第7話


「爺さん……どうか安らかに」

 彼は大きな大樹の下に、狸神の亡骸をそっと降ろす。狸神はとても優しく、穏やかな顔をして眠っていた。

「お爺さん……今頃、赤兎に逢えているかな?」

「……うん、きっと」

 少し先の方で、仙人達が戦闘を続けている。しかし、悪魔の衆の姿は殆ど見えない。敗北したか、逃げてしまったか……この闘いは、仙人達の圧倒的勝利のように思えた。

 そのまま視線を上げると、展望台にいる二人の姿がよく見える。ティターニアと緋兎……【スカーレット】が闘っているのだ。

 眩い光が、激しくぶつかりあっているのがわかる。……黒兎と白兎は無事だろうか? 

「悲しいね。どうしてこんな事になってしまったのだろう」

「きっと、こうなる運命だったんだよ……」

「私達に……何か出来る事ってあるのかな?」

 私の言葉に、彼は頭を左右に振った。

「……ないよ。俺達はこの物語の閲覧者に過ぎない」

「でも、これはただの物語なんかじゃ……!」

「――いいや、物語だ。……そう思わないと、俺達の心がもたないだろう」

「あ……っ」

 そう言うと、彼はその場に座り込んだ。それに習い、私もその場に座り込む。

「――夜宴の島。不思議で奇妙、美しくも残酷な世界。切ない想いと憎しみが渦を巻く、楽しくも……とても悲しい島だ。ねぇ、ミズホ。この【夜宴の島の物語】は、一体どういう結末を迎えると思う? 君は、ハッピーエンドを望まない傾向にある。なら、今の現状は君の望んだ通りなのか……」

「はぁ⁉ ソウくん、こんな時に何言っているの……? 私がこんな事、望んだりするわけがないでしょう⁉ ふざけないでよ!」

「ごめん、冗談だよ。……けど、ふいに考えるんだ。ハッピーエンドって、一体なんなんだろうって……」

 彼の目は、まるでどこか遠くを見ているようだった。

「島から奴らが退散し、再びこの世界に平和が訪れる。そして……クロやシロに見送られ、俺と君は無事に元の世界へ戻る。この島の肝心な部分の記憶だけが切り取られて、ね。……それって、果たしてハッピーエンドだって言えるのかな?」

「……わかんないよ。けど……島は滅び、全員が息絶える。もしくは島に平和が訪れても、私達は二度と元の世界には戻れない。それは間違いなくハッピーエンドとは言えないよね」

 彼は、『そうだね』と小さい声で返事をすると、ゆっくり空を見上げた。

「俺は……ミズホに必ず、ハッピーエンドを見せると言った。でも、気付いたんだ。きっと、人によりハッピーエンドの定義が違う。君のハッピーエンドは多分、無事に君の家族のいる街に戻る事。ここでの出来事は、まるで夢のような世界だったと割り切り……想い出として心の中に秘めていく。そうして新たな想いを胸に、自分の世界で暮らしていく事なんだよ。君は賢いからわかってる。どれだけこの世界に魅入られようと……自分が生きていかなければならない世界を、ちゃんと知っているから」

「……じゃあ、ソウくんのいうハッピーエンドはどういうものなの?」

 私がそう問いかけても、彼は返事を返さない。……わかってるよ。ちゃんとわかってる。

 彼は、五十嵐想は……【夜科蛍】なのだ。

 夜科蛍の小説は、全て読んできたんだよ? 彼の思考、行き着いた答えなど……手に取るようにわかる。

 それをわかっていても問わずにはいられないのは……彼の口から、そんな未来をちゃんと否定して欲しいから。

「ねぇ、ソウくん! 答えてよ……」

「……聞いて、ミズホ。実はね、俺と君が出逢ったのは、あの書店が初めてじゃないんだ」

「え……?」

 彼の突然の言葉に、私は驚きを隠す事が出来なかった。――彼は一体、何を言っているのだろう? 少なくとも私には、彼と書店より前に顔を合わせた記憶なんてない。

「出逢ったとは言っても、俺が一方的にミズホの事を知っていただけだから、君は知らなくて当然だ」

 そう言うと、彼はクスリと笑った。あまりにも無邪気な顔をして笑うものだから、私の胸はトクンと小さな音を鳴らした。

「――俺が最初に君を見たのは、俺達が住む街の中心部にある図書館。……ミズホならわかるだろう?」

「図書……館……?」

「そう。きっと今、君が一番最初に頭に浮かんだその図書館で間違いないよ。木々の葉が極彩色に彩られ、華やいた姿を見せる秋の朝……君はそこにいた。あの頃の俺は本当に無気力で、何をするにも上手くいかなくて……とにかく、サヤの面影が残る家には出来るだけいたくなかった。かといって外に出て人と関わるのも嫌で、必要な時にしか表に出ない。だから……俺はいつもその図書館を利用し、そこで時間を潰していたんだ」

『そこで片っ端から本を読んだり、小説をノートに書き写したり、人間観察をしたり』と、彼は小さく呟いた。

 ああ……彼のその姿が、頭の中で鮮明に思い描かれる。

「その中でも、君の姿は一際目を引いた。皆が無表情で本を読んでいる中、君はわかりやすいくらいに表情をコロコロと変える。笑ったり、怒ったり、悲しんでみせたり……何故だろう? 俺はなんとなく、君の近くの席に腰を下ろした。……君は、手に持っている本の他にも四、五冊、机の上に置いていたっけ? 俺はかなりの本の虫だったから、君が積んでいた本の内容は全て把握していた。それらは全て、悲しくも切ない終わりを迎える、儚い恋の物語。有名なものから無名なものまで、まるで自分が体験している事かの如く、嬉しそうに……或いは悲しそうに本を読む君を、最初は興味本位で見ていたんだ」

 彼は『ふぅ』と一息つく。私はその話の続きが知りたくて、ジッと彼の顔を見つめた。

「何時間も、君は本を読み続けた。若いのに飽きずに珍しい子だなと思った。一冊一冊を読み終える度に涙を流す君を見て、とても感受性の豊かな子なんだなぁなんて思ったりもした。そして、全ての本を読み終わった後……君は{徐}(おもむろ)に、鞄の中から一冊の本を取り出した。俺はそれを見て、驚きを隠す事が出来なかった」

「あ! それって、もしかして……」

「【星降る夜に走る列車】。鏡花水月の後に発売された、夜科蛍の二冊目。即ち、俺の初めての作品だよ」

 私は今、はっきりと全てを思い出していた。

 彼は、そんなにも前から私の事を知っていたというの……? ――信じられない。

「図書館に行って、好きな本を好きなだけ読むんだ。そしてその帰りにはクレープを買おう。……そうだなぁ、その店で一番甘そうな物を。甘い物が得意ではない俺だけど……まぁ、今日くらいはいいだろう。その後、近くの公園に行って、ベンチに座って……ゆっくりと、雲が流れる夕焼けの空を見上げてみるんだ。――ねぇ、今日の空は何色?」

 彼は、私を見てにこりと笑う。私は、あの日見た情景を頭の中にしっかりと思い浮かべながら、そっと答えた。

「……あの日の空は、美しい朱が混ざり合った紫陽花色だったね」

「うん。夕焼けのグラデーションが、とても綺麗だった事を覚えている。それから君が取った行動も、俺が書いた話とまるっきり同じだった。君はきっと、わかろうとしてくれたんだね。俺にはそれが、何だかとても嬉しかったんだ。……話しかけてみようか、なんて思ったりもしたよ。けれど、人との付き合いに慣れていなかった俺は、話しかける勇気も出ないまま……ずっと君を見ている事しか出来なかった。ははっ、今考えると気持ち悪いよな、俺!」

 彼はそう言うと、今度は少し照れ臭そうに笑った。

 主人公が、何故そんな行動を取ったのかは勿論の事。私が何故、その主人公の行動を真似てみたのか……きっと、彼は全てを理解しているのだろう。

 それなのに……『わかろうとしてくれたんだね』と言ってくれた彼の優しさに、涙がこぼれそうになった。

 ――私はあの日、【星降る夜に走る列車】に書かれてある、主人公【サトル】の行動を真似た。何故そんな事をしたかと言うと、この時のサトルの心境が……状況が……その時の私にぴったり当てはまっていたから。

 あの頃の私は辛い事ばかりで、少しだけ弱っていた。サトルも、今の私と同じような気持ちだったのかななんて思ったら……何だか急に、サトルの見ている世界を見てみたくなったの。

 ……馬鹿みたいでしょ? 

 けれど結果、私は救われた。夜遅くまで、人目を{憚}(はばか)らず、思う存分泣いて……よし、明日からもまた頑張れる。明日からも、ちゃんと生きていける。……そう思う事が出来たの。


「それから何年かが経って、あの書店でミズホを見つけた時……運命だって思った。あの頃とは随分雰囲気が変わっていたけれど、すぐに君だってわかったよ。仏頂面で不審感たっぷりの表情をしながら俺を見る君に対し、俺は逆に……ものすご〜く緊張してたんだよな、実は」

「緊張⁉ あれで?」

 私は思わずクスリと笑った。

「そりゃあ緊張したさ。……ずっと、もう一度あの子に逢いたいなって思っていたからね。だから、書店で初めてミズホと話した時……君が変わらず、夜科蛍の作品を好きでいてくれた事がわかって、凄く嬉しかった。……君が好きだと言ったのは、あくまで【夜科蛍】。なのに、まるで俺の事を大好きだと言われたような気がして、心臓がバクバクと音を鳴らした。でも、一番好きなのがサヤの【鏡花水月】だって聞いて、『やっぱり!』なんて喜びながらも、地味~にショックを受けてたりしたの、知らないだろ?」

 彼の言葉に、私は『ぷっ!』と吹き出し、クスクスと笑った。

「あはは! 何それ! それじゃまるで、恋する乙女みたい! あ、男だから乙女じゃなくて男子か! 恋する男子だ!」

 そう口にしてから我に返る。……あれ? 私、何を言っているんだろう⁉ 今の私の顔が林檎のように真っ赤なのは、その温度からも容易に想像が出来てしまう。

 あわあわと慌てふためく私の事を、彼はジッと見つめながら、口を開いた。

「うん」

「え?」

「俺さ、多分……ミズホの事が好きだよ」

 ――潮の匂いがする。こんな森の奥なのに、風がここまで運んできたのだろうか? 何も言えずに固まる私を見て、彼はおかしそうに大きな笑い声を上げた。

「ははっ! そんなに固まるなよ? 多分だよ、多分! まぁ……ミズホは【絶対】に俺の事が好きだけどね!」

「な、何よ! それ⁉」

 私は恥ずかしさのあまりムキになってそう言うと、彼は悪戯っ子のようにケラケラと笑った。

「――ミズホ。俺さ、君に逢えて本当に良かった。心の底からそう思うよ」

「そんなの……私もだよ。ソウくんに出逢わなければ、私は夜宴の島に来られなかったし、存在すら知らないままだった。貴方に出逢わなければ……今も、欠伸が出る程つまんない人生を送っていたと思う。私……精一杯、今を生きてる。これからも、後悔のないように生きていたいの! ソウくんと一緒に、生きていたいんだよ。だって私……ずっとソウくんの事が!」

「……ストップ」

 そう言うと、彼は私の口をその大きな手のひらで覆い隠した。

「いつか……俺のその【多分】が確信に変わった時。俺から君にちゃんと伝えるよ。だから、それまで待っていてくれないかな? ……勝手でごめん。けど、その方がきっと……お互いの為にもいいと思うんだ」

 風が、彼の前髪をそっと揺らした。そこから覗く、優しくも寂しげな瞳に、私は釘付けになっていた。

 どうしてだろう……? 彼からの『好き』という言葉は、確かに私が待ち望んでいたものの筈なのに……胸が切なくて堪らない。

 ……そう、彼らしくないんだ。突然こんな事を言い出すなんて。

 まるで最後の言葉にも聞こえるそれは、私の心を酷く不安にさせた。

「……ミズホ?」

 私は彼の手に自分の手を添えると、ゆっくりと下に下ろした。

「……ソウくん。クロちゃんとシロくんと、スカーレットの事が心配」

「うん、俺も。今はこんな話をしている場合じゃなかったね。――さぁ、急ごう!」

 彼は狸神に深く一礼すると、私の手を取り、展望台に向かって走り出す。

 私は、見る見る内に遠ざかっていく狸神に向かって、小さく呟いた。

「お爺さん。良い夢を……」



 ――彼はきっと、この島に残る。

 五十嵐想の事だ。島から災難が消え去り、平和が訪れたとしても、恐らくこの島に残るだろう。

 だから、彼の言う【多分】が【確信】に変わる日なんて、きっと……永久に訪れない。

 自惚れかもしれないけれど、はっきり『好きだ』と言ってくれない彼から、大きな愛情を感じ取れた。

 その言葉はきっと、私の未来までも縛り付けてしまう……そう思った彼は、はっきりと断言しない事で私に逃げ道を用意してくれたんじゃないのかな?

 だって、彼がもしここで好きと言ってくれていたら、私がここで好きと言っていたら……きっと、今よりずっと苦しむ事になったと思うから。

 私はこの先……一体、どうすればいいのだろう? 

 そもそも考える必要などないのかもしれない。今ここで、どれだけ悩みや不安を蓄積させようが……夜宴の島自体が滅んでしまえば、そこで全てが終わってしまうのだから。

 以前の私なら、このまま島が滅んでしまったとしても……大切な人と一緒に最期を添い遂げる事が出来るのならば、それを【永遠】と呼んだのかもしれない。

 ……けれど、今は嫌。これ以上誰にも死んで欲しくないし、皆には、夜宴の島には……永遠に生き続けてもらいたいの。

 しかし、それは同時に彼との別れを示している。私は彼のように、全てを捨てる事が出来ないから……

 彼は普通には生きられない人。そして私は、欲張りな上に我儘だ。

 彼の全てが欲しいと、心の底から思っているのに……彼の為に全てを捨てる事が出来ないのだから。


 私達は、なるべく音を立てないように展望台の階段をのぼった。――が、何かおかしい。

「……ミズホ」

「うん……スカーレットとティターニアがいないね。それに、ゲーデも……」

 周りを隈無く観察してみても、展望台の上には……ぐったりと地面に横たわる黒兎と、その傍らで俯く白兎の姿しか見当たらない。

 私達は顔を見合わせ、コクリと頷くと、急いで二人の元に駆け付けた。


「――クロちゃん! シロくん!」

 その声に振り向いた白兎は、今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら、小さな声で私達の名を呼んだ。

 彼は黒兎の前で腰を落とし、彼女の腕にそっと触れる。

「これは酷いな……」

「……黒兎が自分の腕を犠牲にしてくれたというのに、僕は奴を仕留める事が出来なかった。――畜生! 僕は無力だ。身体が大きくなっても、どうする事も出来ない。奴を倒す事も! 黒兎の腕を治す事も! こんなんじゃ……僕なんて、いてもいなくても何も変わらないよ!」

 白兎の頬に涙が伝う。……もう、白兎は限界だ。きっと、黒兎だって……

 島にいる皆だって、彼や私だって……本当は限界が近いのかもしれない。それ程、ゲーデの力は強大で圧倒的だった。

「ば、かが……男の癖にメソメソ泣いてんじゃ……ねぇよ。図体ばっかデカくなっても、てんで……ガキのまんまだな、てめぇはよ……」

「クロちゃん!」

「クロ! お前……大丈夫なのか⁉」

「あぁ、大丈夫だ……ま、腕は死んじまったようだけどな」

 黒兎は傷付いていない方の腕で身体を支えると、ゆっくりと起き上がった。

「クロちゃん、待って……そんな身体でどこに行くつもり……?」

「無茶だ! このままじゃお前、本当に死ぬぞ⁉ 取り敢えず、ここで仙人達が来るのを待って……」

「うるせぇ! いつまでもこんなところで立ち止まってる暇なんてねぇんだよ! 島のピンチなんだ……あたしらが何とかしなきゃなんねぇ。それに今、姉様がティターニアと闘ってんだ。早く加勢にいかねぇと……」

「――ティターニア! そうだ……私達、下でティターニアが現れたのを見ていたんだけど……どうしてティターニアは肉体を持つ事が出来たの? それに……ゲーデは一体、どこへ?」

「……あの気色の悪りぃ糞人形が、姉様の身体からティターニアを無理矢理引き摺り出しちまったんだよ。その後、あの野郎……一人でどっかに行っちまいやがった」

「……どこかに消えた? ゲーデは一体……何を考えているんだ?」

「そんな事、僕等にもわからないよ……」

「……それじゃあ、スカーレットとティターニアがどこに行ったのかはわかる?」

「スカーレット……? 確か、ゲーデとティターニアも姉様の事をそう呼んでいたような……半分気を失っていたから内容ははっきりしていないんだけど……」

 私は二人に、狸神とスカーレットの最期のやり取りを話した。二人は時折顔を酷く歪ませながらも、最後までしっかりと話を聞いてくれた。

「……そっか、それで【スカーレット】か。爺さんも味な事しやがるぜ」

「うん、とても良い名前だ」

「緋色の兎……か。あたしさ、緋色の空ってすっげぇ好きなんだよな。どこか懐かしくて、何だか安心すんだよ」

 黒兎は『へへっ』と小さく笑う。その顔は、とても晴れ晴れとして見えた。

「爺さんがいなくなっちまった事は、正直つれぇけど……爺さんの想いが、スカーレットの心を溶かしたんだ。やっぱ、爺さんはスゲェや。あたし達が出来なかった事を、命をかけてやってのけたんだからよ。……あたしと白兎は間違えた。その所為で赤兎は死んだ。勿論、スカーレットがした事も許される事じゃねぇ。……けどよ、もう皆救われてもいいんじゃねぇかなって思うんだ。殺された童子達には申し訳ねぇけど……もう、互いに憎しみ合い、すれ違うのはごめんだ。あたしはこれ以上……誰も死なせたくねぇんだよ」

「僕も……同意見だ」

 そう言うと白兎は立ち上がり、黒兎に肩を貸した。

「……姉様とティターニアは海岸の方に行った。あたし達も急いで後を追うぞ」

「終わらせよう。……今度こそ」

 黒兎と白兎の決意は固く、私は何も言う事が出来なかった。……勿論、不安はそう簡単には拭えない。けれど、私達は最後まで見届けなくてはならないんだ。

 この、夜宴の島の結末を――


 私達は揃って、展望台の階段を下りる。下では、見た事のある面々が展望台の周りを取り囲んでいた。

 悪魔達の姿は見えない。

「これで邪魔者は全て消えた。後は、死神とあの小娘だけじゃ。――お前達、やれるな?」

 仙人の言葉に、黒兎と白兎が頷いた。

「この島の事は、お前達がケリをつけねばならん。夜宴の島が生きるも死ぬも、お前達次第じゃ」

「……わかってるよ」

「助力して頂いた事を……厚く感謝します」

 仙人は双子達の顔を交互に見つめると、ニカッと笑った。

「しかし、お前達! 良い顔をするようになったのう? ただの悪ガキ、糞ガキで、皆に疎ましがられていたお前達が……今じゃ頼もしい限りじゃ。まっこと素晴らしい成長を遂げよったわい」

 仙人の言葉に周りが賑わう。笑い声や、『うんうん』と同意する声。……聞いているだけで涙が出そうになった。

 ――お願いです。どうか、どうかこの島を……双子達を、スカーレットを、守って下さい。

 私の一生分の幸運を使ってもいい。この先、一生不幸だったっていい。だから――

「……ミズホ。大丈夫だ」

 彼が私の肩に手を置き、優しく語りかけた。

「奇跡は必ず起こる。信じてさえいれば、ね」

 ――奇跡。……そうだ。私達がここにいる事自体が、もう奇跡なんだ。目を閉じて、次に開いた時……再びこの場所にいられるとは限らない。目の前には、いつもの見慣れた天井が広がっているかもしれない。……それくらい、ここは夢のような世界。ここに来られた事は奇跡そのもの。奇跡を信じたから、私達は今、ここにいるんだ。

「ありがとう、ソウくん。もう大丈夫。……奇跡はきっと、信じれば信じるほど、永遠に続くものなんだよね?」

 私が彼に向かって笑いかけると、彼は強く頷いた。

「俺達にはもう、ひょっとこやおかめの面はないし……何の力も持たないただの人間だから、皆の役に立つ事も出来ない。……悔しいけど、信じる事しか出来ないんだ。でもきっと、その【信じる気持ち】が更なる奇跡を生む。余計な事は一切考えなくていいんだ。あいつらは俺達の事を信じてくれている。だから、俺達も信じよう。夜宴の島の奇跡ってやつをさ!」

 彼が右手を差し出した。私は躊躇する事なく、その手を取った。彼の温もりが、手のひらから私に伝わり、心の中がほんのりと温かくなった。

 私は空を見上げる。黄昏の空は、いつの間にか満天の星空に変わっていた。星はキラキラと輝きながら、私達に向かって降り注ぐ。

 思わず目を見張るくらいの大きな月は、今も変わらずそこにあり、私達を優しく見守っていた。

 ここは……本当に美しい、夜の世界だ。

 今私達がここにいる【奇跡】を、ただただ幸せに思う。夜宴の島は私達に、沢山の事を教えてくれたのだから。


「――じゃあ、あたし達はそろそろ行くぜ」

「色々とお世話になりました」

 黒兎と白兎は深々と頭を下げる。周りにいた神々達は優しく頷くと、全員が被っていた面を外した。そして、これから海岸に向かう双子達に、聖なる祝福を与えた。

 双子達の傷が、見る見るうちに癒えていく。死神の呪いを受けてしまったであろう黒兎の腕だけは、治る事なくぶらんと垂れ下がっていたけれど、黒兎は満足気にニコリと笑うと『サンキューな! 皆!』と言って、もう片方の手でピースサインを作った。

「儂もついて行こう。他の者達はこの場に残り、勇敢だった儂らの同士……狸神の遺体を弔ってやってくれ。そして次もまた、素晴らしい転生を行えるようにと、皆で祈ってやってくれんか? ……頼んだぞ」

 仙人は島の客人達にそう伝えると、クルリと振り返った。

「さぁて、それじゃあ行こうかのう。夜明けは近いぞ。――色んな意味でな」

 双子達はコクリと頷く。それを見た仙人は穏やかに笑っていたが……やはり、少し寂しそうに見えた。

 狸神は本当に、心の優しい老人だった。皆にとても愛されていた。本当に惜しい人物を亡くしてしまったと思うし、非常に残念でならない。

 出来る事ならば、来世でまたあの老人に逢いたい。

 ……ううん、きっと逢えるよね? 

 私は、あの優しい狸神の顔を夜空に思い浮かべながら、流れる星に願った。

 いつかまた、必ず逢えますように……と。


「ミズホ、俺達も行こう!」

「うん!」

 私達は、急いで三人の元に駆け付ける。黒兎は呆れたような表情を見せながら、私達に言った。

「お前ら……わかってると思うけどよ? 助けてやれる余裕なんてねぇんだから、ちゃんと安全なとこで隠れてろよ?」

「わかってるよ! だから……私達の事は気にせず、フルパワーで闘って下さい!」

「本当はここに残れと言いたいところだけど、ミズホが一緒に来てくれたら凄く心強いよ。……まぁ、ソウはどうでもいいんだけどね。仕方がないから、君も特別についてくる事を許可してあげるよ。邪魔だけはしないでよね?」

「お前なぁ~、ここのところめっきり弱り切ってて、おとなしかったのに……どうやら完全復活したようだな。ま、そっちの方がいいや! お前らしくてさ」

「ほっほ。それじゃあ、行くとするかのう! 儂が全員を海岸まで運んでやるぞい。さぁ、儂に捕まれ」

 私達は仙人の身体にそっと手を触れた。仙人の身体は、目も眩むような眩い光を放つ。その光は腕を伝い、私達の身体までも同じように金色に輝かせた。

 ――スカーレット、無事でいて。今から皆で行くからね! 

 私はそう念じながら、瞳を閉じた。



***


 目を開くと、そこは真っ白な砂浜の上だった。

 私達は、急いでスカーレットとティターニアの姿を捜す。……すると、白兎が『あそこだ』と、海のずっと上の方を指差した。

「えっ……?」

 ――どうしたというのだろう? 

 二人の身体は既にボロボロだが、今は闘いを中断し互いにジッと見つめ合っている。

「なんか……様子がおかしくないか?」

「……うん。どうして二人は闘いを止めたんだろう?」

「あれは……」

 何かに気付いたのだろうか? 仙人は『うむぅ』と声を漏らすと、口を手で隠し、何やら考え込んでいる。

「仙人、どうしたの……?」

 私がそう問いかけると、仙人は顔をこちらに向け、やがて重い口をゆっくりと開いた。

「……これはマズイかもしれんな。ティターニアにはスカーレットを殺る事は出来ん。そしてスカーレットにもティターニアは倒せない。もっと言えば、儂らの誰もがティターニアを仕留める事は出来ぬ」

「……はぁ? 何だよ爺さん! 全然意味がわかんねぇんだけど⁉ わかるように説明しろよ!」

「この阿呆が! よく観察してみい!」

 仙人の言葉を耳に入れた白兎は、じっと二人を見つめ、言葉を発した。

「傷付いている場所が……同じ?」

「え? それってつまり……」

 私の言葉に、仙人が答える。

「スカーレットとティターニアは一心同体。一人が傷付けば相手も傷付く。……どちらかが死ねば、もう片方も死んでしまうじゃろう」

「なっ! それじゃあ、あたし達がティターニアを攻撃すれば、姉様も傷付くって事かよ⁉ じゃあどうすんだよ! 打つ手なしって事じゃねぇか!」

 黒兎は足元の砂を思いっきり蹴り上げると、苛立っているのか、不安なのか、親指の爪を乱暴に齧る。白く細やかな砂はキラキラと宙を舞い、やがて元の位置へと還元されていった。

「畜生……! なら、あたし達は一体どうすりゃあいいんだよ? ある意味、死神を相手にするより大変じゃねぇかよ……」

「……方法は一つしかない」

 彼は黒兎の肩にゆっくりと手を置くと、真剣な顔をしてこう言った。

「ティターニアを捕獲しよう」

「……捕獲?」

 白兎は、彼の言葉を同じように繰り返す。彼はコクリと頷くと、次の言葉を発した。

「このままだと、きっとスカーレットは自分の命を犠牲にするだろう。そうならない為にも、一刻も早くティターニアを幽閉しなければならない。恐らく、ティターニアが自ら命を絶つとは思えないから……今はそれしか活路はない」

 ――そうだ。スカーレットなら、確かにやりかねない。

 彼女が死ねば、ティターニアも同じように死んでしまうのだから……スカーレットは何のためらいも無く、それを実行するだろう。

 彼女は、スカーレットは、今までの全てを悔やんでいる筈だから……自分の命など、きっと簡単に捨ててしまえる。

「そうだよ、急がなきゃ……! ソウくんの言う通りだよ! このままだとスカーレットが死んでしまう!」

 慌てた私が皆にそう伝えると、仙人は深く溜息を吐きながら口を開いた。

「……やれやれ。手は貸さんつもりじゃったが、そうもいかんようじゃのう。殺す事よりも、傷付けず、生きたまま捕らえる方が案外難しかったりするもんじゃ。……ただ、青年よ。『ティターニアが自ら生命を絶つとは思えない』とは、少し考えが浅はかではないか? あやつはプライドが高い。そのような者が儂らに捕らえられてしまった時、【死】を選ばないとは言い切れまい? 己で舌を噛み切ってしまいさえすれば、スカーレットもお終いなんじゃ。……慎重かつ、用心を重ねるに越した事はない。とにかく作戦を練るんじゃ。お前達、こちらに集まれ」

 仙人の言葉に黒兎と白兎が返事をし、話し合いが始まった。彼は一人、何かを考えながら、無言で地面の方に目を向けていた。

 彼の言った、『ティターニアが自ら生命を絶つとは思えない』という言葉。……私には、何故かとても信憑性があるもののように感じた。

 きっと彼は何かを知っているのだろう。彼女が生命というものに強い執着を見せる、その【理由】を――

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