第23話 動き出した計画
午前中、ある程度仕事を片付けたアルフレッドは、音楽会を開く、と気合を入れている妻の様子を見に音楽ホールへと足を運んだ。
高い天井に輝くシャンデリア、磨き上げられた床、それらすべてが鳴り響く音を際立たせる。ダンスホールでもあるこのホールには、元々観客席などが備え付けられていない。
しかし今は音楽会のため、ホール内には百席ほどの椅子が用意されていた。かつてこのベスキュレー家で音楽会を開く時に使っていた、金色の装飾が美しい椅子。奥の物置に数年眠っていたにも関わらず、その美しさは損なわれていなかった。懐かしい光景が頭に浮かび、アルフレッドの胸が締め付けられた。
少年だったアルフレッドが、大切な人達と笑い合っていた、あたたかくも切ない記憶……。
しかし、シエラの歌に聞き惚れ、その姿に見惚れている騎士たちの姿が目に入った瞬間、過去の記憶は霧散した。
(私の妻をじろじろ見るな……!)
ふわりと微笑む彼女の笑みも、その心に染み入る天使の歌声も、シエラのすべてアルフレッドだけのものにしたい。
自分の内に強く芽生えた独占欲に、アルフレッドは頭を抱えた。いつの間にか、こんなにもシエラを愛してしまっている。
自分の罪とか、呪いとか、彼女の幸福とか、自分を取り巻く問題すら何も考えられないくらいに、心がシエラを求めている。
昨夜、マーディアルのことを思い出したから尚更、アルフレッドは冷静ではなかった。
「アルフレッド様っ!」
そんなアルフレッドの状態など知らないシエラは、自分を見つけて可愛い声で名前を呼ぶ。
昨日の件はどうなりましたか、とかアルフレッドの体調を気遣う言葉をかけてくれる妻に、アルフレッドは人前であることも忘れ、強く抱きしめていた。
急なことに驚きながらも、細腕でしっかりと抱擁を返してくれるシエラに、アルフレッドの胸はきゅっと締め付けられた。
「……私だけを、見ていてくれ」
自分の口から苦しげに吐き出された言葉は、本心だった。
透明人間であるアルフレッドの本当の姿は誰にも見えないのに。
自分だけを見て欲しいと願わずにはいられない。
アルフレッドの腕の中で、シエラは甘い吐息を漏らす。
その頬は林檎のように熟れ、細い腕がアルフレッドの背に回された。
「わたしは、はじめからアルフレッド様しか見えておりませんわ」
その言葉に安堵し、アルフレッドは腕の中の体温を愛おしく思う。
シエラを何者かに損なわれるかもしれない、と思うだけで焦り、脅えていたのはアルフレッドの方だ。
彼女のために、と言いながら、自分の側から離れてほしくなかった。
自分は、なんて弱く、馬鹿な男だろうか。
そんな男を好きだと受け入れてくれる彼女は、本物の天使のようだ。
「……わたし、アルフレッド様が透明人間でよかったです」
ぽつり、とシエラが言葉を漏らした。
「何故だ?」
理解不能なその言葉を訝しんで問うと、彼女は微笑んだ。
「だって、アルフレッド様の透明なお姿は普通の人には見えないけれど、盲目のわたしなら、アルフレッド様を感じることができる……わたしだけが、アルフレッド様を独り占めにできるんですもの」
頬を赤く染めたまま、シエラは照れたように答えた。盲目の彼女だからこそ、アルフレッドを見えずとも感じることができる。
「どうしてあなたは、私の欲しい言葉ばかりをくれるんだ……」
今まで、透明故に自分の存在すら不確かだった。
たしかに生きているのに、誰にも見られることがない。
自分がただの空気になってしまったような、無の感覚。
もう自分の姿さえ忘れてしまったアルフレッドにとって、自分を確立するための命綱が
透明になったアルフレッドは誰にも気付かれないのに、彼女だけが気付いてくれる。
シエラの前でなら、アルフレッドは透明でも存在していられる。
その事実と、シエラの想いが、アルフレッドの胸を熱くする。
「……私は、あなたを――」
――愛している。
アルフレッドがそう口にしようとした時、慌ただしい足音が音楽ホールに響いた。
シエラを庇うようにして振り返れば、ゴードンとコールディが息を切らして立っていた。
「何があった?」
短く問うと、ゴードンが呼吸を整えて口を開く。
「それがですね……国王陛下からの早馬が来まして。現在、王城にアルフレッド様からベスキュレー公爵位を剥奪すべきだ、と大勢の貴族が押しかけているそうです……国王陛下一人で抑えられるのも時間の問題かと。早々に登城するようにとのことです!」
アルフレッドを認め、公爵位を取り戻してくれたのは、他でもない国王だ。
しかし偽物疑惑が完全に払拭された訳ではなく、アルフレッドに対する認識は国王に庇われている謎の包帯男だ。
その上、その包帯男はベスキュレー公爵家当主として国王と親しい。
実際は遊ばれ、こき使われているだけではあるが、何も知らない人間はそうは思わない。
その現状に不満を持ちつつも我慢していたところに、国王のお気に入りであり、女神ミュゼリアの加護を得る【盲目の歌姫】が【包帯公爵】に嫁いだ。
それも、国王の命令で。
傍から見れば、国王が包帯公爵に女神の加護を与えたようにみえるだろう。
(なるほど。シエラを誘拐して、国王の前で偽者だと言わせるつもりだったのか)
冷静にアルフレッドが考えていると、コールディも口を開く。
「昨夜の男たちは、公爵様の指示通りに合図を送りました。おそらく、その合図を受けて動き出したのでしょう」
解放した男たちには、シエラの誘拐が成功したと連絡しろ、と伝えていた。
直接黒幕が出て来てくれれば話は早かったのだが、連絡手段は小さな花火だったようだ。
花火なら、遠くからでも確認できるからだろう。
そうして、その合図を見て、貴族たちは行動を起こした。王城に大勢で押し寄せると言う大胆な行動を。
それはおそらく確実にアルフレッド自身に偽者だと宣言させる自信があったからだろう。
もし今、本当にシエラが誘拐されていたら、アルフレッドは不利だっただろう。
アルフレッドが本物だと主張しようものなら、シエラのことをちらつかせればいい。
確実にベスキュレー公爵位を奪うために、貴族たちはシエラを誘拐しようとしていたのだ。
しかし今、シエラはアルフレッドの腕の中。傷一つなくここにいる。
少し不安気な表情で、アルフレッドに身を任せている。
彼女を安心させるように頭を撫で、アルフレッドはそっと抱擁を解いた。
「わかった。今すぐ、王城に向かう」
国王ザイラックに呼び出された、ということはもう諦めた方がいいのだろう。
わざと偽者だという疑惑を放置し、ベスキュレー家当主としての仕事をさぼっていた引きこもり生活を。
「アルフレッド様、お帰りをお待ちしておりますわ」
アルフレッドの胸に手を添えて、シエラはふわりと微笑んだ。
アルフレッド自身のけじめをつけるためにも、王城には彼女を連れて行けない。
それを分かってくれているのだろう。
シエラは、いつかの夜のようにアルフレッドを引き止めることはなかった。
シエラのことと、屋敷のことをゴードンと騎士たちに頼み、アルフレッドは一人王城に向けて出発した。
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