夢に見た世界へ

 ベンジャミン一行によって保護されたロロネー達は、病気や怪我の手当てをされ満足な食事も与えられた。これ以上入らない程の食事など、生まれて初めての経験だった。


 奉公人をしていた頃には想像もしていなかった、自らの手で勝ち取った未来。ただ美味しいものが食べられる。それだけで感情が極まり、彼らは再び涙した。


 その様子を見たベンジャミン一行は、余程酷な労働条件を叩きつけていたのだと知ると、翌日彼らの雇主の元へ赴くと、国からの令状でその者を厳重処分になる。


 それから暫くして、晴れて自由の身となったロロネー達奉公人達は、それぞれの生活を歩み始める。自身の故郷へ帰る者やこの土地で暮らしていく者、船に乗り何処か遠くの島へと移住する者。


 共に地獄のような日々を過ごして来た共達と涙の別れを告げ、ロロネーもまた自分で決めた自身のやりたい事をするために準備を始める。


 「おい、ジャン。お前はこれからどうするんだ?」


 「俺は暫くここに残るよ。船の操縦を覚えたいんだ」


 かつて奉公先で耳にした、海の話。それは彼の頭から離れなくなるほど、彼を夢中にさせていた。目的地のある旅ではない。その日その時に行きたいと思ったところへ。風の赴くままに。そんな“自由“を求めて、ロロネーは保護されて以来親しくなったベンジャミンに、外の世界のことを教わった。


 何でも彼は、今の立場になる前は海賊をやっていたのだという。それは正しくロロネーの夢見た自由な海の旅人の姿。彼から語られる様々な島の奇怪で不思議な話に、どんどんと虜になっていった。


 「なぁ、何でアンタは海賊を辞めたんだ?もう飽きちゃったのか?」


 「あのなぁ・・・。少しは言葉遣いを覚えたらどうだ?少しは教養も身につけないと、どこの世界でもやっていけないぞ?」


 「しょうがねぇだろ!?そういうの教えてくれる人なんていなかったんだから・・・」


 ロロネーは真面な教養を受ける前に、年季奉公人として故郷から送り出された。同じような境遇の子供達もいたが、やはりロロネーと同じく真っ当な言葉や所作など知る由もなく、また大人の奉公人も世間の常識など捨て去り、ただ雇主に黙って従うばかりだった。


 そんな子供達を哀れに思い、ベンジャミンは本人達が望むのであれば、その土地での生活や教養を支援すると申し出てくれた。ロロネーは幼い自分を、奉公人として送り出した両親を恨んではいなかった。


 しかし、今更帰る場所でもない。そう思ったロロネーは、ここでベンジャミンから海での話を聞き、夢を膨らませた。いつか自分の力で世界を旅して周る。今はその為の知識や技術を習得しなければならない。


 ロロネーは港町で仕事をしながら、資金と船の知識をつけていくと小さいながらも自分の船を購入し、念願だった大海原へと飛び出していく。その前に彼は、この町と国でお世話になった人々や、仲間の墓を訪れる。


 「おめでとう、ジャン。念願だった船を手に入れたんだね」


 「あぁ、これで世界を見て周るんだ。ずっと夢だった・・・。何も見えない暗闇の中で、その光だけを頼りに耐えて来た。数え切れないほど沢山失ったけど、失った以上のモノを俺は手に入れるんだ」


 「そうだね・・・。辛い思いをして来た分、楽しいことや嬉しいことがないとね。アンタの人生だ、悔いのないようにね・・・」


 ロロネーの面倒を見てくれた人に別れの挨拶と抱擁を交わし、その場を後にする。きっといつか、満足するまで世界を見て周り、彼が帰って来るのはこの場所なのだろう。どこで生まれたかではない、どこで夢を見て、どこで光に向かって歩んだのかが重要だった。それこそが本当の故郷となるのだから。


 「おーい!ジャン!もう行くのか?」


 町を行く道中、親しい者達からまるで凱旋のように声をかけられる。ここでの労働は彼にとって全く苦にならず、むしろ毎日が輝いていた。知識や経験として積み重ねることが多く、育まれる思い出が空白の幼少期の心を満たしていた。


 そんな充実した時の中でも、ロロネーの心の中からかつての闇が消えることはなかった。嫌な思い出や辛かったことというのは、どんなに楽しい思い出を積み重ねようと、そう簡単に消えるものではない。


 ふとした瞬間に思い出してしまうものだ。彼の場合、ほとんどの労働が彼の暗い過去を思い出させるスイッチとなっており、荷物を運ぶだけでも身体に染み付いたトラウマが脳裏に過ぎるようになってしまっていた。


 だが彼の場合、思い出してしまうというよりも何処か忘れないようにしている節があった。それがロロネーを悪道へと落としていく、引き金となってしまうとも知らずに。


 自分の船を停泊していた港に着くと、ロロネーを出迎えに来てくれていたベンジャミンがいた。面倒見がよく、既に必要な物を積み込んでいてくれたようだ。後は彼の手荷物だけで最後。航海に必要なものはベンジャミンから学んだ。


 「漸く夢の第一歩を踏み出すんだな・・・」


 「そんな大それた事じゃねぇさ。これはただ、俺の人生の出発に過ぎねぇんだからな。アンタには世話になった。その第一歩ってやつを踏み出す為に、いろいろと手を貸してくれてありがとよ・・・」


 改まった言葉を連ねるのが恥ずかしかった。奉公人から解放されて以来、まるで親のように育ててくれ、様々な知識を教えてくれた彼には感謝しかなかった。その上、憧れていた海へ踏み出す為の心構えや、準備まで手伝ってくれた。


 「いいか?ジャン。海はお前の想像するような夢に溢れたモノだけじゃない。恐ろしいモンスターや海賊、自然の脅威とか・・・。とにかく危ないものも多くあるってことを忘れるんじゃないぞ?」


 「分かってるよ。もうガキじゃねぇんだ、弁えてるさ」


 「・・・そうか。それと最後に一つだけ・・・」


 「・・・?」


 言葉に詰まるベンジャミン。彼が最後に口にしたことは、今後ロロネーに降りかかる彼を変えてしまうほどのことだった。目に見えるほどの悍しいものと残酷な光景、夢の光に潜む闇を暗示したものになる。


 「人を見抜く“眼“を養え。簡単に相手を信用するなよ?凡ゆる可能性を想定し、いつでも対処出来る様にしておくんだ。・・・心とは変わりやすいもの。いつお前に牙を剥くか分からんからな・・・」


 「・・・それって、アンタがずっと話してくれなかった、海賊を辞めたことと関係ある話?」


 ベンジャミンはロロネーの質問には答えなかった。だが、彼はそれがベンジャミンの答えであり、心の中にある傷であるのではないかと感じた。ロロネーにも心の中に深い傷があるからこそ、言葉にしないベンジャミンの気持ちが伝わったのかもしれない。


 その後ベンジャミンは、彼の出発を促すだけで無言の見送りをした。船に乗り込みエンジンをかける。離れていく港の光景を目に焼き付けるロロネー。彼を見送る一人の男の表情は、微笑みの中に哀愁のある顔をしていた。

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