第30話 妻の決意


 ――シエラ。いつも私に幸せをくれるあなたのために作ってみたんだ。受け取ってもらえるだろうか?


 大好きな人が自分のために作ってくれたもの。受け取らないなんて選択肢はない。

 シエラは喜んでアルフレッドが差し出す、可愛らしいリボンがかけられた木箱を受け取った。

 ただの木箱にしては少し重い。これには何か秘密があるのでは? とシエラはアルフレッドに尋ねた。

 すると、アルフレッドがシエラの目の前にかざしたのは、虹色を閉じ込めたような美しい水晶のネックレス。

 その水晶の台座部分を木箱の装飾にぴったりはめ込むと、どういう仕掛けになっているのか、優しいメロディが鳴り響く。


 ――アルフレッド様! これって……!


 アルフレッドは柔らかな笑みを浮かべて頷いた。

 父が作曲した愛の歌を、アルフレッドがオルゴールで奏でてくれる。

 その意味に気づき、シエラはぎゅっとオルゴールを抱きしめた。

(アルフレッド様、わたしに甘すぎますわ……っ!)

 シエラの知らないところで、アルフレッドは父と連絡をとっていたのだ。そして、シエラが愛する曲を聞いたのだろう。

 父がこの曲を教えたということは、アルフレッドのことをちゃんと認めているということ。

 父はまだ素直に言えないのかもしれないが、シエラには分かった。アルフレッドを家族として認めたからこそ教えたのだと。

 アルフレッドに大切に想われているという幸せが胸に広がって、シエラは泣きそうになった。

 それでも、アルフレッドの前ではいつでも笑っていたい。


 ――アルフレッド様、ありがとうございます! わたしは、本当に幸せ者ですわ。

 

 オルゴールが奏でる優しい愛の歌を聴きながら、二人はそっと口づけた。


「……っ、う、ありがとう、メリーナ。もう、大丈夫よ」

 思い出が詰まったオルゴールをぎゅっと抱きしめて、シエラは力なく笑う。

 しばらく号泣して、ようやく気分が落ち着いた。

 シエラは、ずっと側にいてくれたメリーナに礼を言う。

 しかし、化粧は涙で崩れているだろうし、子どもみたいに大泣きしてしまい、なんだか恥ずかしい。

「でしたら、すぐにその目を何とかしましょう。せっかく旦那様に嬉しい報告ができるのですもの。奥様のかわいい笑顔を見せてさしあげなくては」

 そう言って、メリーナは手早く温かい布と冷やした布を用意して、シエラをベッドに横たえた。

 温かい布で血行を良くし、冷たい布で腫れた目をひきしめる。時々目の周りを優しくマッサージしながら、メリーナは驚く速さでシエラの目を元通りにしてくれた。

「すごいわ! もう痛くない」

「次は化粧直しですからね」

 テキパキと粉をはたかれ、目元に色を乗せ、唇に薄紅が引かれる。

 そうしてシエラの準備が整ったところで、はたと疑問が出てきた。

「……アルフレッド様、いくらなんでも遅すぎないかしら?」

 今の今までオルゴールやら号泣やらで忙しなく動いていたため、気にならなかったが、モーリッツがアルフレッドを呼びに行ってから随分と経つ。

 そこで、シエラは胸騒ぎを覚えた。

「モーリッツは、記憶喪失になったわたしに、アルフレッド様と別れさせるような嘘を吐いていたわ。わたしが彼の気持ちに気づかずに無神経なことを言ってしまったことは悪いと思うけれど、アルフレッド様を侮辱したことは許せない……あの薔薇の香油だって、幸せを願って贈られたものではないのかも……」

「たしかに、モーリッツ様は何やら焦っているようでした。奥様のために、旦那様とはいるべきじゃない、と繰り返し言っていたような気がします。でも、モーリッツ様に何かできるとは思えません」

「えぇ。わたしも、モーリッツは少し感情的になるところはあったけど、優しい人だと知っているわ。だから、誰かを傷つけるようなことができるなんて思えない……」

 けれど、様子がおかしくはなかったか。

 ――再会してから、ずっと。

 じわじわと、見えない何かに追い詰められているような恐怖がシエラの胸に広がる。

 胸元のネックレスをぎゅっと握れば、少しだけ気持ちが落ち着いた。

「様子を見に行きましょう」

 シエラが立ち上がった時、扉からノックもなしに騎士たちが慌ただしく入って来た。

「ベスキュレー公爵はこちらにおられるか!?」

 騎士たちの声や表情には焦りがあった。

 シエラは戸惑いつつも、首を横に振る。

「アルフレッド様に何かあったのですか?」

「記憶のないあなたに言うのは酷ですが、落ち着いて聞いてください」

 シエラを気遣うような騎士の言葉に、嫌な予感しかしない。


「ベスキュレー公爵には現在、イザベラ王女誘拐の容疑がかかっています」


 シエラは自分の耳を疑った。

 どうして王女誘拐などという話になったのか。

 アルフレッドがイザベラを誘拐などするはずがない。それだけはたしかだ。

 国王ザイラックの密命を受けている彼が、ヴァンゼール王国にとって不利な状況を作り出すとは思えない。


(きっと、アルフレッド様は嵌められたのだわ……)


 一体、誰に? 何のために?

 シエラが離れている間に何があったのだろう。

 疑問は次から次へと湧いてくるが、そんなことよりも。

 アルフレッドは無事だろうか。

 自分自身の価値や幸せを見失い、心を閉ざしていた彼をシエラはまた一人にしてしまったのだ。

 ずっと側にいる――そう約束したのに。

 どうして自分は記憶喪失なんて面倒なことになってしまったのか。

 愛する夫を傷つけるなんて、妻失格だ。

 しかし今、後悔している暇はない。

 シエラはにっこりと笑みを浮かべ、騎士を見据えた。

「わたしの心配なら結構ですわ。もう記憶は戻りましたから。その上で、はっきりと申し上げます。わたしの夫は、イザベラ王女様を誘拐などしておりません。どうしてそのような話になったのか、最初から説明してくださいませ」

 まずは状況を知ることが先決だ。

 その上で、アルフレッドにかけられた誤解を解く。

 妻として、夫を救ってみせる。

 そして、今度こそ二人で甘い時間を過ごすのだ。

 もう絶対誰にも邪魔させない。

 まったく新婚旅行らしくないこの状況に対する怒りが、シエラを突き動かす。

 アルフレッドのためならば、何も怖くなかった。


「……失礼、その説明は僕からさせてもらおう」


 騎士の後ろから、堅い表情で現れたのは、ロナティア王国第一王子エドワードだった。 

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