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 やはり妻の寝室に余人を招き入れるべきではないと、隣室に面会用の部屋を設けたのだが、それもまた失敗だった。

 何故なら、ひっきりなしに招かれざる客が押しかけてきたのだ。

 主には他領から祭事に参加するためにきている高位貴族だが、公的な訪問ではないという事で、主要なところ以外は拒否している。

 あくまでもハロルドの目的はメルシェイラの保護であり、愛する妻を迎えに来たに過ぎないのだから。

 止むにやまれぬ理由で部屋を出ると、ほぼ確実に誰かに声を掛けられる。

 大半が挨拶目的だが、中には無聊を慰めますと色のある眼差しを向けてくる女性もいて、実に面倒くさい。

 一通り必要な指示も出し終え、部屋から出る必要性も無くなったので、引きこもっておくことにした。

 とはいえ、明日は大慰霊祭の当日、ここに来ていることは知られているので無視はできない。

 メルシェイラをエスコートして参列するつもりでいるが……どうだろう。昼過ぎになってもまだ深く眠っているので、彼女の参列については無理をさせることもないと思う。

 眠る彼女を懐に抱き込むと、あるべきところにあるべきものがあるのだと安心する。

 目を閉じて、危うく失いかけた温もりを確かめるように触れ、落ち着く体勢を探して丸くなる。

 日差しも高い昼間なので眠るような時刻ではないが、ただじっと何もせず彼女の呼吸を聞いているだけでも心底リラックスできた。

「……失礼いたします、陛下」

 どれぐらいそうしていただろう。もちろん退屈などするわけもなく、永遠にこのまま微睡んでいるのもいいかもしれないと思っていた時、遠慮がちに声を掛けられた。

「お休みのところ申し訳ございません。夕食はどうされますか?」

「……何時だ?」

 いつの間にか、すでに斜陽が窓から差し込む時刻になっていた。

 夕食の時間には早いが、メルシェイラは昼も食べていないので、そろそろ起こした方がいいのだろう。

「メルシェイラ」

 そっと、華奢な肩を揺する。

「……んぅ」

 可愛らしい応えに、無意識のうちに唇が綻ぶ。

「何か口にした方が良い。腹に優しいものを用意させよう」

 何が食べたい? と優しく尋ねると、ぼんやりとした黒い目がハロルドの方を向いた。

「ハロルドさま」

 少し舌足らずな声で名前を呼ばれて、ぞくり、と腹の底の熱が蠢いた。

 誤魔化すようにそっと頬に口づけすると、まだ寝ぼけているらしい顔でふにゃりと微笑まれる。

 はっきり意識がある時には遠慮する彼女の、こういう無意識の表情を愛しいと思う。

 そっと掌で頬を包むと、すり、とすり寄られた。

 たまらない気持ちなって、チュッと唇をついばみ、そぞろまた深く舌を絡めそうになって……ぐう、と可愛らしく彼女の腹が鳴った。

「……ふっ、腹の虫が鳴いているな。穀物がゆでも用意させよう」

 また、ひな鳥のような彼女にひと匙ひと匙食べさせるのも楽しいかもしれない。

 視線を上げると、護衛の騎士がさっと顔を背けるのがわかった。

 メルシェイラの可愛らしさを見られたことにいくらか不快を感じつつ、腹心の赤毛に視線だけで指示を出す。

 わざとらしい真顔で騎士としての礼を取った彼が、責任をもって毒見まで徹底管理した穀物がゆを用意してくれるだろう。

 ハーデス公爵家はメルシェイラの実家だが、どうやら彼女にとっては安らげる場所ではないらしい。彼女に向けられる敵意はいかに隠そうとも明らかで、信頼がおけない。

 メルシェイラにと用意させた果実水のデキャンタには、毒とまではいかないが何か混ぜ物がされていた。ハロルドが到着してからも室内履きの底に針が仕込まれていたり、贈り物と称した茶葉の中に虫の死骸が混ぜられていたりと、メルシェイラのメイドがひっきりなしに対処するそれらの嫌がらせは、かなりの件数にのぼっているようだ。

 そろそろ腹に据えかねるものがあるので、ハーデス公に釘を刺しておこうと思う。

 実害がなくとも、メルシェイラへの攻撃はハロルドへの攻撃と同等だ。

 万が一にもその刃が彼女に触れる前に、片を付けておくべきだろう。

「どうした? まだ寝足りないか?」

 瞬きも緩慢な妻の頬に再び唇を落とす。

「……これは夢ですか」

「どう思う? 妃よ」

「きっと夢です」

 ハロルドはふっと笑い、くすぐったがりなメルシェイラの脇腹を指で辿った。

 ひゃあ! と可愛らしい悲鳴を上げる様を愛で、ようやく目覚めたのか驚愕の表情をしている彼女の短い髪を撫でる。

「……も、申し訳ございません。寝ぼけてしまって」

「何か食べられそうか?」

 ぐう、と再び腹が鳴り、メルシェイラの色白の頬が真っ赤に染まった。

「食事にしよう」

「いえ、その前に身支度を……」

「まあそう言うな。折角寛いでいるというのに」

 行儀が悪いと思っているのだろうが、無防備な彼女をもうしばらく愛でていたい。

 やがてカートに乗せられた盆の上に、二人分の食事が盛りつけられて運ばれてきた。

 メルシェイラには穀物がゆ、ハロルドには普通の夕食だ。

 やはり出先で出されるものは普段より油分や脂質が過多で、量も多い。年なのか胃もたれするなと思いながら、向かい合う席で真剣な顔をして穀物がゆをすくっているメルシェイラをじっと眺めた。

 あの匙を横から奪って食べたらどんな顔をするのだろう。

 そんなことを考えていると彼女がぱっと顔を上げ、ハロルドの目をみて恥ずかしそうに俯いた。

 あの小さな唇に、指を突っ込んでみたい。

 慌てて口の中のものを飲み込んで、小さく咳払いする彼女の薄く色づいた唇を見つめる。

 盛り合わせてあるカットフルーツを摘まみ押し付けると、困惑したように下がった眦でちろりと見上げられ、しばらくしておずおずと口を開かれたので無言のままぐいと突っ込んだ。

 もちろん指ごと。

「……っう」

 果物は一口サイズだが、ハロルドの指は太い。

 いたずらに指の腹で熱い舌を撫でると、たちまちまた彼女の耳たぶが真っ赤になる。

「美味いか?」

 喋れないと分かっていてそっと尋ねる。

 もちろん、彼女が好む低い声で。

 目で抗議されたが、じんわりと涙が滲み赤らんだ頬をしていては逆効果だ。

 妻の愛らしいそんな姿を愛でながら、ハロルドは喉の奥で低く含み笑った

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