六章 限りあるもの 2—2
《近未来 昼子2》
また、あの人が来た。
光り輝く人。御子。
あの人が来たので、昼子は周囲を認識できるようになった。けれど、それは、ただ見えるだけで、感情をともなうものではない。
昼子の世界は、つねに静寂に満ちている。
興味をひかれるものは何もない……はずだった。
「ーーほんのことかいね?(本当ですか?) 水魚さんが?」
「ああ。もう今日にも危ない。今は病室だ」
「そげかね。水魚さんは、わより、ずっと若いにかあに(若いのに)」
「あいつは実験に使われたから、それだけ寿命が……」
「かわいそうに。あの人がおらんだったら、村のし(村人)は、どげなっちょったことだやら(どうなってたことだろう)」
羽の人と長老が、二人で、ぼそぼそ話してるのが聞こえた。
「蘭にはナイショにしといてくれよ。引き継ぎは、もうすんだ」
「最期、見取らんようにさいたかね」
「自分が死んだと知ったら、蘭が悲しむからって」
「わも、そげしてごしなはい(私も、そうしてください)。わなんか、大した仲だないだども。
水魚さんは、さみしいだないか。御子のためとは言っても、あの人は御子と懇意だけん」
「しかたないさ。水魚が自分で決めたんだ」
羽の人のさみしげな口調を聞いて、昼子は悟った。水魚が死ぬのだ。
(水魚……)
そうか。水魚が死ぬのか。
わたしを誕生させた人。
そして、わたしを御子のためのイケニエに、ささげた人。
また、わたしの世界を終わらせた人でもある、あの人が……。
いたしかたあるまい。
巫子は、しょせん御子ではない。
御子の血をほんの少し、わけあたえられた、まがいもの。
細胞分裂の数や、ES細胞の生成には、かぎりがある。
水魚とわたしは、実験で毎日、むだに損傷を受け、細胞分裂をくりかえしてきた。
だから、本来の寿命より、はるかに早く、その限度をこえてしまったのだ。
とくに水魚は、わたしより実験を受けた回数が多い。わたしが生まれる二十年も前から実験されていた。
わたしが生まれてからも、二人どっちでもいい実験は、たいてい水魚が負わされていた。
わたしは子どもだったから、研究員たちが、ちゅうちょしたのだ。
(水魚が死ぬからって、わたしには関係ない……)
そのとき、羽の人が言った。
「あいつは、いつも、そうだよ。つらいことを自分一人で、かかえこもうとする。死ぬときぐらい、身勝手になれよ」
その声音は、なぜか、昼子をハッとさせた。
泣きたいのをこらえるような、深い感情のこもる声だったから。
(つらいことを、いつも自分一人……)
そうだ。違う。
わたしが実験に使われることが少なかったのは、研究員が子どものわたしに遠慮したからじゃない。
いつも、水魚が言ってたからだ。
どっちでもいいのなら、私を使いなさいと……。
昼子は思いだした。
研究室での光景。
ガラスばりの牢屋のような寝室から出されると、実験室には水魚がいる。
何人もの研究員にかこまれて。
実験動物にされたばかりのようだった。
白い肌に残る血のあとをふきとられていた。
「じゃあ、水魚は帰して。昼子をここへ」
研究員に命令する、えらそうな人が、城之内博士。
頭が異様に大きく、顔のりんかくがゆがんで見えるほど強度のメガネをかけている。
そのレンズの向こうの目には、怖いような力があった。にらまれると、動けない。
博士のひとことで、昼子は実験台につれていかれる。
「待ってくれ」と、水魚は言う。
「支障がないなら、私を使ってくれ」
「ほう。またかね。そんなに御子が大事か?」
「御子をお守りするのは、巫子の役目。当然でしょう」
「あれだけのめにあわされた直後で、よくそんなことが言えるなあ。ボクには、マネできんよ。
まあ、いい。本人が言うんだ。遠慮なく続きをやろう。さ、水魚を固定して」
それで、昼子は帰される。
まもなく、とびらの外へ、獣の咆哮のような水魚の絶叫がひびく。
わたしは御子だから、巫子に守られるのは当然のこと……。
そう考えようとしても、胸がドキドキした。そんな日は一日、水魚の悲鳴が耳に、こびりついていた。
(ちがうのに。わたしは御子じゃないのに。水魚は知ってて、わたしをかばってくれていた……)
いつだったか、水魚は、こう言っていたことがある。研究所を村人が占拠し、昼子たちが解放されて、まもなくのことだ。
「君は御子じゃない。だから、今日まで、私は、あえて君には情を持たないよう心がけてきた」と。
だが、本当に、そうだったんだろうか?
では、なぜ、昼子をかばってくれたのか。
あれほどの絶叫をあげるような痛みに耐えてまで。
(ウソばっかり。水魚……)
昼子は初めて、水魚の本心に気づいた。
常人なら死ぬほどの実験。あの痛み。
ただの義務感などで耐えられるものじゃない。
そう。水魚は、ふるえていた。
きぜんとした態度を装っていたが。
水魚の指さきが、ふるえるのを、昼子は見ていた。
水魚だって、ほんとは怖かったのだ。
(なのに……わたしのために、水魚は……)
そこに愛がなかったなんて、とても信じられない。
(会いたい。水魚に会いたい)
ふいに思いが、あふれてきた。
水魚に会って、たしかめるのだ。ほんとは、昼子をどう思っていたのか。
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