五章 月と花、品種改良 1—3
《現在4》
「ぎゃッ。僕、死んだ!」
五条の町家。
あけはなしの縁側から、涼しい夕風が入りこんでくる。
また秋が、めぐってきた。
蘭たちは三人で、早めの夕食をたべていた。テレビのある居間。コタツは、まだ座卓仕様。
コタツ板の上にのってるのは、そうめんだ。薬味に大葉やショウガのほか、キュウリ、レタス、トマト、ちりめんじゃこ、すりゴマなどがついてくる。
生サラダ仕立てが、東堂家流。
ほんとのところは、錦糸卵を作る手間が、はぶかれてるんだと思う。
猛をだまらせる唐揚げも、大皿に山盛りだ。
「そろそろ、そうめんの季節も終わりだな。窓、しめてくれ」
「兄ちゃん、寒いんなら、自分で閉めなよねえ」
「いいですよ。僕、しめます」
「ありがと。蘭さん」
蘭は縁側のガラス戸をしめた。
外は紅葉したカエデや藤袴の見える風流な庭。
この庭にトマトやキュウリのプランターを平気で置く薫の精神構造が、ちょっとわからないと考えながら。
「それにしても、まだ、その夢、見てるんだね。蘭さん」
「まだまだ、さきは長いって感じですけどね。かーくんの月での暮らしは、僕が見たんじゃないです。地球へ戻ってきた、かーくんの孫から聞きました。彼らは全員、エスパーだから。
エンパシストって知ってます? 他人の記憶なんかを映像で見ることができる超能力者のことです。彼らは、その能力者だったので、かーくんの気持ちに気づいてたらしいんですよ」
「孫に本心、だだモレか。恥ずかしいな……」
「だだもれっていうか、なんとなく感じてたみたいですけど。じいちゃんといっしょに地球を見あげると、胸がギュッとなったって」
薫はソウメンをすすりながら、器用にため息をついた。
「いいなあ。猛と蘭さんは二人で。やっぱり、僕も地球がいいなあ。なんの因果で月に骨、うずめなきゃならないんだか」
「なに言ってんだ。かーくん。百合花と結婚するんだろ。ずるいぞ」と言いながら、猛はさっきから、そうめんと唐揚げをひと口ずつ交互に食べている。
このままではタンパク質をとりそこなう。
蘭は危機感をおぼえた。急いで、唐揚げを二、三個、立て続けに食べた。
自分のことをタナにあげて、猛が抗議する。
「蘭、肉ばっかり食うなよ」
「猛さん、本気で言ってます? 僕、怒りますよ?」
「あ、ごめん。ごめん。そんな怖い顔すんな——かーくん。そうめん、おかわり」
「そうやって、ごまかそうとして……あ、かーくん。僕も、ちょっとだけ、あと三口ぶんくらい」
蘭と猛のさしだすガラスの器に、薫は吐息をつきながら、しかし手ぎわよく、あまりのソウメンを盛った。
「ああ……猛が、僕と百合花さんの結婚をゆるしてくれない」
「ゆるすよ。ゆるすって。まだ、そのときになってないから、気持ちの整理がつかないだけだよ。まいったな」と言って、唐揚げを丸ごと一個、口にほうりこんだあと、猛は真顔になった。
「けど、いよいよ、ほんとらしくなってきたな。この前、テロメア薬開発の博士、失踪か?——って、ニュースになってたろ」
「兵器転用ですかね」
答えたあと、ふと、蘭は思った。
そういえば、今は何年だったろうかと。
「……変なこと聞きますけど、今年は西暦何年でしたっけ?」
今度は二人で唐揚げをとりあっていた猛と薫が、びっくりしたように、蘭をながめる。
「大丈夫か? 蘭」
「え?」
「そんなの、あたりまえだろ…………年だよ」
肝心なところが、よく聞こえない。
「おねがい。もう一回」
「…………年だよ」
やっぱり聞こえない。
急に、蘭は不安になった。
猛たちの顔を見つめる。猛と薫も、心配そうに蘭を見つめる。
(僕……どうかしちゃった? 猛さんの声が聞こえない)
蘭がおびえたせいだろうか。
ふいに猛は笑う。
「疲れてるんだよ。蘭。もう寝たほうがいい」
「僕、眠くなんかありませんよ?」
「ほんとに? 眠いんじゃないか?」
そう言われれば、そんな気もしてくる。
「歯磨きしなくちゃ。お風呂も入って。それから二階に……」
「いいんだよ。おまえはなんの心配もしなくて。おやすみ。蘭」
猛の声が催眠術のように響く。
いつしか、蘭は深く眠りにいざなわれた。
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