第8話 回想3
十和田湖を眼下に眺めて周囲をめぐりそこから八甲田山、八幡平と硫黄の噴出する無人の
「どう良い写真は撮れたの? でも早かったわね」
「フィルムが無くなったから」
「向こうで買えばいいのに」
「山の上には売ってないよ」
都会まで出ればもう行く気がしなくなったらしい。
そうかそうかと佐恵子は笑って頷いていた。そのまま駅からタクシーで帰ったがどこか佐恵子の笑顔はいつもより歯切れが悪かった。
家に着いてから紅茶を用意した佐恵子はいつもより神妙に切り出して来た。
「実家へ帰ったんだけどひとりじゃないの」
彼の飲みさしの紅茶はその場でストップモーションして顔も膠着した。
「知らない人じゃないの」
と慌てて佐恵子は話を繋いだ。
「相手はあなたのお友達の正幸さんなんだけど」
朔郎の目が鋭くなった。佐恵子が初めて見る彼の表情に精一杯の笑顔で繕った。
「偶然に駅で出勤途中の正幸さんとばったり会ったの」
佐恵子は更に最大限の作り笑いをした。
「それで」
朔郎は陰険に催促した。佐恵子は慌てて父にあなたの事を許してもらうように説得に行く所だったと言った。
「何を許してもらうんだ、俺はなにも悪いことをしていない」
「もちろんそうだけど一緒になることを許してもらうのよ」
「それで」
同じ表情でまた催促した。
「最初は軽く聞いていたけれど父の反対で入籍を済ませてないと言うと彼は『もう大人なのにそれは良くないボクがお父さんと談判してやる』と俄然と彼はすぐに会社へ休みを一報して付いて来ると言い出したのよ。それでも断ったのよ、でも最後は貴方のお友達でしょうと云う思いがよぎったの」
「それとこれとは別だ!」
電話で有美子の言ったとおりだった。片道でも九州は遠いのに、そんな所へなぜ
朔郎は勝手な女だと黙って見送った。和室に寝転ぶと暫く仰向けになって天井を眺めていた。
突然に朔郎は正幸に電話した。仕事が終わってから正幸は呼び出しに応じて朔郎のアパートへやって来た。
このアパートは通りから込み入った所にあった。二階へ上がる階段の手摺りは年季の掛かった色にさび付いていた。一番奥の部屋をノックしたが返事がないのでドアのノブに手を掛けると無錠で動いた。
「用心が悪いなあ」
そう云いながら正幸は入って来た。
「佐恵子が戻って来るといけないと思って鍵は掛けてない」
まあ座れと入ってすぐ流し台の前にあるダイニングテーブルを勧めた。
「こんな狭い所に二人で住んでいるのか」
そう言いながら正幸が座ると缶ビールとコップを置いた。
「大きなお世話だ! その内にでっかい家を建ててやるからなあその時にゃ驚くなあ」
朔郎は一口ビールを飲んだ。つまみは柿の種だけだった。彼女が留守だとこうなるかと正幸はコップにビールを注いだ。
「それは俺でなく佐恵子さんに言えよ、彼女泣いてたぜ」
正幸も一口飲んだ。
「嘘つけ! お前が勝手に熊本まで行きやがって」
正幸は柿の種を数口掘り込んだ。
「その件で電話して呼び出したのだろう、高校時代からの仲じゃないか。まず順序だてて話そう」
朔郎は友情もあったもんじゃないと柿の種を口に放り込んだ。
「どうして一緒に行った」
「どうして籍を入れない」
「余計なお世話だ!」
「だからお前も水臭い、俺が取り持ってやろうとしているのに」
そこでお前の良さをイヤと言うほど彼は説明してやった。彼女のお父さんは頷いて神妙に聴いていたから感謝してもらいたいぐらいだ。
確かにそれを佐恵子に問うと「確かに立派な態度で父とも一歩も引かぬ交渉してくれました。良い友達ね」と言っていた。
父も正幸の説明に感服した。けれど正規の仕事に就いて居ないことが致命傷で、これだけは正幸が弁護してもどうしょうもなかった。しかも卒業も危ぶむ状況では父は正幸にあんたなら話は別だとまで父に言わしめるほど恥ずかしくない人に見えた。だからあれほど弁護してくれた正幸をあなたがとやかく言えないと佐恵子は涙ぐみながら語った。
「大学は留年したそうだなあ、また一年棒に振るのか佐恵子さんの身にもなってやれ」
「うるさい、熊本まで旅行したお前に説教される言われはない」
正幸は二缶目の缶ビールに手を付けた。
「お前に黙って行った事は悪かった。反省しているが成り行きでそうなってしまったんだ」
「何が成り行きだ! 正幸! お前は信念が欠けているんだ」
ーー確かに高校時代はお前はクラスで人気があった。学級委員にまで推薦された。だが正幸、俺はお前が女の子にはからっきしダメなのを知っていた。普段はそうでもないのに感情を意識した途端に上がってしまいしどろもどろになるのを。それが今までバレていないのはその直前で感情をコントロール出来る一種のお前の特技のお陰だった。
だが正幸の様な特定の人間の心の中へ踏み込める彼は早くに見破った。そこで正幸との密約は成立した。クラスに溶け込めない彼はいじめの対象になるが、正幸が防波堤としてクラスから一目置かれる存在にしてくれた。この形を変えた取り引きは級友からは厚い友情として見られた。
「大学時代には友情の証しとして女性対するコンプレックスに佐恵子を紹介してスッカリ取り除いてやった。それなのに俺の留守に一緒に旅行するなんてお前は道徳心の無い奴だ! 」
「だから成り行きだと云ってるだろう本意じゃない」
「うるさい! すべて成り行く任せなら世の中は支離滅裂するんじゃないのか」
無理押しすれば人情なんて在ったもんじゃないが、それを推し量れないのが人情でもあった。
大学時代にはよく二人で北アルプスを縦走登山をした。その話を持ち出して、ついに正幸は人情が無理なら同情を買おうとした。
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