7
屋外はさらに一段と気温が低かった。
反射的に立ち止まりそうになってしまったメイラの背中を、マローが軽く押す。
ふらつきながらも、ダンに続いてなんとか扉をくぐり、人がひしめく大通りへと歩を進めた。
時刻は明け方というにも早い時間帯。周囲はまだ夜の闇に閉ざされ、かろうじて東の空がうすぼんやりと明るく見えるだけだ。
通りを行く人々の大半が旅装で、残りの住民たちも分厚いマントに身を包んで避難する最中だった。
寝ていたところを起こされたのか、マントの下が寝巻の者もちらほらいる。
どうしてこんなに人がひしめき合っているのかというと、領兵が急に物々しい装いで街検めを開始し、若い女性を中心に拘束しはじめたのだ。
真夜中にいきなり眠っていた女性たちを捕らえ、どこかに引き立てていくその情景に、夜明けを待たず街は騒然となった。
若い女性だけ、というのが問題だった。もともとこの街にいた者まで、とにかく闇雲に捕えているのだ。
理由は定かではないが、姉妹が、妻が、恋人が、領兵に連れて行かれる。
それを静観して状況を見守るほど、市井の者たちは楽観的ではなかった。一度拘束されてしまえば戻ってくることはないかもしれないと思う程度には、今のご時世を理解していた。
家の中に隠せるならそこに女性を隠し、あるいは街検めが来る前にこの街を出て避難させようと、一斉に動き始めたのだ。
この街に商売で来ている者や冒険者たちは、もちろん街中に隠れる場所など持たないので、さっさと立ち去るのが良しと長旅の支度をしている。
マントの下がひらひらドレスの娼婦や、隠れる当てもないのだろう労働者階級の者たちは、取り急ぎ身の回りの所持品だけひっつかんでの避難だ。
領兵に家族がいる者がひそかに触れ回ったのがきっかけで一気に情報が広がり、明け方を待たずに通りはパニックに近い混雑と化していた。
メイラは引っ張られるようにして人ごみの中を歩きながら、ぎゅっと唇を噛んだ。
状況はあまりにも良くなかった。
要するに、メイラの替え玉が発覚してしまったのだろう。
街中を総ざらいしてまで見つけたいのだ。メイラの口を塞ぎたいのだ。
そしてそれはつまり、ユリウスの任務失敗を意味している。
彼は無事だろうか。生き延びてくれているだろうか。
人波に紛れ込み目立たないように歩きながら、栗色の髪の男について考える。生き延びて出会えたら、あいつに一発張り手を見舞ってやるのだ。マローの折檻に便乗してでもいい、尻に渾身の一撃を食らわせてやる。
乙女の下着を破き、とんだ辱めを与えてくれたのだ。それぐらい甘受してもらわなければ困る。
混雑がひどくなり、次第に人の動きがノロノロとしたものになる。
遠目に領兵たちの武装姿が見え始め、人々の口から悲鳴がこぼれた。
「……まずいな、扉を閉められる」
メイラの肩を抱いたまま、マローが聞き取りにくい声でダンと言葉を交わしている。
いや、聞き取りにくいのではない。わんわんと耳鳴りがして、その意味が理解できないのだ。
「メル?」
偽名で呼ばれて、我に返る。
心配そうに見下ろしてくる二人に微笑み返そうとしたが、濁った咳がひとつこぼれただけだった。
マローが周囲に散らばった駄犬ども……いやいや、仲間だ、そう仲間。彼らに何か合図をした。
近づいてきた一人に、何か耳打ちをしている。
周囲に不審がられない程度の距離を開けてメイラを取り囲んでいた男たちが、一斉に消えた。
「……えええ」
思わず零れた驚きの声は、半ば濁音交じりの掠れたものだった。
最近の犬は消えるのか。
唖然としてそんなことを考えていると、前方で何やら騒ぎが起こった。
「なんで閉めるんだよ!!」
意を決した風で領兵にくってかかる男の声。
「俺の妹は生まれも育ちもこの街だ。なんも悪い事はしねてぇ!!」
「俺の女房もだ!」
「たのむ、お前にも家族はいるんだろう!? 街から出してくれ!!」
そうだ、そうだと人々が騒ぎ始めた。
前方で領兵がなにやら言っているが、やがて怒声が飛び交って聞こえなくなる。
ひょいっとマローに小脇に抱えられた。女性の細腕だと思うなかれ、彼女はメイラを抱えても小動もしなかった。
足が地面から浮き、ひゅっと息を飲む。
「走りますよ。舌を噛まないようにしてください」
マローの予告通りに、群衆たちは一気に街門めがけて動き始めた。
メイラは慌てて奥歯をかみしめて、上下するその動きに耐えた。
走るというよりも、人ごみを縫うような感じで、ダンを従え門へと進む。
今にも閉ざされようとしていた街の門が、群衆に押されてジリジリと開いていく。
「おい! みんな落ち着け!!」
現場の指揮官が懸命に声を張り上げているが、一度動き出した波は抑えようがなかった。
「街から出るほうが危険だ!!!」
遠くで叫ぶその言葉が気になった。もしかしたら、逃げ出した先に回り込まれているのかもしれない。
マローにそう伝えたかったが、激しく上下しているので言葉にならない。
手を伸ばせば届くほどの距離に、ダンのマントがあった。メイラを守るようにぴったりくっついている彼が、ふと気づかわし気にこちらを見る。
どういえばいいのか逡巡しているうちに、ふたたび前の方から群衆が動かなくなった。
小さく舌打ちしながら、マローもまた目立たないように足を止める。
「……なんだ、どういうことだ」
人々が不安そうに騒めくのも無理はない。
街から出る下り坂の道の先、スラム街の掘っ立て小屋が立ち並ぶ更にその向こう側に、一般市民であれば見た事もないような軍馬の一団が、整然と立ち並んでいたのだ。
それは、領兵などとはまるでちがう、本物の軍隊だった。
「……宰相旗」
宰相? この国の宰相閣下は、陛下の叔父だと記憶している。陛下の叔父だということは、まさかこの街の差配をしているのは宰相の息子なのか?
いや待て、確か宰相の娘は陛下の第三皇妃だったと記憶している。それでは、後宮のメイドや女官、メイラまでもを誘拐し、始末しようとしたのは……
「顔を下げて」
マローに言われるまでもなく、メイラはさっとフードに顔をうずめた。
これだけの人間がひしめき合っているのに、冷たい冬風の音しか聞こえなくなった。
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