秤にかけて、できることをやっただけだ。

 もしかしたら、もっと良い方法だってあったかもしれない。


 なんて言っても、多分彼らは顔を上げてくれないだろう。

 彼らが本気なのは、ひしひしと伝わってくる。


「……ありがたいお言葉です、ギルド長殿。どうぞよろしくお願いします」


 言って、エレナの腕をほどき、立ち上がる――

 と思ったけど、まだデズデラを抱えたままだった。

 

「デズデラ、怪我はなかったよね。そろそろ降りてもらってもいいかな――」

「――ごい」


 ん? なに?


「――すごい、スゴイ、スゴいゾ、アルフレッド! ワタシの【呪詛カース】を解いた時カラ只者じゃナイと思ってたケド――オマエは、ホンモノだ! ホンモノの魔法使いマグスダ!」


 今度はデズデラからの強烈なハグ。

 首に腕を絡めるはやめて、締まる、頸動脈、苦しい、死ぬ。


「やっと見つけた、オマエだ、オマエが良い! ワタシはオマエに決めたゾ!」


 彼女はルビーの色をした瞳で、僕を真っ直ぐに見下ろして、


「ワタシはオマエの子を産むゾ、アルフレッド!!」


 …………


 僕はデズデラの腕を引き剥がすと、今度こそ立ち上がった。

 炎に焼かれ、汚水に浸かったボロボロのローブを脱いで小脇に抱えると、


「……じゃ、皆さん。衛兵が集まる前に、撤収しましょうか。日が昇り次第、冒険者ギルドに集合して、資料の内容検討と構成員の尋問を」

「無視するナーッ!? 今、今ワタシすごいコト言ったゾ! かなり大胆発言したダロ!? アレ、ちょっと、アルフレッド!? アレ!? 聞こえてないノ? アレ? アレレー?」


 わめきつづけるデズデラを相手にする体力はもう無くて、僕らはガッポガッポと不快な音を立てるブーツを引きずりながら、宿に戻った。


 ――燃え残った顧客名簿の中に、パイク・リリーの名前があると分かったのは、翌朝のことだった。

 依頼内容は、ジャック・リリーの暗殺――そして戦術魔法士達による護衛。


 そして、レオンとミドとファドの別働隊が戻ってきたのも、同じ頃。

 彼らが集めてきた証拠は、闇ギルドの名簿の内容を裏付けた。


 ジャック・リリーの馬車を押しつぶした土砂崩れは、魔法によって引き起こされたものだった――発生源には微かに魔法痕サインが残っていたのだ。


 こうして。

 パイク・リリーを当主の座から引きずり下ろす為の武器は、全て揃った。

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