第2話 花嫁の到着
ベスキュレー公爵家に、花嫁を乗せた馬車が到着した。
御者が扉を開いてまず降りてきたのは、花嫁ではなく黒髪の侍女だった。
その侍女に手を取られるようにしてゆっくりと降りてきたのは、白いドレスを身に纏った可愛らしい娘。
歳は十代後半だろうその娘は、【包帯公爵】に嫁ぐというのに明るい表情だった。
ふわふわの亜麻色の髪は軽く結われ、閉じられた瞼からは髪と同じ色の長い睫毛が伸びている。
純白の花嫁衣装は、色白の彼女の肌によく似合っていた。
(国王が重宝するのも頷けるな)
冷めた瞳で、アルフレッドは愛らしい笑みを浮かべる花嫁を見つめていた。
小柄で華奢な花嫁は、侍女に手を引かれてアルフレッドの前までやって来た。
そして、彼女は閉じていた瞼を開き、珍しい虹色の瞳を輝かせて軽く膝を折る。
「はじめまして、アルフレッド様。わたしは、シエラ・クルフェルトと申します。アルフレッド様に会えるのを心待ちにしていました」
歌うようにそう言って、シエラという名の花嫁はふわりと微笑んだ。
その姿は、まるで天使のようだった。
季節は寒い冬だというのに、彼女が微笑むだけで春が来たようなあたたかな空気に包まれる。
【包帯公爵】を前にして、シエラの顔に脅えや恐れはまったくない。
だからこそ、幸福そうに微笑む彼女を前にして、アルフレッドは居心地が悪くなった。
かつて、アルフレッドに対してこんな純粋な笑顔を浮かべた者がいただろうか。
「……私は迷惑だ。今すぐ帰れ」
そう冷たく言い放ち、アルフレッドは花嫁に背を向けた。これ以上、あの笑顔を見ていたらおかしくなりそうだった。
国王ザイラックも、この笑顔に落とされたのだろうか。
それを思うと、ざわついていた胸はすぐに静かになった。
言うべきことは言った。もう関わることもない。
アルフレッドは早々に花嫁に背を向け、屋敷へと足を進める。
「アルフレッド様っ!」
かわいらしい声が引き止めるように後ろから聞こえてきたが、アルフレッドは無視した。
しかし、ドサっという音がした時には思わず振り返ってしまった。
後ろでは、シエラが地面に尻餅をつき、何やら額を押さえて呻いている。
「何をしているんだ」
そのまま無視することもできたが、アルフレッドの足は屋敷ではなくシエラの方に向いていた。
近くで見ると、その額は少し赤くなっている。
庭に立つ彫刻にぶつかったらしい。彼女の侍女は後ろへ下がっていたために、受け止められなかったようだ。
しかし、大きな獅子の彫刻はかなり目立つはずだが、何故ぶつかってしまったのだろう。
アルフレッドは不思議に思いながらも、シエラの手を取って立ち上がらせる。
「ありがとうございます……まあ。本当に包帯を巻いてらっしゃるんですね」
シエラはアルフレッドの包帯越しの手に触れて、にっこりと微笑んだ。
滅多に行かない社交界の場では貴族らしく手袋をしているが、普段は包帯が剥き出しになっている。
包帯姿で歩いているだけで不気味がられるものだが、向けられた笑顔は裏表のない純粋なもので、他人に触られたというのに不快感はなかった。
それよりも、彼女の言葉が引っかかる。
アルフレッドはずっと包帯姿だったはずなのに、何故今になってそのことを確認してくるのだろう。
(何なんだ、この娘は……)
眉間にしわを寄せていると、シエラの手はアルフレッドの手から腕、肩へと伸び、最終的には顔に触れてきた。
ペタペタと何かを確認するような手の動きに、アルフレッドは眉間のしわを深くした。
「アルフレッド様は、おきれいな顔をしているのですね。みんなが怖い怖いと言うものだから、どんなお顔をしているのかと思いましたけれど、わたしが思っていた通り、素敵なお方だわ」
うふふ、と嬉しそうにシエラが笑う。
その笑顔に、アルフレッドは不覚にもしばし見惚れてしまった。
そして、シエラをじっと見つめていて気付く。
宝石のように美しい虹色の瞳は、どこか焦点が定まっていない。
「……あなたは、目が見えないのか」
呆然として問うと、今度はシエラの方が驚いたような顔をした。
「ザイラック様から、聞いていなかったのですか?」
「あぁ」
「そう、ですか……それは、驚かれましたよね。アルフレッド様、申し訳ございません。この度の結婚については、すべてザイラック様にお任せしていたものですから……」
困ったような顔をして、シエラが頭を下げる。
ザイラックの名を言う時、親し気な感じがしたことに、アルフレッドは知らずむっとしていた。
「あの、盲目の花嫁は、お嫌ですか? そうですよね。きっと、たくさんアルフレッド様にご迷惑をおかけしてしまいますもの……」
明るかったシエラの表情は陰り、その瞳にはじんわりと涙が浮かんでいた。
そのことに動揺し、アルフレッドは慌てて否定の言葉を口にする。
「いや、そんなことはない……!」
「本当ですか! 嬉しいです。わたしは、アルフレッド様の妻になってもいいのですよね?」
「あ、あぁ……」
不安そうに問われれば、アルフレッドは否定すべき問いを否定することができなかった。
アルフレッドが自分の答えに戸惑っている間に、優秀な執事ゴードンは素早く動いた。
花嫁とその侍女を屋敷に招き入れ、荷物をすべて運び込む。
アルフレッドがはっと気づいた時には、もうすでにシエラたちが住む準備ができていた。
「どうしてこんなことになってしまったんだ」
脅えてすぐに帰ると思っていた花嫁は包帯公爵に微笑みかけ、冷たく追い返すはずだったのに妻になることをアルフレッド自身が了承してしまった。
頭のどこかで、警鐘が鳴っている。
他人と深く関わることをやめたアルフレッドにとって、最も恐れていたことが起こる。
そんな予感がした。
十年前のあの日から、アルフレッドは幸せになることを放棄したのだ。
幸福など、愛情など、必要ない。
それなのに、どこかであの花嫁に期待している自分がいた。
――【包帯公爵】である自分が幸せになれるはずもないのに。
アルフレッドは、白い包帯に包まれた自分の手を固く握った。
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