いじめの後書

いじめの現場から離れて半年以上は立ちました。今のいじめはどうなっているかはわかりません。ですから今のいじめを変えられることができるような人が現れることを祈っています。


いじめの現場から離れてしまったので私は過去のことしか書けません。ですから今のいじめを理解できる現場の方々がアドバイスできるように察知して下さい。人によってサインの出し方も様々、訴える気力がある人は流されない意見を持つことのできた人です。あくまでも現場の人間が現場を変えるのですから、私のような現場を離れてしまった人間にはいじめから救うことはできません。

自殺という逃げ道がずっと身近にある人たち、報復を考え、一生をそれに掛けてしまう人たち。


どちらがいいとは言えません。ですが人が死なないに越したことはないでしょう。本当にいじめを辞めさせたいのなら人の目を気にせず、訴える。何がなんでも。それが私にとって一番の近道でした。


腐った性根という人もいるでしょう。しかしそれでは自殺をしろと言われたも同然に感じる子もいます。もうそこにしか道が無いんです。だからアドバイスをする時は頑張ってではなく、自分が相手に何をしてやりたいのかを聞いてみるのがいいのかも知れません。


あくまでも一傍観者として言葉になりますがいじめは基本的には1つのことを集中攻撃します。人物であれ、ある趣味を持つ人達であれどこにも多角性が無いことが私のいじめられ方には多かったです。


ですから多角性を持った話し方を学ばせるのも一つの手かと思われます。


心は多角で出来ています。


これからも考えていきますが現場の人達が今を作っていきます。どこでもそうです。小さな社会は小さな枠組みでしか無い些細なことかもしれない。けれどそんな小さな枠組みを無視してはいけない。大きな枠組みを踏んだとき彼らはどうなっているでしょうね。


今でも大人になりきれていない人はいます。言葉遣いだったり、謝ることができないひとだったり。


人の気持ちは考えるのが難しい。だから謝るという選択肢がある。いじめはそんな些細なことから起きるかも知れません。大人になっても「謝る」を使っていきましょう。大人だから「謝る」なではなく「謝る」こそが今に本当に必要なことでは無いでしょうか。


人を馬鹿にするのは簡単です。でも理由が薄っぺらい。いじめとは正にそのこと。理由が薄っぺらい、それでいてその十万倍は厚い悪口を言う。


いじめとはナニか、


言えるのは人の快楽と侮辱をしたいが為に起こることから始まるもの。


大人とは子供以上の責任が必要です。では思春期の貴方はいつまで子供のまま居ますか?


子供のままではいじめは続く。何人か子供のままの人を知っていますが馬鹿にするのが好きな人が多いです。自分の比は絶対に認めません。普通の人でもそう思うときがあるでしょうが一度は謝りを入れますよね。


大人とは必要以上に難しい言葉ですね。本当に子供が誇れる大人、目指す道は厳しい。でもそれがいじめを乗り越える第一歩になるだけの物になる。


さあいじめとはナニか現場で見ていきましょう。


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