「古代の戦術① ファランクス以前」 〜方陣と諸兵科連合〜

 「古代の戦術①  ファランクス以前」

 

 ——オリエント世界——

 

 オリエントとは、古代世界の中心であったローマからみて東側の地域のことである。現在でいう中近東、トルコ、エジプト、イラクのあたりを指す場合が多い。

 オリエントは人類の文明が最も古く誕生したと言われている。よって必然的に、人類最初の戦略が生まれたのも古代オリエントである。

 紀元前二十六世紀〜二十五世紀頃には、多数の歩兵が密集した方陣(四角い隊形)を組んで戦っていた。方陣は都市国家ウル・ラガシュなどで発見された粘土板に描かれている。その絵から、メソポタミア(現在のイラク)の方陣を構成していた歩兵は、兜に突き槍、大型の盾を持っていたのが分かった。この時代の武器は基本的に青銅製で、更にメソポタミアでは合金用の錫(スズ)が取れなかったため、硬度は低かった。

 

 人類最古の陣形と知られている方陣だが、果たして方陣の何が良いのだろうか? まずは散開するより密集した方が強いからだ。当時の武器は基本的に槍などの近接武器で、個別で戦うより密集した方が強かった。槍先を壁のように並べて前進することが、当時では最強の戦術だった。 次に組むのが簡単である。学校で習う集団行動と同じレベルの隊形なので、大した学のない人間でも組むことができた。 そして指揮がしやすい。複雑な隊形の部隊は指揮するだけで一苦労だ。教師の立場に立ってみよう。学校の生徒を三日月型に並べようとするより、四角形に並べる方が遥かに簡単であるし、その隊形を崩さず移動させるのも四角の方が簡単、回転させたり斜め移動させるのも四角の方が簡単だ。後に方陣はさまざまな派生型を生み出し、ギリシアのファランクスからスペインのテルシオと近代になるまで使われ続けることとなる。

  

 こうして人類が方陣を組んだ戦争を繰り広げるようになると、当然その方陣を撃破する方法が考えられるようになった。

 例えば戦車だ。とは言ってもタンクではなくチャリオットの方である。戦闘用の馬車のようなものだ。とはいえロバや馬は数が少なかったり、騎乗ほどではないにしろ利用が難しかったりと問題が多く多用はされなかった。そのため敗走する敵への追撃や、部隊間の連絡に用いられている。

 そして遠距離用の武器として人類史に名を残す『弓』もある。銃の性能が向上するまでは世界的に用いられた基本の武器だ。複合(コンポジット)弓(ボウ)と呼ばれる動物のツノなどで補強された弓が、古代の遠距離戦闘における主役であった。当時は弓を防げる鎧などが存在しなかったため、威力が向上すればするだけ効果が出る。とはいえやはり敵に当てるには訓練が必要であり、ある程度まとめて扱わなければ——雨のように矢を降らせなければ——戦力として期待はできなかった。

 紀元前から十四世紀には鉄器で知られるヒッタイトが現れ猛威を振るう。硬度の低い青銅製の武器で鉄器を相手にするには、正面から戦わない戦略が必要になっただろう。またこの頃ヒッタイトとエジプトが戦争の講和条約を結んでおり、世界最古の講和条約と呼ばれている。戦略的な外交が、歴史の表舞台に出てきた瞬間であろう。

 世界初の帝国であるアッシリア帝国の時代には、少数ではあるものの騎兵が誕生したり、投石機や投石紐を用いた投石部隊が活躍した。

 アッシリア歩兵部隊の基本編成は、前方に槍兵、中央に弓兵、最後尾に投石兵が並ぶ『諸兵科連合部隊(コンバインドアームズ)』が誕生している。この諸兵科連合戦術は現代に至るで戦術の基礎として学ばれることになった。

 また戦争の増加に伴って、都市に城壁が建設されるようになる。これに対抗して、攻城兵器である破城槌が発明された。最初は振り子の原理で先の尖った丸太などをぶつけて、城壁を突き破る兵器である。

 また馬具の改良に伴って、騎兵は古代オリエントにおいて更なる成長を見せることなる。オリエントを支配したアケメネス朝ペルシア帝国は騎兵を用いた戦歴を数多く残し、その後の世界における騎兵の発達を決定づけることとなった。

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