ゼロとマイナス
術式の設置に向かったミア達と別れた後、シンとグレイスもまた、潜入経路の確認と準備に取り掛かる。ロッシュの海賊船にはまだ船員の出入りが多く、側で確認するにはあまりにも目立つということもあり、距離の空いた物陰から双眼鏡で彼の船を観察する。
最初の地点から見えたのは、船への橋が架かる乗船場で、言わずもながらロッシュのところの船員であろう人物の往来が頻繁に行われている。
「まずは正面から乗り込む経路だ。見ての通り潜入もクソもない。変装や内部からの招き入れがない限り、ここから入ることはないだろうね。まぁ、脱出の際はお世話になるかもしれないけど・・・」
冗談で言っているのか、それとも力技で突破でも考えているのか。グレイスならどちらもあり得るという発想が浮かんでくる辺り、この短い期間で彼女の性格が分かってきたのだと実感し、しみじみするシン。
「出来れば、そんな事態は避けたい・・・」
彼の嘆きのような呟きに、笑いながらシンの肩を力強く叩くグレイス。無論、彼女も騒ぎになるのは避けたい筈、念の為の確認だと言いその場を後にし、次の場所へと移動する。
次に二人が訪れたのは、船を正面から見ることのできる停泊場の施設へとやって来る。一般客に紛れるため双眼鏡は使えないが、この距離なら肉眼でも十分確認できるため、二人は店で注文したドリンクを片手に、海賊船の正面と両サイドへの広がりを確認する。
「ロッシュの海賊船の正面だ。侵入経路はないが、町側からの見え方や死角となる位置の確認が出来る。要するにここからアタシらが見えるようじゃぁお終いってことよ!後は、増援が来た時の進行経路だな。さっき見た橋からだけじゃなく、ロープやワイヤーフックなんかを使って乗り込んで来るだろうから、それらが使えそうなポイントの確認だね。脱出の際の参考までに・・・ね」
豪快で大雑把なところを多く見てきたせいか、実際は念密に作戦の準備をするグレイスの意外な側面が伺える。きっと船員にはこういった姿は見せず、坦々と一人で調査をし、作戦を練って行動に移すからこそ失敗や不安を部下に与えずに、カッコイイ姿だけを彼らに見せ、そんな彼女の姿に憧れや尊敬、そして夢を魅せられるのであろう。
「意外だ・・・。普段のアンタからは想像も出来ない程の几帳面さというか・・・。いつもこうしているのか?」
シンの質問に彼女は真面目な表情をする。すると、少しだけ彼に心を許したのか、彼女は自身の心の内を話してくれた。
「まぁね。これでも人の命を預かっている責任ってモンがある。アタシを慕ってついて来てくれる奴らを失いたくはないのさ・・・。無くした信頼は簡単には戻らない。マイナスからゼロにするのにどれだけの苦悩や挫折があるか、アンタは分かるかい?ゼロであることは何も無いってことじゃないのさ。スタート地点に立っている、それだけでも恵まれていると思わなくちゃね・・・」
それがグレイス自身の体験なのか、それとも誰かを通して学んだことなのかは分からない。それでも彼女の言葉は、シンの心に深く刻み込まれた。自分には何も無いとばかり思っていた現実での自身、だがそれは勝手にスタートに立つ事を諦め、退場していただけに過ぎないのだと。
「そうだな・・・。俺のこの旅も、マイナスからのスタートだったのかもしれない・・・。ありがとうグレイス、その言葉・・・胸に刻んでおくよ」
口角を上げ、静かに頷くグレイス。二人は残ったドリンクを飲み干すと店を後にし、次なる場所へと向かう。すると今度は側面、正面と来たので反対側の側面へ行くのかと思っていたが、並んで置かれている船でロッシュの海賊船が確認できない。
「横の船は・・・あれはロッシュのところの船なのか?」
「いや、あれは別の船だよ。奴が船を一ヶ所にまとめて停めておくことはない。襲撃を受けた時に自軍の船が集まっていると、一網打尽にされ全て失うこともあるからな。ここからは小船で距離を取りながら背面へ回り込む。ついて来な!」
大きく手を回し、ついて来るようシンを煽るとグレイスは停泊場に停めてあった小さな手漕ぎ用の舟に乗り込むと、グレイスはオールを手にして手際良く舟を進める。
「上手いものだな、何処で身に付けたんだ?それとも海賊のクラスなら基本的なスキルなのか・・・?」
「それもあるけど、アタシの場合は海賊のクラスに就く以前の技術だね。よくこうやって舟を漕いでは川や湖を渡ったものさ・・・、懐かしいね・・・」
グレイスは過去の出来事に思いを馳せた様子で静かになる。彼女の雰囲気に声をかける事も忘れ、ただ波間に揺蕩う舟に身を任せ、目標地点へと向かう。
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