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メイラは分厚いマントを身体に巻き付けて、薄い夜着が見えないように身なりを整えた。丈が長すぎるので足首よりも長く、気を付けなければ裾を踏んでしまいそうだ。
雨風もしのげそうな軍用のマントを引きずるようにして、寄り添いあっている兄妹から離れた。
最後の瞬間にティーナが縋るようにこちらに手を伸ばしてきたが、即座に義兄が引き留めて暗がりに下がらせる。
そう、そのままそこでじっとしていれば見つからないはずだ。
あえてそちらを見ないようにして顔を上げると、今夜は二つの綺麗な満月が天中にかかり雲一つない晴天の夜だった。
「ああ、いらっしゃいましたね。かくれんぼは楽しかったですか?」
木製の波止場の上に立つ黒衣の聖職者は、魔道灯よりも明るい月の下に現れたメイラを見下ろして、邪気の感じさせない表情で笑った。
メイラはその朗らかさに吐き気がこみ上げてくるのを感じながら、逃げ出したくなる両足を踏ん張る。
「……どうしてこんなことを?」
「どうして? もちろん貴女様をお招きする為です」
「わたくしのことはまだしも、皆を傷つける必要があったのですか?」
風上に立つ彼の方から血の臭いがする。
今現在護衛たちが傍にいない事と、周囲に濃厚に漂っている生臭さが、最悪の事態を予想させた。
「おや、周囲に守られているだけの可愛らしい雛鳥だと思っていましたが」
その通りなので、言い返しはしない。しかし、彼の口調は明らかにメイラを見下したもので、事態があまり良くないことを知らしめている。
「もし万が一、彼女たちの命を奪ったというのであれば、わたくしはあなたを許しません」
「そんなことはしませんよ。軽く……撫でてあげただけです。彼女たちも偉大なる御神の慈悲に触れ、喜んでいる事でしょう」
黒衣の神職は、必死で強がる彼女をあざ笑うかのように笑みを深くし、まるで気軽な挨拶をするように片手を上げて見せた。先ほどは黒い手袋をはめていたはずのその手は素手で、肌の色の白さが黒衣とのコントラストをなしている。
それを見たメイラは、なおいっそう顔面から血の気を失せさせた。血まみれになったから手袋を脱いだのではと、そう感じたからだ。
「御神の名を出せば何もかも許されると、本気で思っているのですか?」
こみ上げてきた怒りが、恐怖を凌駕した。
震える足を踏みしめて、キッと細身の男を見上げる。
「それが真に正しい事だと、御神の御前でもそう言い切れるのですか?」
「何を仰っているのか……神の使徒とは思えない発言ですね」
黒衣の神職は、心底不審そうな顔をして、小さく首を左に傾けた。
「神はすべてを見守っておられます。偉大なる御神の御為に、我らはこの世に存在するのです」
「神が善良な者を傷つけ排除せよと仰いましたか?」
「偉大なる御神は、そのような些事は気になさりません。多少の流血など、大いなる信仰のもとにはささいなこと」
「先ほどとは言っている事が違いますね。御神はすべてを見守っておられるのではなかったのですか? あなたの耳には、神の嘆きが届かないのですか」
「……なにを」
「罪深い事です」
暗がりからでも、黒衣の神職が顔を顰めたのがわかった。
メイラは背筋を伸ばして、押し寄せてくる恐怖に負けまいと相手を睨み据えた。
「あなたがしていることを、御神がお認めになるとは到底思えません。それは単なる偽善です。よきことと信じ込んでいるだけの憐れな盲信です」
不意に、黒衣の神職の身体がぶれて見えた。
その次の瞬間には、異様なほどの至近距離に彼はいて、触れそうなほどの近さから小柄なメイラを見下ろしていた。
冷たい素手が顎を掴み、グイと真上に持ち上げられる。
「悪しき者どもが大勢の命を喰おうとしている事態に、知らぬふりを決め込む貴女様はどうなのです?」
悲鳴を上げそうなのをなんとか堪えて、黒髪にミルクティ色の瞳というちぐはぐな取り合わせの男の顔をまっすぐに見上げた。
「わたくしの弱さを神はご存知です。迷い怖れるのが人間です」
「弱さを正当化するのですか? それで何万という命が失われようとも?」
「人間とは弱き生き物です。わたくしも……そしてあなたも」
顎を掴まれた手に力がこもる。
その痛みに顔を歪めながら、メイラは男の目をまっすぐに見上げた。
「それでもわたくしは、迷いながらでも、常に正しい道を選択したいと思っています」
掴まれたところはきっと、痣になる。
骨まで砕かれそうな痛みに声が震えるが、意地でも涙は零さなかった。
「……猊下のお言葉に従わぬとは申しておりません」
メイラ自身には利用価値があるので、殺されるという事はあるまい。そう己に言い聞かせながら、害の無さそうな見目にそぐわぬ恐ろしい男の視線に耐える。
「ですが、やみくもに他者を傷つけ、さもそれが神の御意志なのだと妄言を吐く者に付いていくことはできません」
ここでメイラが毅然としていなければ、彼女に命をかけてくれている者たちに申し訳ない。
言われるがままこの男に従ってしまえば、主人を守れなかった傍付きたちがどれほど落胆するか。
「被害を確認し、明日の朝猊下の方に正式に抗議させていただきます」
ああ、ルシエラは、マローは、テトラたちは無事だろうか。
取り返しのつかない事態になっていないことを切に祈りながら、さほど大柄でもないのにものすごく威圧感のある黒衣の神職から目を逸らさない。
「話は、それからです」
今この瞬間に、メイラは彼女を守っている者たちの主なのだと自覚した。
もはや己は力ないただの修道女ではない。安穏と守られているだけのお荷物でいるわけにもいかない。たとえ必要とされるだけの能力をもっていなくとも、せめて両手を広げて庇護すべき者たちを守らなければ。
「お引き取り下さい」
後から考えると、よくそれだけの事が言えたものだ。
相手は中央神殿の異端審議官。神殿内部の者にも畏れられる者だ。神職としての階位も高く、振る舞いを見るに、行使できる力も強いのだろう。ルシエラたちを退けたやり口から言っても、手段を選ぶようにも見えない。
しかしその時のメイラは、たとえ腕の一本二本奪われようとも、引き下がるつもりはなかった。
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