暗雲去りし戦場の者達


 陰鬱とした雰囲気と、しっとりと肌に纏わり付く嫌な湿り気で覆われていた海域が嘘のように晴れ渡り、元の大海原の表情を覗かせた。それと同時に、一つの海賊団を取り囲んでいたこの世成らざる者達の軍勢も、濃霧と共にその姿を消していく。


 亡霊達は、自らが消滅していくのを理解していないのか、薄れながらも消えるその寸前まで生者の海賊達を一人でも多く道連れにせんと、刃を振るい襲いかかる。死に怯え、冥府よりの使者の導きに目を背ける船員の目の前で、刃もそれを持つ腕も身体諸共、剣を振るう勢いそのままに船員を透過し、梅雨の嫌な湿気のような感覚だけを傷跡のようにこの世へ残していった。


 「これは一体・・・」


 周囲の船に起き始めている異変に視線を送り、現状の事態の把握を図ろうと試みる。ゆっくり頭が回転し始め、漸くこの戦場に起きている事態を把握し始めたところで、ミアを見つけたシンが声をかける。


 「ミアッ!」


 「シンッ!無事だったのか!君がここに居ると言うことは、グレイスの救出も上手くいったみたいだな」


 シンとミアは孤島を脱出する船の上で、グレイス海賊団が襲撃を受けていたのを目撃して以来の再会だった。死の危険性を垣間見たミアは、シンにグレイスの救出を諦めるよう促したが、それでもシンはグレイスを助けると言い、貴重なツバキのボードを持ち出し彼女の元へ向かっていった。


 グレイス海賊団を襲撃していたのは、ロロネーと同じく残虐非道な海賊としてその名を馳せていた、ロッシュ・ブラジリアーノという海賊だった。互いの幹部達による総力戦の果てに、深傷を負いながらも船長であるロッシュを戦地へ引き摺り出すことに成功したグレイス一味だったが、彼の異端なクラススキルに苦しめられる。


 シンは戦場に忍び込み、総大将であるロッシュを幾度となく奇襲するも、未知の能力により返り討ちに遭ってしまう。辛うじて生き延びたシンは、グレイスやその一味と協力し見事これを討ち破ることが出来た。


 シンのちょっとしたグレイスへの良心が、彼女に大きな借りを作ることとなり、力強い助力を得ることとなる。このレースにおいて、大きな戦力や後ろ盾のないシン達にとって、他の海賊団の協力を得られるということは、それだけで彼らの目的であるアイテムの入手へ近づく。


 賞金や地位、売名などを目的とする者達はレースの順位を重要視する。しかしシン達の目的は、この世界の住人達にとってあまり魅力的とも思えない奇怪な転移アイテム。異世界への転移を可能とするアイテムだ。


 そんな嘘か本当かも分からぬアイテムであれば、競争倍率も低いはず。もし協力者であるグレイス海賊団が見つければ、譲ってもらうことも出来るかもしれない。そういった関係性を築いていくのも、彼らにとって重要なポイントとなるだろう。


 ミアと合流したシンは、今起きている現状とこれまでの経緯を話す。ロロネーは消え、彼の魔力で発生させていた、周囲一帯の海域を飲み込む程の広範囲に渡る濃霧も、彼の消失により維持出来なくなり、元の天候へと戻った。


 亡霊やゴーストシップも同じく、人成らざる力を得たロロネーにより生み出されていたが、魔力の供給源を失い姿を保てなくなる。要するにロロネー率いる亡者の大船団は、彼一人の命で全て消えさるハリボテのような海賊団だったのだ。


 無論、森に隠れてしまった一本の木を見つけるのは容易なことではなかった。だがそれは、攻め時を間違えたロロネーの意思により、自らその姿を現す結果となる。そして最大の武器を手に入れたロロネーだったが、チン・シーとシンの活躍により取り戻され、その武器によって最期を迎えた。


 ロロネーを討ち払ったハオランは、まるで崩れ落ちるように床へ倒れ込む。亡霊の猛攻から解放された船員達が、彼の元へ駆け寄り直ぐに応急処置と出来る範囲での回復を試みる。他の傷病者の捜索にあたっていた船員により発見されたツクヨもまた、ハオランと同様に治療を施された。


 これはロロネーの意思の中より接続を切ったチン・シーがシンやツクヨ、そしてミア達のことを、ロロネー討伐の功労者として手厚い対応をするよう、船員達に促していてくれたようだ。


 シンとミアの元にもやって来た船員達。単純な魔力切れだけで済んだミアは、そのまま自力で歩き、チン・シーの元へと案内されていく。シンはロロネーにより受けた負傷の治療と、精神汚染による後遺症の検査を受けることとなった。


 想定されていた以上の戦力を誇っていたロロネーにより、甚大な被害を被ることになったチン・シー海賊団。失われた海賊船の数と船員の命は、正確に数えられるような数ではなく、彼女らの心にも大きな傷を残すものとなった。


 それでも、レースの優勝候補と称されるだけの総戦力と船団を率いるチン・シー海賊団は、レースを継続することと、引き続きコース内に配置されたアイテムや武具の捜索を再開する方針で固まったようだ。


 チン・シーの元へ案内されたミアが、負傷したシン達に代わり彼女から話を伺う。ロロネーによる悪事の企てと奇襲は、グレイス海賊団による調査で既に情報を得ていた。そのおかげもあり、被害は最小限に留められ、壊滅を免れた。


 ある程度の寄り道になってしまうことは予想されていたが、ロロネーの能力までは把握しきれず、大きな遅れを取ることとなってしまった。


 「大きなタイムロスになったな・・・。大丈夫なのか?レースの方は」


 ミアが彼女に、レースの遅れについて尋ねる。この遅れは、一直線にゴールを目指す海賊団に到底追いつけるようなものではない。これでチン・シー海賊団の優勝は消えてしまったのではないか。


 「そうだな。この遅れは妾にとっても想定外よ・・・。だがレースの遅れに関しては、まだまだ取り戻せる範囲ぞ」


 何も心配している様子のない彼女の表情を見て、ミアは単なる好奇心とこの先に何が待ち構えているのか、その理由を問う。


 「随分と余裕なんだな。てっきり諦めたのだとばかりに思っていたが・・・。何か秘策でもあるのか?」


 「秘策という程のものでもないがな。それに先陣を行く者達は恐らく、このレースの大トリである壁にぶち当たっている頃であろう。さて・・・此度はどんなモノが用意されているのか・・・」


 楽しみを期待しているとでもいうような表情で物思いに吹けるチン・シー。彼女の口から語られた言葉の中には、ミアの気を引くものが多く含まれていた。レースを挽回する秘策もそうだが、何より気になったのは、レースの終盤に待ち構えているであろう“大トリ“と呼ばれるものについてだった。


 「大トリ・・・?レースの最後に何かあるのか?」


 「そうか、其方らは初参加であったな・・・。ハオランより聞いておるぞ。このレースには、ゴール地点へ一直線に向かってもゴール出来ない仕組みが組み込まれておるのよ。それが大トリであり、我々海に生きる者達にとって障害になる驚異の排除にも繋がる、一発逆転のポイント争奪である“レイド戦“だ」


 レイドとは、個人や少数では到底太刀打ちできないような強大な敵に複数人、複数団で挑む共闘戦闘のこと。つまり、レースを先急いでも少人数ではレイド戦を越えることが出来ず、逆にリタイアに追い込まれてしまう仕組みになっているようだ。


 故に優勝を目指す船団は、その船や船員の数をより多く集め、総戦力を高めることでレイド戦を有利に進める必要がある。逆に個人で参戦している者や、少数で参加している者達は協力者を求めたり、レイド戦が終わるのを待ってから順位を上げようとしたりと、様々な工夫が必要となる。


 しかし、このレースにおいて重要なのは、何も順位だけではない。道中に見つけた武具や財宝、討ち倒した海賊の首やモンスター、そしてレイド戦における貢献度などで手に入るポイントが重要になってくる。


 取り分けレイド戦の貢献度はポイントが高く、如何に効率よくダメージを稼ぐかが優勝を決める最大の駆け引きとなるのだ。

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