第二章 何も知らないままの僕④
デートの待ち合わせは早めにつくのがベストらしい。特におすすめなのは十五分前らしく、別にデートではないけど僕はそれにならって待ち合わせ場所へと向かった。
待ち合わせ場所である駅前の時計台の下――大垣は、すでにそこにいた。
走って駆けよればいいのに、僕はしばらくその場で立ち止まってしまった。
太陽が眩しい日曜日、駅前は人でごった返しているのに、なぜか大垣だけがより色濃く輝いて見えるような気がした。
真っ白のワンピースにジージャンを羽織っている大垣。地面をトントンと蹴っているのは黒のハイカットスニーカーだ。
大垣が着ているのだからカワイイのは当たり前だけど、それだけじゃなくて、なんか急に動悸がする。
平日にいつも会っているはずなのに、今日の大垣は初めて出会ったみたいに新鮮だった。
そよ風が大垣のショートボブの髪を揺らす。少し邪魔そうに髪を耳にかける彼女の仕草が、好きだなと思った。
「あ、航くんっ」
こちらに気づいた大垣が笑顔でヒラヒラと手を振ってくる。僕は少しびっくりした後で、急いで彼女に駆け寄った。
「ごめん、待たせて」
「ううん、わたしがはやく来すぎちゃっただけだよ」
大垣が「今日が楽しみでさ」と、なんでもないように言う。たぶん、彼女にとってそれはあいさつと同じなんだと思う。
でも僕は、考えないようにしても、その言葉に特別な意味を持たせようとしてしまった。
「今日はどこに行くの?」
「映画、観に行こうと思ってて」
「じゃあ行こっか」
そう言って大垣が先に歩き出す。僕は、なんとなく彼女の少し後ろを歩いた。歩くたびに大垣の色素の薄い髪の毛が、右へ左へと踊る。
それにしても、似てるなと思った。
今日の僕の服装は、白ティーにジージャン、黒のパンツだ(今日のために全部買いそろえた)。これじゃあまるで――。
「ねー見た? 今のカップル! さりげにペアルックだったよ」
すれ違った女性二人組の片割れがそんなことを言った。
やっぱり――今日の僕と大垣の服装はそっくりらしい。さりげにペアルックに見えるくらいだから八十パーセントくらいは同じと言っても過言ではないだろう。
別に付き合ってもいないし打ち合わせをしたわけでもないけど、この一致度だ。
それがさらに照れくささを加速させた。
「おーい、航くん! はやくはやく」
「あ、ごめん」
少し前で立ち止まっていた大垣は、僕が左隣に立ってから再び歩き出した。
映画館の手前で大垣がポツリと呟いた。
「わたしたち……カップルに見えるのかな?」
彼女も先ほどの二人組の会話が聞こえていたらしい。
大垣が顔を赤らめてそんなことを言うから、僕はなんかちょっと変な気持ちになった。
上目で見つめてきた大垣からパッと目を逸らす。
「さあ?」
そんな風にカッコつけた分、余計にカッコわるかった。
天を仰いだら、僕らの上で青空がにやにや笑っている気がした。
約二時間の映画が終わると、もう空はオレンジ色に染まっていた。
映画だけで別れるのは味気ないと思い、僕は大垣をカフェに誘った。――なんて嘘だ。本当は、このまま別れるのは名残惜しいと思ってしまったんだ。
映画に行って驚いたのは、大垣がアクション映画好きだったということだった。僕もアクション映画が大好きだったから、同じ映画を楽しめたのは純粋にうれしかった。
「わたし、あの映画観るの二回目だったの」
大垣がイチゴと生クリームがたっぷり乗ったパンケーキを口に運ぶ。見ているだけで胸焼けしそうだけど、大垣はうれしそうにモグモグしている。ドーナツの時といい、彼女はかなりの甘党だ。
「そうなの?」
「うん。でも前に観たときは吹き替えだったから、今回字幕で観られてよかった。やっぱり洋画は最低でも二回観ないとね」
「でもよかったなぁ」と噛みしめるように天を仰いだ大垣に、僕は首を傾げた。
「友達みんなアクション映画興味ないから、今まではもっぱら一人で観に行ってたの。だからこうして同じものを観て語れるのはうれしいなって」
いぇーい、と大垣が無駄にピースしてきたから、僕もなんとなくその場のノリで、ピースサインを返しておいた。
それから僕らはカフェで暗くなるまで映画の話をした。
そのうち大垣が「ちょっとこれ、書いてもいいかな」と、ドーナツを食べた時と同じように幸楽日記を取り出した。それを取り出すということは、大垣が今日の出来事を楽しいって、幸せだって思っている証拠だ。
それでも僕は確認したくて、彼女の口から直接聞きたくて、熱心にノートにペンを走らせる大垣に聞いた。
「なあ、大垣。今日幸せだったか?」
大垣が手を止める。
そのあとで、不思議そうに僕を見つめて――花が開いたように笑った。
「すっごく幸せだったよ。ありがとね、航くん」
その笑顔は、僕を安心させるには十分だった。
家に帰って、母さんに言われたひとことで、僕は急いで部屋へと向かった。
部屋の扉を開けると、いつかのように健ちゃんが僕のベッドの上で漫画読んでいる。
「健ちゃん……なんでまたいるの」
「おーわたるっちおかえり~」
間延びした声に気が抜ける。でも今日は機嫌がいいから、しつこく責めることはしなかった。
私服からスウェットに着替えてるときに、健ちゃんが漫画を閉じて言った。
「そういえば、どうだった? デートは」
「えっなんで知ってるの?」
「えっほんとにデートだったの?」
二人で目を合わせて何度も瞬きをする。僕はまんまとカマかけに引っかかったみたいだ。
「まーじかよ、ほんとにデートかよ。相手は? って、はるちゃんしかいないよな」
健ちゃんが「青春してんなー!」と、僕のベッドの上で思いっきり伸びる。
「で、改めてどうだった? はるちゃんのこと幸せにできたのか?」
「どうだろうね」
僕のその曖昧な返答に、健ちゃんはつまらなそうに口を尖らせる。
「二人だけのヒ・ミ・ツってか」
そう言って健ちゃんが唾を吐くようなしぐさをした。
「でもさ~、なんか不思議だよな」
「なにが?」
「はるちゃんだよ」
健ちゃんが大垣のなにを不思議がっているのかわからなかった。
「はるちゃんって、いっつも楽しそうにしているし、幸せ~ってめっちゃ言うけど、なーんか引っかかるっつーか」
「どういうこと?」
「楽しそうにしているときに、ほんの一瞬、悲しそうな顔してる気がするんだよ。……なんでかな?」
「いや、知らないよ」
「なんだよ。好きならそれくらい知っとけよ!」
「はぁ!? 僕は別に――」
好きじゃないし、とはもう言えなかった。
言葉が出なかったのは、僕の気持ちは真逆だって自覚していたからだ。
一緒にいて楽しくて、素直で、自分の思っていることを真っ直ぐな言葉で表現できる大垣のことを、僕は素敵だなと思った。
今日、彼女に幸せだったか聞いたのは、自分が生き続けるためじゃなかった。――純粋に、彼女が今日、僕と過ごした時間をどう思っているか知りたかったからだ。
でも、健ちゃんが言っていることは、本当にわからなかった。
悲しそうな顔? 今日はそんなことはなかった気がするけど、大垣の一瞬一瞬の表情までは思い出せない。
それだけ僕が夢中になっていたのかもしれない。浮かれていたのかもしれない。
どちらにしても、僕には健ちゃんの言っていることがわからなかった。
「健ちゃんといるときだけじゃないの。健ちゃんたまにすべるし」
「失礼だな!」
そう言って健ちゃんが立ち上がる。そのまま、「オレのギャグは百発百中だっつの! バーカ!」と舌を出して部屋を出て行った。
別にこれはケンカじゃないとわかっているから、僕は健ちゃんを追いかけなかった。
六月上旬、おじいちゃんが亡くなった。
おじいちゃんは一度目と同じように、急に倒れてそのまま死んだ。だけど母さんは、一度目の時のように後悔を口にすることはなかった。おじいちゃんは倒れた時、母さんにもらった服を着ていたそうだ。
病室で眠っているみたいに死んでいるおじいちゃんを見て、母さんが言った。
「航、あのときありがとうね」
ポツリ、呟いた言葉が変わっていた。
一度目とは違う母さんの涙混じりの言葉に、僕は少しだけ静かに泣いた。
おじいちゃんの死ぬ未来は変えられなかったけど、母さんが後悔しない未来は変えることができた。
こうやっていけばいいんだと思う。変えられるものを変えていって、周りの人を幸せにすればいいんだと思う。
こんな感じで少しずつ積み重ねて、大垣も幸せにできればいいんだと思う。
――そのとき、僕は変に前向きだった。
映画を観た時に大垣が幸せだって言うから、僕はそれを信じて疑わなかった。
健ちゃんの疑問なんて忘れて、余裕で七月を迎えていた。
センドさんの言葉だって、すっかり忘れていた。
『幸せ、と口にしている人が、本当に幸せなのかどうかってことですね』
――僕は、大垣のことをなにも知らなかったんだ。
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