ダンジョンの救命救急病院

文月イツキ

燻銀と黄金の陽光

序章

ようこそダンジョンの救命救急病院へ 1

「なん、で……」


 フリーランスの少女は、これまでに感じたことのない感覚に襲われていた。


「体が重い、思うように動けないなんて……これが『ダンジョン』……」


 体中あちこちに生傷を作り、自身の得物である槍を支えによろよろとグールのような足取りで、この階層の出口へと向っていた。

 先程、少女は大の大人ほどもある体躯の狼の魔物と交戦していたのだ。

 数十分に及ぶ戦闘の末、なんとか撃退したが少女は満身創痍。

 立って歩けているのも不思議なほどで、次に魔物に遭遇すれば、いよいよ、万事休すだろう。


「ここなら、食いっぱぐれないなんて……誰が言ったのよ……」


 地上ではそこそこ名の通った傭兵だった少女は、どこかの同業者のたまり場で偶然聞いた噂話を頼りに、この地下に張り巡らされた危険と稼ぎだらけの迷宮『ダンジョン』へと赴いたのだ。

 曰く、尽きることのない魔物たち、それらを狩ることで手に入る資源を換金し、ダンジョンに毎日潜っている『探索者』と呼ばれる者たちは生計を立てている。腕に覚えがあるのならいい稼ぎになる、と。

 毎日、安い報酬で魔物を狩りその日の糊口を凌いでいた彼女に取って、その噂は、切実な博打だった。

 一攫千金、とまでは行かずとも、今よりもマシな生活を送れるようになるのではと、ダンジョンの勝手も分からぬまま単身ダンジョンへど潜り込んだのが運の尽きだった。

「腹も空いた……目が霞む……」

 地上でも生傷は耐えなかったから応急手当ての心得くらいはあったし、携帯食料も少なからず持ち込んでいたが手荷物を入れていたポーチは狼の魔物に噛み千切られ中身の多くをこのダンジョン内に落としてしまっていた。


「誰か……助けて…………兄さん……姉さん……!」


 希望はなく、深い絶望がここにいもしない、兄や姉に助けを求めさせ、ついに少女は膝をついた。


「怖いよ……せめて最後に兄さんや姉さんと…………」


 こんな恐怖は初めてだった。

 兄や姉と別れた日も、一人で巣立たざるを得なかったときも、気丈に振る舞い、なんとかなると前を向いていたが、そんな時間ですら、この瞬間に脳裏を過ぎ去っていく。


(一緒のテーブルで、ご飯を食べたかったな……)


 血が抜けたことによる寒さか、あるいは、死を目前にした恐怖からか壁に背を預けた体は酷く震えていた。


――カン……カン……


「へ? これは……? 確か……」


 それは体が震えたことで、身につけていたそれが地面にぶつかって自分を主張する音だった。


(ダンジョンに潜る前、ここを管理してるとかいう『ギルド』の人から渡された……)


 ダンジョンには潜る前に酒場のような受付で手続きを踏まなければならず、探索者たちがお金を出し合って運営してるギルド、と呼ばれる組合を介して少女はダンジョンに潜っていた。

 少女が手に取ったそれは、ドッグタグに結びつけていた陶器製の小瓶だった。


(緊急時にこの小瓶を開けろ、って、話だっけ……)


 ダンジョンの簡単な説明を受けたのちに、渡された小瓶、しかし、その用途について説明を受けていたはずなのに、自分には関係ないと高を括り上の空で聞いていた少女は、ハッキリとどんなものか覚えていなかったし、結局今の今まで存在そのものを忘れていた。


「いちか、ばちか……この中身に期待するしかない、か……」


 小瓶は小指の第一関節ほどしかなく、中に何かが入っていたとしてもそれは本当にごく微量なものだろう。

 期待は出来ない。

 けど、藁にもすがる思いの少女には、これしか希望は残されていなかった。


「痛み止めでも、強壮薬でも、なんでもいい、から……」


 一縷の望みを託し、ドッグタグからもぎ取った小瓶を開封する。


「粉? やっぱり薬か――――きゃっ!?」

 ――爆ぜた。


 中身を確認しようと顔の近くに持ってきていた少女はその音に驚き小瓶を放り投げてしまう。


「なんなのよ……これ!?」


 爆ぜたといっても、小瓶の中の粉末に火がついただけのようで、小瓶が破裂するようなことはなく、幸い、少女に追加のダメージが入ることはなかったが――。


「わけがわからない……これは、狼煙? こんな地下で?」


 小瓶からは粉に火がついたことで、口からモクモクと赤く色のついた煙が吹き出ていた。


「もう、いいや……ここで、眠ろう。どうせ、帰る場所なんて……もうどこにも……」



「患者の容態は?」

「はい、意識は途絶えていて、呼吸は非常にか細いです。何らかの打撃による骨折が腕、脚共にあり。狼系の爪によると見られる外傷が腹部、大腿部、肩部に見受けられ、首部の鎧から露出していた部位には牙で噛みつかれた痕跡があり、そこからの出血が極めて多量です。一刻を争う状況かと」


 問いかけられた女性はカツカツと急ぎ足でボードに載せた紙を確認しながら正確な情報を問うた相手に返す。


「応急手当は?」

「どうやら彼女は単独でダンジョンに潜り込んでいたようで、ここに搬送されるまでの間10分、そのままの状態で放置されていたようです。搬入直後、私の方で骨折部の固定と止血処置をしましたが、首の方は動脈まで到達しているようで私の腕ではとても……」

「報告了解、これから緊急手術に取り掛かる。――水の精霊たち、僕の両手の洗浄を。それと患者の出血部にも先行して汚れを取り除いておいてくれないか?」


 その人物は隣の女性にではなく、誰に向けたのか、何もない虚空に「お願い」をし、手を掲げる。

「その子の身元は?」

「手荷物などはすべて紛失していたようで身分証などは見つけられませんでしたが、ドッグタグを身に着けていたので名前だけは判明しています。――ブルー・ブロンズ。ドッグタグを肌見放さず持っていたということは傭兵のようですね」

「だね、ダンジョンの入場記録を見るに、初めての潜行で地上との勝手の違いに翻弄されたんだろう。トラウマにならなきゃいいけど」


 少女、ブルーの命が風前の灯火であるにも関わらず彼は、ごくあたりまえことのように、生き残ったあとのことを想定して話を進める。


「手術の準備は整ってます」

「んじゃ、1600、これよりダンジョン内負傷患者、ブルー・ブロンズの手術を開始する。サポート頼んだよシスイ」

「はい、お任せください。燻銀スモーキーシルバー

 

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