3

 どんなに決意を固めていようとも、所詮は荒事向きではない小娘。

 泣いてしまって気恥ずかしい思いでブランケットにくるまっているうちに、なんと本当に眠ってしまった。

 気づいた時には、ぎょっとするほど近くにゴツゴツとした男性の身体があって、どうやら肩にもたれ掛っていたようだと気づいて顔から火が出そうになる。

「ご、ごめんなさい!!」

 慌てて飛び起きて身体を離した。

 なんとも言えない声色で「……いえ」とつぶやいたダンの顔を見ようとしたところで、丁度石にでも乗り上げたのか、馬車が大きくガタリと揺れて、メイラは「ひえっ」と悲鳴を上げて尻を押さえた。

 恐る恐る顔を上げると、口元を手で押さえた男と目が合った。

「わ、笑わなくても!!」

「もうしわけございません」

 緊張感がなさすぎるだろう! と怒った顔を作ってみたが、どうにも締まらない。

「クッションをどうぞ。旅慣れていないと辛いでしょう」

「わ、わたくしは……いっ!!」

 少し前までもっとガタのきた、幌すらない荷馬車でこの街道を行き来していたのだと言おうとして、またも大きくガタリと荷台が跳ねて、今度は舌を噛んで涙目になる。

「ふ」

「ダン!」

 気難しそうで、あまり表情を変えない男という印象が強かった。

 これまでの状況が状況だけに無理もないのだが、メイラにしてみれば寡黙な男に失笑されたような気がして、更に頬に熱が灯る。

 なおも顔を背けて肩を揺らしている男に、「笑わないで!」と怒ってみせるが逆効果。

 ついその肩をぽかりと叩いたところで、普段かぶっている張りぼての貴婦人の顔が外れてしまっていることに気づいた。

 慌てて背筋を伸ばし、軽く咳払いする。

「ダン」

「はい、御方さま」

 即座に真顔になって、笑いの余韻もみせないところがわざとらしい。

「いま何時ですか?」

「夜は空けました。どうやら無事街を出ることができたようです」

「追手の気配はありますか?」

「探りますか? 下手に動けば気づかれる可能性がありますが」

 メイラは軽く深呼吸して心を落ち着かせた。

「いいえ。このまま何もなく手出しを控えてくれるとは思えません。見つからないに越したことはない」

 ダンは同意するように頷いて、丁度顔の横にある幌の隙間に目を向けた。

 メイラが呑気にも眠り込んでいる間、御者を務めているスカーや彼はきっと気を張って見張っていてくれたのだろう。

 なおもガタゴトと揺れる荷台で申し訳ない気分と戦いながら、泣いて少しすっきりと心が持ち直したのを感じた。

「あとどれぐらいで海に着きますか?」

「日が高くなる頃には」

「それでは、もうすぐですね」

 メイラは再び舞い戻ることになったザガンの街並みを思い起こし、居住まいを正した。

「我々は急ぎ出航する商船と話を付けます。海軍の世話にはならないほうがいいでしょう。公爵閣下に引き留められる可能性が高い」

「ええ、そうね」

 メイラを見下ろすダンの目の色は彼女と同じものだ。暗がりではその黒い目もギラリと輝くのだと妙なことを考えながら、同じくほのかな明かりの中で見上げた陛下の美しい碧い目を思い出していた。

 別れてそれほど経っていないのに、すでにもうあのクジャク石の色が恋しく懐かしくてたまらない。はたして、あの方のお側に戻ることはできるのだろうか。もう一度あの美しい目を見ることが叶うだろうか。

「再度確認させていただきます。馬車を降りたら、申し訳ございませんがあなたさまは私の娘です。言葉遣いなどの無礼はお許しください」

「もちろんよ」

 ぎゅうと絞られるように胸が痛むのを感じながら、メイラはしっかりと背筋を伸ばして腹に力を入れた。

 スカーはともかくとして、憲兵隊員であるダンがメイラに従ってくれるのにはきっと理由がある。

 個人としての忠誠を誓われているなどと、うぬぼれるつもりはまったくない。

 おそらくはネメシス閣下から、可能な限りメイラの意に沿う様にとの指示を受けているのだろう。

 何をどう判断されこの道行きが許されているのかはわからないが……このまま見逃してくれるだろうか。

「……御方さま?」

 目を伏せたメイラを心配してか、気遣わし気にこちらを見降ろしているダンに、黙って笑みを作る。

 自分が危険なことをしようとしているのはわかっている。いつネメシス閣下が回収命令を出すか分からず、最悪の場合、ダンの目をかいくぐる必要もあるのかもしれない。

「大丈夫よ」

 表面上は気丈に微笑んでみる。

 しかし、信頼するべき相手を前にしても、いつか出し抜くことを考えなければならない自身に軽く絶望していた。

 いや、こんなことで落ち込んでいてはならない。

 あの湖へ行くのだ。ダリウス神と直接話をつけるのだ。

 必要ならば、この命を差し出しても構わないと決めただろう?

「ではわたくしは、船が決まるまで馬車にいればいいのかしら?」

「朝食がまだでしょう。メイド殿に軽食を渡されましたので……」

 ダンは荷台の上に置いていた布の包みに手を伸ばし、メイラの前に差し出した。

「まあ」

 笑え。今はただ、この忠実な男にこれ以上不安を感じさせないように。

「落ち着いてお食事ができる場所を用意できればよかったのですが」

「わたくしはもともと市井で生きてきたのよ。そんなに気を使わないで」

 ガタゴトと揺れる薄暗い幌馬車の中で、おそらくはユリが用意したのだろう軽食を黙々と口の中にねじ込む。食欲はまったくなかったが、食べなくてはいけない。これからしばらく続く旅に、体力不足で足を引っ張るわけにはいかないからだ。

 辛抱して食べていると、胃もたれする。馬車で酔ったことはないが、船だと危ないかもしれない。

 半分ほど食べたところで、手を止めた。



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いつも読んでいただいてありがとうございます。

更新が若干遅れております。

原因は新型コロナの件で、息子がPCを独占しているせいです!!

本当に申し訳ございません。

……あいつら、まだまだずっと家にいるんだぜ><


このような時ですので、皆様も手洗い等を徹底し、他人との接触も控えるようにしましょうね。

体調には十分に気を付けてください。

この難関を無事乗り切り、一日も早く世界が元の平和な形に戻りますように。


これからも頑張りましょう!

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