戦士の帰還

 無事に海面まで浮上することの出来たツクヨは、それが最後の呼吸だと言わんばかりに息を吸い込む。水を欲するように身体が酸素を欲している。海に出てこんなことになるまで思いもせぬことだったが、こんなにも空気が美味いと感じるのはなかった。


 血相を変えて酸素を身体に取り込んでいると、そんなツクヨの元に一隻の船が近づいて来る。見覚えの無い小舟だったが、その後方に酷く破損したボロボロの海賊船のようなものが見える。


 それはツクヨが、チン・シー海賊団の船員達とクトゥルプスに立ち向かっていた海賊船だった。あちこちに風穴を開けられ、最早操縦すらままならなかった船が、彼を拾いにやって来たのだ。


 だが、船員の殆どはクトゥルプスによって殺されてしまっていた筈。特に船を操縦する技術者達は真っ先に狙われ、残されていたのはツクヨとツバキを治療してくれた回復魔法に長けた部隊と、戦闘員達だけだったように聞いていた。


 「あの海賊船・・・無事だったのか。しかし一体誰が操縦を・・・?」


 彼がそんなことを考えていると、近くにまでやって来た小舟から、聞き覚えのある男の声がする。その男は海賊船内での戦いで彼を励まし、共に戦ったロープアクションっを得意とする船員の男だった。


 「大丈夫かッ!?今、助けるッ!」


 浮き具を括り付けたロープをツクヨの側に投げ込み、手にしている方のロープを緩めたり手繰り寄せたりしながら調整し、上手く彼の元まで向わせる。自然に起こる波や、彼らの船が起こす波を上手に利用する、海を熟知した彼ならではの巧みの技術。


 小舟に引き上げられたツクヨは、船に積んであった大きな布で身体を覆われ、体温を上げるように忙しなく作業をする男。普段、戦闘や船のことに労力を費やして来たのだろう。多くの船員がいれば、作業を分担したり得意分野が違うのは当たり前だ。


 男のツクヨに対する所作から、治療や看病に疎いことが伝わってようだ。本船から逸れないよう、小舟と海賊船の間にもロープが括り付けてあり、ツクヨを回収することに成功した今、後は海賊船に引っ張って貰うだけだ。


 何に邪魔されることもなくツクヨと男を乗せた小舟は、破損した海賊船によって回収され、無事に帰還する。彼らが到着すると、直ぐにツクヨは回復班によって治療を施される。


 海から引き上げられた時のツクヨは、シバリングと呼ばれる身体を激しく震わせる症状や、歯をカチカチと鳴らしていた。それが海賊船に引き上げられるとシバリングが止まり、動作が遅くぎこちなくなっていた。


 自分の足でベッドまでいけると言っていたツクヨは、ゆっくりだが慎重とも思える動きで歩き、ベッドに横になる。一見症状が回復してきたように思えるが、冷たい海に長く晒されたことで彼の身体は低体温症となり、その初期症状が止まったに過ぎない。


 シバリングが止まったからといって、症状が安全圏に入ったことにはならない。寒冷障害とも言われる低体温症は、極めてゆっくりその症状が現れる為、本人や周りの人間もその症状に気がつかないことがある。


 震えが止まることは回復の兆候では無いのだ。その後の動作や反応がますます鈍くなり、大人しくなることは寧ろ症状が悪化し、危険な状態に向かっていることを意味する。


 だが、海賊と言うこともありながら、海で長らく生きてきた彼らはツクヨの症状に直ぐに気がつくと、衣類を脱がせ彼の身体を乾燥させると外部からの体温の上昇を図る。


 その後、温めた酸素や輸液を体内に投与し、身体の内側からも温めていく。現実の世界と違い、こちらでは魔法による治療がある為、その過程や体温の上昇を早めることができるようで、ツクヨの現在の容態であれば命に関わる心配はなく、後遺症も残らないのだそうだ。


 遅れて部屋にやって来たシンが、彼の容態を聞き安堵すると代わりに治療にあたる船員達へ感謝する。そしてゆっくりとベッドに横たわるツクヨに歩み寄るシン。


 「無事でよかった・・・。もう、あんな無茶はやめてくれよ」


 彼の安堵の表情を見て、ぎこちなく口角を上げて微笑むと、ツクヨはゆっくりと目を閉じ眠りについた。

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