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 ホテルの内装は、もちろんとても煌びやかで豪華なものだった。

 かつてのメイラであれば、見るものすべてにいちいち「パン何個分だろう」と思ったに違いないが、後宮や総督府の華やかさに慣れてしまった目には、恐ろしい事に「少し安っぽい」としか映らない。

 きらきらしいシャンデリアを見ても、細かな装飾を施された階段の手すりを見ても、派手だなとしか思わない己に気づき、ゾッとした。

 いつのまにか価値観が変わってしまっている。そのうち貧しい市井の生活など忘れて、なにもかもが当たり前だと感じるようになるのかもしれない。

 昇降機の箱の中に人生二度目に足を踏み入れ、魔道具が発動するあの何とも言えない感覚に身じろいだ。

 昇降機の動力である、壁に埋め込まれた一等級の魔石をじっと見上げる。

 忘れてはならない。

 胃袋がギリギリと痛むほどの空腹感を。凍り付きそうな真冬の寒さを。

 あの魔石ひとつで、孤児たちの何人を養えるのかと考えることは、これから先にこそ必要な感覚だ。陛下のお傍で生きていく為にも、身を律しわきまえなければ……

 やがて到着したのは、このホテルの最上階だ。

 昇降機を降りた瞬間、見た事のない情景に見入ってしまった。巨大な窓ガラスの外に広がる港町の、美しい夕刻の眺め。薄紫色に染まった屋根の連なりと、家々の明かりや街灯が灯りはじめた情景は、どこか懐かしい風情のあるものだった。

 一瞬足が止まったメイラを引っ張り、情緒など感じ取った様子もない父が歩き出す。

 この老人に、美しいものを愛でようという気持ちはないのだろうか。

「急げ。随分長くお待たせしている」

 誰を? と聞けるような雰囲気ではなかった。

 あの父が、少なからず気を使い丁寧に対応する相手など、陛下以外には思い浮かばない。

 この先に何が待つのかと気が重かったが、そんなことに頓着してはくれなかった。

 半ば引きずられるようにして、ひときわ分厚い赤じゅうたんの敷かれた廊下を歩いた。

 足が絡まり転がる寸前までいったが、なんとか醜態をさらすことは免れた。重いドレスを着て、優雅に見える歩き方をするには、思いのほか筋力を必要とするのだ。

 目的地らしきひときわ大きな扉の前で立ち止まり、その両脇で歩哨をしている見慣れない白いサーコートの騎士たちに父が目配せする。

 もう歩かなくていい事にほっとしたが、待っているという相手に会うのも気が進まなかった。むしろこのまま体調が悪い振りでもして、自分を外して話をしてくれないだろうか。

 最近白いものにあまりいいイメージが持てないメイラが、上がった息をなんとか平常まで落ち着けながら、一礼した二人の騎士たちに用心深く視線を向ける。

 体格の良い二人の騎士は、身にまとうサーコートどころか軽鎧までもが白く、柄の部分が白い長い槍を装備している。

 その鎧に刻まれたシンプルで見間違いようもない紋章を見て、メイラは理解した。

 中央神殿だ。

 言われてみれば、装備品のすべてを白で統一するなど、第二皇妃様以外では神殿騎士しかありえない。

 重そうな扉がゆっくりと左右に開かれる。

 メイラは父の腕を握る手に力を込めた。

 長らく修道女として務めを果たし、今なお信心は薄れていない。

 ありがたい神の奇跡よりも、憐れで貧しい子供たちを救う物質的ななにがしかを熱望しつづけてきたが、日々の折れそうな心を健やかに保ってくれたのは紛れもなく神への祈りであり、信仰だった。

 彼女の神職としての階級は極めて低く、ただの一介の修道女にすぎない。しかもその職責は返上してしまっていて、今はもうただの一信徒だ。

 そんなメイラに、何の用事があるというのだろう。

 ふと父が、腕にしがみつくメイラの手を握った。引き離すのではなく、押さえつけるのでもなく、皺の多い冷たい手が一秒より少し長い時間重なる。

 はっとして顔を上げたが、やはり父は前を見ているだけだ。

 しかし、柄にもなく励ましてくれたらしいと察し、不安が急に倍増してしまった。

 促され室内に足を踏み入れると、ふわりと暖かな空気が身体を包んだ。

 ぱちぱちと暖炉が燃える音と、香木の燻るほのかな香りがする。

 入ってすぐに、父が胸に手を当てて丁寧な礼をした。

 メイラもあわてて膝を落とし、絶対に顔を上げたくないと思いながら淑女の礼をする。

「こちらにどうぞ」

 懐かしい声がした。

 え? と思いながらも、視線は毛足の長い絨毯に据えたまま。

「ああ……大きくなりましたね、使徒メイラ。顔を御上げなさい」

 しかし聞き間違いようもない少し訛りのある喋り方に、おずおずと、確かめるように目を上げた。

 ベールはあるが、中からの視界は遮られていない。

 窓際に、二人の白い神官服を着た男が立っていた。

 そのうちのひとり、父よりもなお高齢の、手足など枯れ枝よりももっと細そうな人物。

 しわくちゃの顔に、真っ白な髪。……そうだ、服装も含めすべてが白いこの方の、目だけは鮮やかに青いのだ。

「……リンゼイ司教?」

「枢機卿だ」

 すかさず父からのフォローが入るが、ほとんど聞いていなかった。

「どうして。お亡くなりになったと……」

「この通り、ピンピンしておりますよ」

 物心つく頃に教区で司教をしていたこの老人に、彼女は文字を習い、言葉を習い、基本的な教育を受けた。

 メイラが十歳を過ぎるころには、もっと広域の教区を担当するようになっていたので、そうそう会うことも無くなったのだが、三年前の冬に、体調を崩したので帰郷すると手紙をもらった。以後何の知らせもないことから、てっきり亡くなってしまったのだと思い込んでいた。

「さあ、ベールを上げて顔を見せてください」

 父よりも父らしく教え導いてくれたリンゼイ師の声に、涙が出てきそうになった。

 日々の多忙さに忘れてしまっていたが、この老神官にいつか孝行をしたいとずっと思ってきたのだ。その機会は永遠に失われてしまったと諦めていたのに、目の前に恩義ある師がしっかりと両足で立っている。

 何故本復したと知らせてくれなかったのか。中央神殿に招聘されたから戻ってこれなくなったのであれば、そうと教えてくれてもよかったのに。

 もう一度小さく膝を折ってから、顎下まで垂れているベールを上げ、外した。

 小さな帽子に引っかけて装着するタイプにしておいてよかった。一体型だったら外すのに苦労するところだった。

「……おお」

 俯けていた顔を上げようとしたところで、深く長い溜息のような声が聞こえた。

 リンゼイ師の隣にいる、竜騎士の異母兄と同年輩に見える神職の男性だ。何者だろう。ふたりとも神官服を着ているが略装で、見た目だけではその階位はわからない。

「よく似ている」

 メイラは口を閉ざし、小首を傾げた。

 非常に響きの良い甘い声だった。

 しかしその言葉の意味は理解できず、似ている、父に? と嫌な顔をしそうになってしまった。

「おじいちゃんと呼んでおくれ、愛しい孫よ」

 何か、変な幻聴が聞こえた。

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