第7話 白馬…じゃなくて、白衣の王子様?

「なっ!? 誰だ!?」


 次の瞬間、ガラスの割れる音が聴こえたかと思うと、その男は天窓から突入してくる。落下と同時に、男は目にも止まらぬ早さで新妻大輔に向けて剣戟を繰り出した。


「ぐ、がぁあああああっ!!!」


 気付けば新妻大輔の両腕は、真っ二つに両断されていた。ワタシを拘束していた触手もいつの間にか斬り刻まれていて、ワタシは男に抱きかかえられる。


「無事か? 莉深くん、遅くなってすまない。君を『老害』から解放しに来たよ」


 その男の正体はやはり、Drモスだった。白衣をなびかせ、レーザーブレードの大剣を背負っているおかしな姿でさえ、救いの神に見えてしまうのだから不思議である。彼はワタシを抱きかかえたまま、テラスの窓ガラスを蹴破って庭へと脱出し、そっと地面へと立たせる。


「うっ……、ウウッ……」


 Drモスに窮地を救われた後も、ワタシはひとしきり彼に抱きついてみっともなく下着姿のまま泣きじゃくってしまう。それも、あれだけのショックキングな真実に直面してしまった直後なのだから仕方のない事だった。そんなワタシに、彼はワタシの部屋から取り返してきてくれたらしき隊服のブレザーをかけてくれ、そっと頭をポンポンと叩かれる。


「うおおおおおおおおおっ! おのれぇえええっ! この若造がぁあああああああッ!!!!」


 その時、自分の部屋の中の方から新妻大輔の怒号が響き渡る。ワタシは慌てて涙を拭い、自室の方を見やるとそこで何か異変が起こっているのに気が付いた。部屋の中で何やら黒い泥のようなスライム状のものが渦巻いているのである。それどころか、その黒いスライムはどんどん体積が膨張していき、屋敷全体を揺らし始める。膨れ上がった黒いスライムはついに部屋の天井も突き破り、しまいには屋敷の屋根まで破壊してその姿を顕わにした。


「見てごらん、莉深くん。あれが『キャンサー』さ。少子化推進局局長の正体だよ」


 そこにいたのは、巨大な人型の怪獣だった。人型といっても足は無く、ナメクジのような図体をしていたのだが、その図体の上に生えた大きな頭と腕は見るからに新妻大輔の面影を残していた。体は全てコールタールのようなどす黒いスライムで出来ていて、屋敷を蹂躙しながらワタシ達を見下ろしている。さながらそれは、まるで安っぽい合成で作られた怪獣映画のようだった。


「な、なんなのよコレぇ……!?」


 あまりの非現実離れした光景に、ワタシはそのデカブツを見上げたまま動けなくなる。そんなワタシとは対照的に、いたって冷静だったのがDrモスだった。


「『テロメア』というのを知ってるかい? 人の染色体の末端部分にあるDNA構造のことだ。この長さにより、人の一生の細胞分裂数というのは決まっているんだ。つまりは、『寿命』だよ。近年の老化停止手術はこのコードを書き換えてしまうものなんだよ」


 ワタシには彼の言う生化学的な説明はよく理解出来なかったが、彼が言いたいのはこの目の前の怪物の事だというのはすぐに分かった。


「だがね、無限の細胞分裂も永遠に生き続ける人間も、全て裏を返せば、それは『癌細胞(キャンサー)』でしかないのさ。後に続く世代への邪魔でしかない。このイカれた父親のようにね――――」


 Drモスは強い眼差しで怪物を睨みながら、そう語る。その眼に宿る光からは、何か強い決意と意思を感じられた。


「おやおや、これはこれは……」


 その直後、巨大化した新妻大輔は唐突に口を開いて流暢に喋りだす。どうやらこの姿になってもまだ知性はあるようで、体の制御も出来ているようだった。


「誰かと思えば、紅蛾(こうが)一樹(かずき)くんじゃないか……。まさかDrモスの正体が君だったとはね……。どうやってここが分かった?」


 どうやら新妻大輔はDrモスの事を知っているらしい。それどころかワタシの知らない彼の本名ですらあっさりと言ってのけてしまう。何やら二人には以前からの因縁めいたものがあるらしい。


「おたくの娘さんに発信機を付ける時、ついでに調べさせてもらったよ。この生体痕跡分析機でね」


 Drモスこと、紅蛾(こうが)一樹(かずき)は懐から何やら計器を取り出してみせる。それは、見た目で言えば体温計のような形状をした機械だった。


「案の定、彼女の服にたくさん付着していたよ。お前の細胞片や垢がな。この高精度分析機は、洗濯した程度じゃそうそう騙せるもんじゃない」


「ヒッ!? 垢……!?」


 紅蛾(こうが)一樹(かずき)からあの『診察』の真相を聞いたワタシは、自分の中にえも言われぬ悪寒が走るのを感じる。知ってしまって何より衝撃的だったのは、今の今までワタシはそんなにこのクソ親父の垢が付いた服と一緒にいたんだという事実だった。家のお手伝いさんにはいつも裏でこっそり別々に洗濯しとくよう言ってはいたのだが、このクソ親父にはお見通しだったらしい。


「なるほどね……、それで同棲者まで調べて、ぼくにまで辿り着いたという訳か……。ご苦労なこった……」


「ああそうだ。名字が『新妻』と聞いて、俺にはピンと来たよ。おかげで、俺はやっとお前にあの時の罪の清算をさせる事ができる」


 そう言うと紅蛾(こうが)一樹(かずき)はレーザーブレードの大剣を構え、怪物と化した新妻大輔へとその切っ先を向ける。


「15年前の出来事を忘れたとは言わせねーぜ……。アンタが俺の妹である星良(せいら)を、実験動物みてぇに切り刻んでくれた事を……」


 紅蛾一樹が眼に静かな炎を湛えながら、新妻大輔を問い詰める。その内容は、ワタシにとっては初耳である、父の過去についてのものだった。


「ククク……、紅蛾(こうが)星良(せいら)か……。これはまた、懐かしい昔話を思い出させてくれる」


 新妻大輔は思い出話でもするかのようにペラペラと過去を喋りだす。それは、2069年現在に至るまでの医療革新の根幹に関する出来事の話だった。


「紅蛾(こうが)星良(せいら)の存在は、医学の発展にとって不可欠なものだった。『Se‐La(セーラ)細胞』、それは彼女の身体から発見された突然変異体の不死細胞だ。現代の老化停止技術は、全てこの時の発見からなる技術でまかなわれている。ぼくが100歳を超えてもまだ元気に生きていられるのは、全て彼女の犠牲のおかげだよ。感謝してもしきれないくらいさ。彼女のサンプルのおかげで一体、何万人の老いる者の命が救えたことか……」


「黙れ……!!」


 自慢げに語る新妻大輔をよそに、紅蛾一樹の怒りはついに頂点に達する。彼はレーザーブレードの出力を一気に上げたかと思うと、そのまま一瞬で大剣を上へと振り上げる。


「レーザーメス――――『紅蓮(ぐれん)』!!!!」


 瞬間的に出力を大増幅させられたレーザーブレードは、彼の振り上げる動作とともに刀身が数十メートルも伸びて新妻大輔の右腕へと炸裂する。


「ぐぅあああっ!?」


 新妻大輔の右腕は両断されて吹き飛び、屋敷の庭へと激しい崩落音とともに落ちる。レーザーブレードの威力は凄まじく、その輻射圧だけでも新妻大輔の身体にあちこち裂け目が出来る程の威力だった。


「あの時の俺はまだ子供で、俺はずっと後悔し続けていた。癌の妹を救えなかったこと。その後の育児制限政策で、結果的に若者たちの未来が塞がれてしまったこと……。だから俺は、あの時の間違いを正そうと決意したんだ! この世の全ての老害を切除(エクシジョン)し――――、若人(わこうど)の未来を切り開く為に!!」


「貴様ぁああぁああああああっっっ!!!!」


 逆上した新妻大輔が、紅蛾一樹へと襲いかかる。新妻大輔は残った左腕から無数の触手を生やして紅蛾一樹へと向かわせた。


「いくら細胞分裂したって無駄だ。レーザーメス『紅蓮』。こいつの出す特殊な放射線は、癌細胞(キャンサー)を再生不能にする」


 再び紅蛾一樹はレーザーブレードの出力を増幅させて、一振り二振りと恐ろしい早さで大剣を振るう。その度に新妻大輔の左腕や触手は輪切りにされ、胴体までもがズタズタに引き裂かれた。


「ぐ、お、おのれおのれおのれぇーっっ!!!!」


 残るは首だけかと思われたが、そのせいで彼とワタシは足元をこっそり這って来ている触手には気付けなかった。


「しまったそっちか!! 逃げろ莉深くん!!!」


 新妻大輔の狙いはワタシだったのだ。彼は早々に紅蛾一樹との戦いに勝つのを諦め、ワタシの方を人質に取る腹づもりだったらしい。


「キャアアアアアッ!? イヤああッ!!」


 新妻大輔の触手に足元を掬われたワタシは、そのままスライムの塊へと拘束され、ゼリー状のドームの中へと閉じ込められる。外は見えるが、息が出来ない。朦朧とした意識の中で助けを請うが、ワタシという人質を取られた紅蛾一樹は動きたくとも動けない様子だった。気付けばいつの間にか新妻大輔の頭部は向かい側から移動させてこちら側へと来ていた。どうやら傷付いた胴体部分を捨てて、残った数本の触手の方へと意識を移していたらしい。ワタシが閉じ込められたスライムの頭上には、新妻大輔のものらしき頭部が現れて紅蛾一樹へと相対する。


「貴様っ、よくもまぁ自分の娘をっ……!! どこまで下衆なんだ!!」


「クハハハハハ! さぁ早く斬れよDrモス! どうせ死ぬのなら、ぼくは愛する娘の莉深と一緒だ!! これでぼくらはきっと、死後で一つになれる!!!」


 追い詰められて気でも狂ったのだろうか? 新妻大輔はよく分からない歪んだ愛情の理由で喚き散らしながら、ワタシへの締め付けを強くしてくる。

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