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 父と猊下たちの去った部屋で、メイラはコートを脱がせようとしたユリを制し、逆にその手をぎゅっと握った。

 迷いはあったし、実際にどうすればいいのかなど皆目見当もつかない。

 しかし、逡巡している時間はなかった。

「……ルシエラを呼んで」

 もう何度目かもわからない言葉を、いつもよりゆっくりと紡ぐ。

「あなたたちにも、お願いしたいことがあるの」

 メイラの身にもし万が一にも何かあれば、傍付きであるメイドや護衛、ルシエラを含め多くの者が責めを負う。

 無責任な行動はとれない。

 しかしどうしても、このまま何もしないではいられないのだ。

「孤児院の子どもたちがどうしているか知りたいの。被害はどの程度だったのかも。暮らし向きはどうなのか、困ったことはないのか」

「……御方さま」

「この目で確認しておきたいの。あなた達を信頼していないからじゃないわ。……大切な、家族なの」

 ツンと鼻の奥が痛んだ。

 ユリが、握りしめた手を押し返して諫めてくるのではと八割以上覚悟していた。

 そうなったどうしよう。

 陛下の妃である立場も、なにもかも捨ててここを出て行く?

 ただの修道女として、家族のもとに駆け付ける?

 「早く戻れ」と囁く陛下の声と、「メイラねぇちゃん!」と満面の笑みを浮かべる子供たちの顔を思い浮かべる。

 その、どちらかを選ばなければならないとしたら?

 うるり、と涙腺が緩みそうになったのをなんとか堪えた。ここで泣いてもどうにもならない。

「無理を言っていることはわかっているの、本当よ」

 小娘一人に何ができると言われても仕方がなかった。

 だがせめて、大切な家族の無事を確認し、抱きしめたい。それだけなのだ。

「御方さま」

 しばらくして、ユリが静かに手を握り返してきた。

 おずおずと視線を上げると、何故か耳を真っ赤にした彼女と目が合った。

「……ユリ?」

 普段の落ち着いた彼女のイメージとは違う、頬を上気させ、わずかに呼吸を弾ませた様子に首を傾ける。

 ど、どうしたのだろう。具合でも悪いのだろうか?

「……わたしを殺す気ですか」

「はい?」

 殺す?! メイラの頼みはやはりそれほどリスキーなことなのか? 責任を取らされ死を賜るほどの?!

 若干身体を引かせたメイラを見て、ユリはゴホンと咳払いした。

「いえ、申し訳ございません。独り言です。……子供たち! 子供たちの安否を確かめたいという事ですね? ご自分の目で」

「そ、そうよ」

「御方さまは今、ご身辺がいろいろと不穏です。危険を理解しておられますか?」

 ひやり、と首筋に冷えた切っ先を突きつけられた気がして身震いした。

 危機的状況に陥った記憶が蘇ってくると、恐怖で動けなくなる。あんな思いは二度としたくない。

「……本心を言えば恐ろしいわ」

「それでも、ご意思は変わりませんか?」

 誰だって、理不尽な死は怖い。しかしそれ以上に、居ても立っても居られないのだ。

 この我儘によって起こり得るリスクを、本当の意味では理解していないのかもしれない。

 自身のみではなく、ユリたちまで危険にさらすのは許されることなのか。上に立つものとして、相応しい行動なのか。

 迷いつつも、心の天秤が傾いていく。どうしようもなく。

「少しだけでいいの。言葉を交わせなくても、遠くから見るだけでも」

 震える唇で、なんとかそう言ったメイラを、ユリはしばらくじっと見ていた。

 今彼女に否定されたら、どうすればいいのだろう。

 無事陛下のもとへ戻ることが出来たとしても、一生涯心に澱が残るのではないか。

 繰り返しできるささくれのように、解決しない後悔が痛みとしてきっとずっと残る。

「わかりました」

 やがて、いつにもまして頼もしいユリの声が返ってきた。

 はっとして顔を上げると、まっすぐに視線が合い、励ますように頷き返される。

「……いいの?」

「御方さまはただ、命じて頂ければいいのです。我々は最大限、お心に沿うようつとめます。……聞いておられましたか、キンバリー隊長」

「……すぐに調整にはいります。しばらくお待ちください」

 涙で潤んだ目で振り返る。

 そうだ、ここに居るのはユリだけではなかった。めそめそと我儘を言う様を見せられれて、幻滅させてしまっただろうか。

 きっちりと騎士服を着こんだキンバリーの方を見ると、幾分青ざめて見える彼女が「うっ」と胸を押さえてよろめいた。

 メイラのあまりの我儘に眩暈でも起こしたのだろうか。まじめで勤勉な彼女を、面倒ごとに巻き込むことになってしまうのは、本当に申し訳ない。

 とにかく時間がなかった。

 まずは子供たちがどこにいるのか調べるところから入るのは、限られた時間しかないメイラにとっては大きな障害だ。

 今すぐにでも飛び出していきたかったが、メイラの足ではさして遠くにすら行けない。

 無意識のうちに有能な周りをあてにしていることに気づき、あまりの情けなさに涙があふれてきた。

「御方さま!」

 慌ただしいノックの後に入室してきたマローが、ガツガツと大股に近づいてきた。

 コートも脱がずにソファーに座り込んでいるメイラの前に片膝をついて、アーモンド形の瞳でじっと顔を覗き込まれる。

「卵を投げつけられたとか?」

 さっと両手を握られて、とっくにそんな事など頭の隅に追いやっていたメイラは、涙で湿ったまつ毛を数度上下させた。

「お怪我はないと報告を受けましたが」

 彼女の心配が有難く、心強かったので、きゅっと手を握り返して微笑んだ。

「その事は、大丈夫」

「御縁のある孤児院の件は伺いました。今調べさせております。半刻で情報を持ち帰らせますので、お心安らかにお待ちください」

 礼のあの、ご紹介を受けた犬さんたちでしょうか。

 複数の影者がメイラの為に配置されていると聞いている。おそらくだがマローの配下として、サッハートで助け出されたときにいたあの男たちも来ているのだろう。

 心強かった。

 同時に、なにも出来ない自身がもどかしかった。

 ふと、同じ黒髪のダンと、ユリウスの事を思い出す。もしかすると彼らもこの街に来ているのだろうか。

「マロー、ユリウスたちも」

「はい、何でしょうか御方さま」

 何気なく質問しかけて、ものすごい笑顔を返された。

 迫力美人の有無を言わせぬ笑みに、続く言葉は喉の奥に消えた。

 どうやら、聞いてはいけない事だったらしい。

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