悲しき怪物

 彼はそれに気付いても、誰に相談する事も出来ずどうする事も出来ない。行き場の無い悲しみと疑問は、日を追うごとに積み重なるばかり。とてもではないが、真っ当な人間が一人で抱え込める容量をとっくに超えていた。


 それでも実験は日に日に残酷なものへと変わっていく。いつしかラウルの心は壊れてしまった。考えてもどうする事も出来ない事には目を瞑り、目の前の研究がどのような結果を生み出すのかだけを考えるようにした。それが唯一、彼が命を繋ぎ止める為の方法だったからだ。


 一方で、ラミア族という種族でありながら人間であるラウルに協力し、森の研究所で医療まがいの事をしていたエンプサーは、ラウルとは別の場所で研究を手伝わされていた。


 彼女もラウルと同じく生き物を使った実験や研究に携わっていたが、彼ほど心を壊してしまう事はなかった。それは彼女が冷たい心の持ち主だったからなどという理由ではなく、単純に実験体となった生物に対して感情移入が出来なかったからだった。


 生物としての種族が違えば、他の種族に対して生まれる感情にも違いがあるのは当然の事だろう。蟻や蚊を潰して殺すのに、感情を押し殺し涙を堪える人間がいるだろうか。


 大半の人はそんなことすら考えたことは無いのではないだろうか。エンプサーが抱いていた感情もそれと同じだった。ラウルや研究所の為と、研究と実験を強要される恐怖はあったが、仕方のない事と割り切り言われるがまま、成すべきことを成していたに過ぎない。


 そんなある日、姿を見せぬラウルが心配になったエンプサーが、地下に設けられた研究所内を休憩時間を利用し散策していると、並べられた大きな実験用容器の中に何処か懐かしさを感じる生物が入れられているのに気がつく。


 彼女が感じた感情が何なのか、その生物が一体何なのかという確信はなかったが、エンプサーはその生物に妙に惹かれるようになる。


 結局彼女がラウルと再会することはなかったが、歳月が過ぎ彼女が献身的で従順な態度を示した事により研究所内でもそれなりの地位と立場になった頃、研究室内にて過去の資料を目にする機会があった。


 実験を行った被検体の様子や実験結果は、どの個体も須くデータとして記録されている。その中の一つにあった個体データに、彼女の目を引く者がいた。


 それはラウルという心を失った人間種の個体であると記されていた。資料には見覚えのある顔写真が添付されており、今も研究所内に彼がいることを知ったエンプサーは、急ぎ彼が収納されているという研究室へと向かう。


 しかしそこに並べられているのは、とても人間が入るような大きさの容器など無く、棚に並べられた容器は人間の女性でも片手で掴めるくらいコンパクトになった物ばかり。


 中身は殆ど実験の過程で望んだ結果を得られなかったものや、処分するには惜しい個体などを保存するものだった。持ち出した資料に記されたラウルの被検体番号と、容器の番号を照らし合わせながら順番に確かめていくと、彼女はそこで長らく心の片隅で存在を気にかけていたラウルと再会する。


 だがそこに居たのは、彼女の思い出の中にあるラウルとは全く別の形をした、小さく不気味な生き物の姿をしていた。保存状態である事もあり、動いている様子はなく生きていると呼べるのかすら怪しいその姿に、エンプサーは愕然としていた。


 何とかして嘗ての彼を取り戻したい。新たに彼女の中に芽生えた感情は、他の何者をも犠牲にしてでも目的を果たそうとする、マッドサイエンティストを生み出してしまった。


 エンプサーは自身の体すら研究の材料とし、研究所内に残されていた生き物の意思や思考、記憶の研究データを基にラウルと同じ人間の心、ラウルと同じ人間の体を求め、リナムル周辺にやって来た人間を連れ去り人体実験を行う。


 人間の誘拐事件が巷で噂となり、調査のクエストが発注されるようになった事で、実験体を入手することが困難になってしまう。それどころか、研究所の存在を探る冒険者すら現れるようになり、このままでは研究を続行する事も難しくなってしまうと考えたエンプサーは、幻術や魔法による結界などを得意とするエルフ族に目をつける。


 彼らを捕らえその技術の抽出を可能にした彼女は、研究所自体の隠蔽と仕掛けを作り出し、関係者以外が立ち入れぬような空間を生み出す。だがリナムル周辺にギルドの冒険者が増えた事により、表立った行動が出来なくなったエンプサーと研究員達は、敵対組織と渡り合う為に戦闘員と戦力の増強の為、生き物としてのポテンシャルの高い獣人族に目をつける。


 その中で生み出した人造生物に、シン達を苦しめた百足男やダマスクのように別の生物の中に入り込み意識や肉体を乗っ取る、実体を持たない生命の研究を進める。


 それぞれ百足男には“センチ“という名を。意識と肉体を乗っ取る生命には“ホロウ“という名を付けた。ホロウの研究自体は、彼女が研究所を引き継ぐ前からアークシティの研究員達によって行われており、その段階でダマスクは肉体を失いホロウへと変えられてしまっていた。


 後にエンプサーが改良したホロウは、シン達が研究所へのポータルを見つけた際に襲い掛かってきた獣達に使われていたのだそうだ。ダマスクのように個の意思を持たず、目的と生存本能を植え付けられた、蔓延する意思の怪物。それが“ホロウ“だった。


 奇しくも、ラウルと共に束の間の幸せを感じながら、森の研究所で助けて来た生物達を彼女は自分の目的の為に数え切れないほど捕らえては生物実験を行い、その結果として殺してきた。


 もはやそこには、嘗ての彼女の姿はない。例えラウルという人間を元の姿に戻せたとしても、あの頃の温もりや心情へは戻れないだろう。

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