5
ガキンガキンと鋼がぶつかり合う音は、何度聞いても慣れはしない。全身総毛立ち、噛み締めた奥歯から悲鳴が零れそうになる。
「何だ貴様らっ!」
他は誰も言葉を発しない戦闘の只中、大声で叫びながら剣を振るっているのは、ティーナの義兄だ。
防具どころか、普通の服さえまともに着てはいないのに、おそらくは敵が落とした物なのだろう、少し短い剣を握って果敢に襲撃者たちと切り結んでいる。
マローたち後宮近衛の女性騎士たちは、素人のメイラの目にもわかるほどに腕が立つ。おそらくはかなりの難関をくりぬけてその身分を手に入れた者たちなのだろう。
しかし女性であることには変わりなく、どちらかと言えば速度重視の戦い方をする。
しかし男性騎士であるティーナの兄の戦い方はまるで違った。
一撃一撃が重く、切り結んだ瞬間に襲撃者たちが力負けして少し後方に下がる。その隙にまた敵を押し、彼の活躍で戦線は次第に崩れていった。
しかし、もう少しで道が開けるかと思った次の瞬間、横から弓を射られた。
「……ッ!!」
皆が即座に反応したが、丁度敵と剣を交えていたキンバリーだけが避けそこね、ぶずりと嫌な音を立てて身体に矢が刺さった。それでも彼女は果敢に対峙していた敵を退ける。
よく見れは、女性騎士たちの多くが負傷していた。腕や足、肩や脇腹。負傷していない者のほうが少ないぐらいだ。それでも彼女たちは怯まず、臆さず、その戦意は衰えない。
しかしメイラは、赤い血の色を見るなり恐怖で瞼をぎゅっと閉ざしてしまった。
目を逸らしてはならないのに。彼女のために命を掛けている者たちを、最後まで見続けなければならないのに。
がたがたと全身が震え、しがみ付く腕に力がこもる。もう嫌だ、と恐怖で心が折れそうになる。
今日は早朝から卵を投げられ、故郷で襲われ……いったい何度、こんな目に遭わなければならないのだろう。
やはりこの国を出て、中央神殿の奥深くに身をひそめるしかないのではないか。
そう思った、その時。
「伏せろ!」
遠くからはっきりと聞こえた声に、どくりと心臓の鼓動が大きくなった。
聞き間違いだ。そんなはずはない。
理性はそう告げるが、無意識のうちに視線が壁のない屋外を彷徨い、本能が叫んでいた。
「……ハロルドさま!!」
ばさり、と闇夜に大きく翼を広げる翼竜の羽音がした。
涙で濡れた視界に、無数の竜騎士たち。
見覚えのある異母兄の翼竜もあったが、それよりもメイラの目に映るのは、黒いマントからはみ出た朱金色の髪だった。
いや違う。ここハーデス公爵領は、帝都から一週間はかかる場所だ。
翼竜でも数日は必要だと聞いた。
陛下が、こんな場所に居るはずはない。絶対にそんなはずはない。
何度否定しようとも、メイラが夫を見間違えるはずはなかった。
朱金色の髪の竜騎士が、竜の背で大きく腕を振り下ろすと、上空というアドバンテージのある位置から雨のように矢が射られた。
さっとマローがメイラの上に覆いかぶさり、見ていたいのに、ずっと目を逸らしたくないのに、その後翼竜たちを見ることはかなわなくなった。
矢はメイラたちの周囲には飛んでこず、的確に襲撃者のみを狙う。
再び襲撃者の頭目らしき男が舌打ちする音が聞こえた。
「……逃すな!」
父の声が鋭くそう命じ、階下からハーデス公爵家の騎士たちがどすどすと足音を立てて駆けあがってくる音が聞こえた。
助かったのか?
しかし安堵の感覚など皆無で、酷い耳鳴りと手足の震えが止まらない。
乱暴に揺すられ、名前を呼ばれた気がした。
気付けば、こちらを覗き込む心配そうなマローの顔と、至近距離では見たくないしわくちゃの悪人面。
父の手がメイラの頬に触れ、何か言っている。
ああ、陛下。陛下がいらした気がしたのだが。
どこかが痛むわけではないが、身体に力が入らない。
気づかないうちに怪我をしていたのだろうか? もしかすると、死ぬのだろうか。
メイラは遠ざかっていく意識を保とうとした。
これはすべて悪い夢で、メイラは夜会の後に眠ってしまったのかもしれない。
城で最も防備が高い中奥に、ピンポイントで巨大竜が襲撃してくるはずないではないか。
天井や壁がなくなったり、階段が落ちたりするのもありえない。
ああ、そしてなにより、陛下がこんなところにいらっしゃるはずがないのだ。
「メルシェイラ!」
父の声は良く聞こえず、意味も理解できなかったが、己の名前を呼ぶその声ははっきりと耳朶に届いた。
狭まりぼやけた視界の中に、きらきらと鮮やかに光る朱金色。
「……さま」
震える唇で、はっきりとその名を呼ぶことはできなかった。
「ああ、妃よ。遅くなって済まない。転移門を開くための魔法士を集めるのに手間取った」
「転移門を使われたのですか?!」
太く低く耳に心地よい声と、ざらりと耳障りな声。
「無断で済まない。メルシェイラに持たせた魔道具が破壊されるのを感じたのだ」
「リゼルでの襲撃は防いだとお知らせしたはずです」
「妻が助けを求める声に、駆け付けずしてなにが夫か」
「危険すぎます!」
「ああ。しかし結果的に間に合ってよかった」
言い争う声を遠くに、ぼんやりと目の前の朱金色に手を伸ばす。
長い髪に触れようとした瞬間、ぎゅっとその手が握られた。
こちらを見下ろしているのは、美しいクジャク色の瞳。
「……へいか?」
「ああ。そうだ」
ゆっくりと眦を下げた双眸に、小さくメイラの姿が映っている。
「ハロルドさま」
「どこか痛むところはあるか?」
そっと頬を撫でられて、焦がれた低音にうっとりと目を閉じる。
「……キンバリーが、他の皆も怪我を」
「心配せずともきちんと治療を受けさせる」
夢であるなら、幸福だ。
悪夢に耐えたご褒美に、神がお慈悲を下されたのだ。
「どうした? 目を開けてくれ、妃よ。美しい夜のような瞳を見せてくれ」
「……疲れました」
メイラは、現実に戻ることを拒絶した。
きっと目を開けてしまえば、陛下はいない。それならば、この幸福感を出来るだけ長く味わっていたい。
「傍にいてください」
頬を包んでいる手に、幻覚でも構わないとそっとすり寄る。
「……ずっと、傍に」
返事は聞こえなかった。
メイラの意識が、深い眠りに閉ざされてしまったからだ。
「愛い我儘だな、妃よ」
低く、甘い声でそう囁かれた気がするが、残念ながら聞こえてはいなかった。
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