第53話

「あーあ、気を失っちゃったかぁ。面白くない」

 メイラは男のその言葉を聞いて、慌てて両目を閉ざした。

「陛下のよりデカイのかな、俺の。たっぷり奥で出したから孕んだりして?」

 あははは、と笑う男の口ぶりは明け透けで淫猥だ。

「その粗末なものを仕舞いなさい」

 見届けた女の嫌悪に満ちた口調に、更に「ふははは」と笑って見せてから、栗毛の男は身だしなみを整え立ち上がった。

「一晩くれるんじゃなかったの?」

「処置までに一晩という意味です」

「はいはい。顔焼いて下町にポイね」

「確実に始末するのよ」

「明け方まででいいなら、もう一回ぐらいヤっても……わかったわかった」

 男は女から渡された鍵で足かせを解いた。そして、大きな布のようなものでメイラの全身を包み始める。

「いつもみたいに金は弾んでよ。俺最近梨娼館のエリザちゃんに嵌っててさぁ。あの子特殊プレイオッケーなの。首絞められてイクんだよ? 変態だよねぇ」

 メイラは楽しそうに笑う男の台詞は聞き流すことにした。彼がひどく緊張した様子でメイラに触れていることに気づいたからだ。

 垂れ流す台詞は下卑ているのに、触れてくる指の感触は慎重なうえに丁寧だった。

「気絶してうるちに顔つぶしとこうかな。悲鳴上げられらた煩いし」

「……まかせます」

「あれぇ、顔が焼けるところ見ないの? 大切な御方の敵なんでしょ、この女」

「報酬はこの女を放置したのを確認してから渡します」

「はいはーい」

 とろり、としたものが顔面に垂らされた。

 びくり、と震えそうになった身体はすでに布でぐるぐる巻きにされており、押さえつけられてもいるのでそれ以上動くことはできなかった。

 その粘着質な液体が口元まで垂れてきたので舐めてみると……甘い。

 男が言うような劇物ではなく、どう味わってみてもただのはちみつだった。

「これ、ゆーっくり焼けていくんだよね。見てるとなかなかグロテスクで面白いよ」

「いいから行きなさい!」

「へぇ、自分で命じた事なのに見るの怖いの? あんたもなかなか可愛いところあるじゃん」

 メイラはさっと顔まで布を被されて、そのまま男の肩に担がれた。

 恐る恐る目を開けてみると、視界は布でほぼ完全に遮断されていた。

 ほんの少しの隙間から見えるのは、男の背中と足元だけだ。見えている範囲がごく狭いにもかかわらず、軍用の編み上げブーツを履いた者たちが至近距離にいるのがわかった。

 運ばれながら耳を澄ませる。聞こえてくる足音から、見えている範囲以外にも武装した者たちがいるのがわかる。金属が重く触れ合う音は装備からか。

 何人いるのかまではわからない。

 メイラを担いでいる男も黙ったままで喋らないし、情報がまるで伝わってこない。

 ぐるぐる巻きで肩に担がれた苦しい姿勢のまま、掌にある玉髪飾りをそっと握る。それだけが、今のこの不安を紛らわせてくれる唯一の物だった。

 遠くでザワザワと人の気配がした。かなり広い建物内なのか、子供の声が反射して響いている。

「……おい、こっちはまずい」

 別の男の声が近くから聞こえた。

「なに? こんな時間にお貴族様でも来てるの?」

「余計な口を利くな。別の裏口に回るぞ」

「はーい」

 おそらくは監視役なのだろう男が舌打ちする。

 もしかしなくても、今が逃げ出すチャンスなのではあるまいか。

 無理をすれば声を上げられなくもなかったが、助けになり得る大人がどれだけいるか分からない上に、こちらの人数も把握できず、無関係な子供たちを下手に巻き込むこともできない。

 それはメイラを助けようとしてくれているこの男も同意見のようで、促されるままに粛々と足を進めている。

 しばらくして、灰色の木の扉をくぐって、どうやら屋外に出たようだった。

 周囲は暗く、夜もだいぶん更けた時刻のようだ。

 さらわれたのは早朝だった。あれから一体何時間経ったのだろう。

 メイラの冷え切った身体を、北からの冷風が更に冷やす。あの狭い石で囲まれた部屋ほどではないが、現在の季節は冬、今の屋外の気温も明け方桶に氷が張るほどには低い。

 遠くで、風が建物の間を通り抜けるような音がした。

「……聞こえる? あれ憲兵の笛じゃない?」

「っち」

「おい! 勝手に進むな!!」

「ちんたらしてたら見つかるだろ。ちょっと身を隠してるから憲兵を遠ざけてくれよ」

 男が急に走り出して、背後から監視役なのだろう一団が追いかけてくる。

「……近いな」

「まずい」

 浮足立った男たちの気配が少し遠くなり、メイラを担いだ男が更に足を速めた。

 憲兵を撒こうとしているのか、角を曲がる回数が多い。

 走るとどうしても身体が上下して、次第に気持ちが悪くなってきた。

 不意に男が立ち止まった。

 カチリ、とどこかの扉が開く音がして、その身体が緊張するのがわかる。

 やがて男は無言のまま開いた扉の中に滑り込んだ。知り合いか? 味方か? 先ほどの男たちの仲間か?

 メイラもまた、緊張のあまり全身を強張らせ息を詰めていた。

「用意はできている」

 見知らぬ男の低い声がした。 

「……頼む」

 メイラを担いでいた男が、それまでの飄々とした明け透けな口調ではない、緊迫した声で言った。

「かなり熱が高い。お身体も冷え切っておられる。足首も……」

「わかった。もういけ」

 肩から降ろされ、別の誰かの腕に渡された。

 メイラは震えながら視界を塞ぐ布をかき分けた。その動きは制止されることもなく、震える指が隙間を広げる。

 ようやくはっきりと見えた男の顔は、やはりあの朝メイラに声を掛けてくれた陛下の侍従だった。

 栗色の髪の。名前は確か……

「……ユリウスさま」

 振り返った栗毛の男は、メイラを見て表情を歪めた。

 その肩には、メイラと同じように布でぐるぐる巻きにされた何かが担がれている。

 布の隙間からほんの少し見えるのは、黒い髪。

 すとん、と察した。

 ユリウスは彼女の身代わりとなる死体を抱え、敵の目を欺きに行くのだ。

 顔は潰されているだろうが、身体的特徴や服装に差異はある。気づかれる可能性は非常に高い。

「……どうか、無事にお戻りください」

 掠れて酷いことになっている声は聞き取れただろうか。

 栗毛の男はメイラに目礼するなり、細めに開かれた扉から滑るようにして出ていった。

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