第4話 憧れの人


 一方、包帯公爵の花嫁であるシエラは、ぐっすり眠って……などいなかった。

 同行させたただ一人の侍女、メリーナに今日の感動を興奮しながら話していた。


「メリーナ、ついにわたし、憧れのアルフレッド様の妻になれたのね! 二人で教会で誓い合った訳ではないけれど! あぁ、でもでも! アルフレッド様に触れてしまったの! きゃーっ!」


 ベスキュレー家の屋敷はさすが公爵家ともあって、ベッドはふかふかだ。

 手近にあったクッションを抱いて、シエラは身の内におさまり切らない感情に悶えていた。

 アルフレッドと結婚した、その事実は今日まで不確かなものでシエラの中に実感はなかった。

 婚姻届の手配はすべて国王ザイラックに任せていたし、教会で愛を誓い合った訳でもない。

 しかし、今日実際にアルフレッドに会い、触れ、べスキュレー家の屋敷に部屋をもらったことで確かなものになった。

 その部屋というのが、アルフレッドの部屋から遠い位置にある客間であることは考えないことにする。

 今はこの喜びに浸る時だ、とシエラは満面の笑みを浮かべる。


「シエラお嬢様の趣味は、あたしには理解しかねますわ」

 淡々と、メリーナはそっけなく返す。

 幸せの絶頂にいるシエラは、気にすることなく微笑む。

 十八歳のシエラよりも四つ年上のメリーナは、しっかり者で頼れる存在だ。

 それに、シエラの性格もよく理解してくれている。

「ふふ、メリーナにはアルフレッド様の良さが分からないのね。あの低くて耳に心地いい声! ああ、痺れるわ~~……っ!」

 ぎゅうっとクッションを抱きしめると、近くでメリーナの溜息が聞こえてきた。

 シエラは重度の声フェチである。

 元々声フェチではあったが、視力を失ってますます拍車がかかった。

 良い声を聞けば、興奮して夜も眠れない。

 生まれが音楽一家ということもあり、シエラはきれいな音が大好きだ。

 メロディーになっていなくても、感動する音は存在する。

 シエラにとってそれは、人の声だった。

 もちろん誰でもいいという訳ではない。

 シエラの耳が反応し、心が震えるような、美しい声に限られる。

 アルフレッドの声は、シエラにとって最高の音だった。

 今日だって、彼の声に耳が震えてドキドキしっぱなしだった。


「それにしても、本当に恐ろしい方でしたよ。全身包帯だなんて不気味ですし……あたしはやっぱりこの結婚には反対です」


 今回の結婚について、乗り気だったのは発案者の国王ザイラックとシエラだけだ。

 父も姉も使用人たちも、シエラを知る者たちは皆反対した。

 そのすべてをザイラックが無理矢理納得させたから、シエラは無事この日を迎えることができた。

 しかし、やはりメリーナはまだ納得しきれていないようだった。


「見えないからこそ、分かるのよ。アルフレッド様は本当に素敵な方だって」


 シエラはアルフレッドの声を思い出しながら、うっとりと微笑んだ。

 どんな容姿だって関係ない。

 アルフレッドは素敵な人だと、シエラは心から思う。

 その痺れるほどの良い声もそうだが、アルフレッドはとても優しい人だ。

 本当に冷たい人ならば、押しかけてきた花嫁を出迎えに来たりしないだろうし、追い返そうとしていた花嫁を屋敷においたままにはしないだろう。


「それにね、アルフレッド様がどんな方だったとしても、わたしが側にいたいと思うの」


 この結婚は、シエラの自分勝手な我儘だ。

 色々と複雑なため、メリーナにも家族にも言っていないが、アルフレッドはシエラの命の恩人であり、初恋の人である。

 アルフレッドの声に聴き惚れたのは、最近のことではない。



 シエラは生まれつき盲目だった訳ではなかった。

 視力を失った十年前、シエラは一人の少年に救われた。

 優しい言葉と、あたたかなぬくもりをくれたその人を、シエラはずっと探していた。

 シエラの耳は、一度聴いた声は忘れない。

 ましてその声があまりに良い声だったために、忘れようにも忘れられなかった。

 そして三年前、国王主催の音楽祭でようやく見つけた。

 ――【包帯公爵】という異名を持つ、アルフレッド・ベスキュレーという人物を。

 成長して、昔よりも声質は変わっていたが、シエラの心を震わせる声は紛れもなく十年前の彼の声だった。

 しかし、せっかく見つけられたというのに、シエラがアルフレッドと話すことはできなかった。アルフレッドが極端に人前に出るのを嫌い、ほとんどを領地で過ごしていたからだ。

 シエラも、クルフェルト家の人間として、朝から晩まで音楽漬けの毎日だ。

 会う機会など滅多に訪れない。

 それに、一方的に想っている自覚はあったので、なかなか踏み出せずにいた。

 アルフレッドの方はきっと、シエラのことなんて覚えていないだろうから。

 そうしてシエラは、アルフレッドに再会することもできないままに時を過ごしていた――この日までは。

 アルフレッドのことが気になる、と国王ザイラックにちらりと漏らしたのがきっかけで、あっという間に結婚まで話が進んだ。

 周囲の反対もあったにも関わらず、あっという間に結婚の運びとなったのは、すべて国王の力である。

 シエラとしては喜ばしいことだが、アルフレッドにとっては本当に迷惑な話だっただろう。

 それを思うと、純粋に喜んではいられないのだが、ずっと憧れていたアルフレッドの側にいられるだけで舞い上がってしまう。


「シエラお嬢様がそう言うなら、仕方ありませんね……」

 頬を上気させて興奮しているシエラを見て、メリーナは苦笑まじりにそう言った。

「メリーナもきっとすぐ、アルフレッド様の良さが分かるわ」

「そうだといいんですけどね。さ、シエラお嬢様、そろそろお休みになってください。長旅でお疲れでしょうから」

 メリーナに促され、シエラはベッドに横になる。

「おやすみなさい。シエラお嬢様」

 そう言って、メリーナは灯りを消して寝室を出て行った。たしかに、ここリーベルトまでの道のりはかなりきつかった。馬車に揺られすぎて、体のあちこちが痛い。


 しかし。


「……まだ、眠れないわ」


 十年前からずっと恋していた人の妻になったのだ。やり方はかなり強引だが。

 緊張と喜びで、とても眠れそうにない。

 シエラは起き上がり、手探りで寝室をそっと抜け出した。


(少しだけ、アルフレッド様の様子を伺うだけだから……ごめんね、メリーナ)


 一人で勝手に出歩かないように、とメリーナには強く言われていたのだ。

 内心で心配性の侍女に謝りながら、シエラは耳を澄ませて廊下を歩く。

 音を発しながら歩くことができれば、その音の反射で障害物の有無が分かるのだが、静かな夜に声を出して歌う訳にもいかない。


 アルフレッドの声を求めて、シエラはゆっくりと夜の屋敷を歩いていった。


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